第1話 旅路
ここは、あらゆる生命を内包する森林だった。
見上げれば、何千年の時を経て枝を伸ばした巨木が頭上を覆いつくしている。
しかし、不思議と暗さを感じなかった。
日の光は、木の葉に遮られ、まだらになりながらも旅人の足元まで届いている。
湿った緑の匂いがした。滝の落ちる音がした。そして、そこには小さな虹が架かっていた。
小さな鳥が羽ばたき、木々を揺らした。朝露のしぶきが降るのを感じた。
鳥が高く鋭く鳴くと、透き通るように、あたりに響き渡った。
反対に、大きな蛙の鳴く重低音が足元から響いてくることもあった。
恵み豊かな世界が、この場所のすべてだった。
「変な感じ。この世界に、俺たちしかいないみたいだ」
ハークは、手頃な大きさの倒木に腰かけて空を仰いだ。ロゼは紅茶色の髪を片側で一つに編みながら応えた。
「これが続くと考えると、ちょっと気がおかしくなりそう」
ほどなくして、ケイトも天幕から這い出してきた。旅の寝床は、野営に必須の組み立て式の移動住居である。
「早いな。フィルはまだ、ぐーすか寝てるぞ。ちゃんと休めたのか」
ケイトはそう言いながら、乱れた長い銀髪をさっさとひとつに束ねた。
「おはよう、ケイト。正直、野宿にはあまり慣れてないから、身体が痛い」
ハークは言いながら立ち上がり、火をおこしはじめる。皆が起き出してきたので、朝食の準備をしなければならない。
ケイトは鍋に水を張り、荷物からてきぱきと食材を取り出した。
「ま、お坊ちゃんお嬢さん育ちにこの旅は厳しいだろうな」
ロゼは何をしていいかわからず、ただ見ているだけだった。しかし、手持無沙汰のために口はよく動く。
「私たち、そんなにいい育ちでもないのだけど」
「野営を知らないだけで、十分だろうさ」
「あなたの素性も大概わかんないわよ。官僚ってくらいだから、いい家柄のご子息じゃないわけ?」
「さてね。そういう風に同僚からやっかまれることもあるが、実際の俺の務めは地味で泥臭いことばかりだ」
ロゼは、ケイトが王都から遣わされた同じく魔獣使いの男から「親の七光り」と言われていたことを思い返していた。先日まで滞在していた里での話だ。
ケイトは、なんてことないような顔でナイフを器用に扱っていた。
「あんたも苦労してるのね」
ロゼもハークも、それ以上は聞かなかった。
野営に選んだ場所は、木々が少なくひらけた場所だった。そこだけ、いい具合に整っていたので、もしかすると、すでに誰かが利用して去った跡地かもしれなかった。
昨日は日暮れ前に持ち運び式の天幕を張り、その周囲を獣博士であるフィルの指導の下、獣除けの結界で囲いこんだ。ラピスラズリがこの場に居ないのは、そのためだった。召喚獣であろうと、結界内に入ることは不可能だ。
木々の間からラピスラズリは、するりと現れた。あいかわらず愛らしい女性の姿をしていた。歩くたび豊かな瑠璃色の髪がゆらゆらと揺れる。
「おはよう。気持ちのいい朝ねぇ」
嬉しそうに近づいてきたが、地面につけられた獣除けの結界の印に気づき、足を止めた。
「あら、危なかった。私だけみんなと居られないから、木の上で山猫ちゃんと寝てたのよ」
「悪かった。ほら」
ケイトが結界の内側から簡易的に引かれた、まじないの線を靴底で踏み消すと、ラピスラズリは主人の腕に絡みついた。
「寂しかったわよぅ。私たち、いつも一緒なのに」
「こら離せ。食事の準備が進まないだろうが」
両者の様子を見て、ロゼはため息をついた。
「あなたたちも、召喚したままだといつかガタが来るわよ。私みたいに」
ロゼは現在、自身の召喚獣であるアルフレッドを召喚できない状況にあった。
「心配はありがたいが、俺たちの方は問題ない。魔獣使いは特殊なんだ」
「私ずっと自然界にいたら、きっと退屈で死んでしまうわよぅ」
ラピスラズリは主人にじゃれついたが、適当にあしらわれていた。
「いつも、その特殊が何か気になるのだけど」
「守秘義務だ」
「お尋ね者のあんたに義務も何もないでしょうに」
ロゼの言葉に、ケイトはうるさいやつだな、と睨みつけた。
「あぁ、もうロゼは。なんでいつもふたりとも喧嘩腰なんだよ」
ハークは一触即発の場をおさめようと、ロゼに火おこしを手伝わせることにした。




