第18話 世界の均衡
集落を結界で以て囲い込む作業は、夜通し行われた。
フィルは獣除けの薬草を煎じ、特別な方法で清めた灰を用意した。さらに、木の杭とロープを利用し、対象の居住区域の地面に幾何学模様の線を走らせた。その線の上に慎重に灰をまくと、何やらよくわからない儀式のようなものを始めた。
本質的なものなのか、形式的なものなのかは、ハークたちにはよくわからなかった。
獣博士であるフィルと族長クジャールを中心に、村人は力を合わせてなんとか夜明けまでに間に合わせることができた。
おかげで、徹夜明けの村人たちは昼まで眠ることとなる。
しかし、彼らにとって初めて獣の襲撃の心配をしなくともよい、心からの安眠であった。
昨晩からの戦闘に疲れ果てたハークたちも、正午を回るまで眠り込んだ。
ようやく出立の準備が整ったのは、日が高く上った刻である。
里の入り口まで、見送りに来たのはクジャールとその妻のみだった。
クジャールは、深々と首を垂れた。
「このたびは大変世話になった。今このときにあなたがたが居て下さったことに、何か運命じみたものを感じる」
「これも縁じゃよ。偶然居合わせたハークたちのおかげで、多数の命が守られたのだから」
のう、とフィルはハークに視線をやった。突然話を振られたハークは、しどろもどろになる。
「いや、俺はたいして…ケイトやロゼが居てくれたから」
クジャールは古傷の入った顔を引きつらせて、豪快に笑った。
「謙虚な少年だな。おまえは、これまで魔獣を二体も倒しているそうだな。それは、すごいことなのだ。おまえに足りないのは、戦士としての自覚と自信だ」
さらには背中をバンバンと叩かれて、ハークは悲鳴を上げた。衣服の下の包帯に隠された傷口に直に響いた。
フィルも楽し気に頷いた。この年長者二人は気が合うようだ。
「わしが見ているだけでも、もう十分に養われているはずじゃ。このお方のように、もっと豪快に生きるべきではないかの」
「それは、無理!」
ハークは、鋼のように屈強なクジャールの肉体を見て、かぶりを振った。
「話の途中で悪いけど、ちょっといい?」
ロゼは遠慮なく会話に割り込んだ。ケイトとラピスラズリはなるべく、気配を消すように立っている。荷を抱え、すぐにでも立ち去りたいというのが一目でわかった。
「ここのところ、人間と獣とのバランスが崩れてきているでしょう。それについて、族長さんがなにか知っていることはないかしら」
「ああ、そうだった。ハークは聖獣の力が込められた剣を持っているな」
クジャールは手をぽんと打った。ハークも魔獣戦のどさくさでその件についてうやむやになっていたことを思い出した。
あのとき確かにクジャールは、聖獣の力が込められた武器をこの里でも作っていたと言っていた。
「私が先代から聞いた話だ。昔、そのような武具の生産方法が持ち込まれたことがあったと。一時期、村人が使用していたそうだが、結論から言うと生産をやめたのだ。その技術はすぐに途絶えた」
「なぜやめたのかしら」
「はっきりとはわからないのだ。先代は、ついに明言されないままこの世を去った」
「なるほどね」
ロゼは、納得したようだった。クジャールは、その様子に目を細めた。
「もしや我々と同じ、獣使いのロゼ殿ならわかるのではあるまいか」
「まぁね。昨晩クジャールさんが言っていたことがその答えね。獣使いでなければ、何者にもなれないって。つまり、獣使いとしての立場が失われるのを恐れたのではないかしら。召喚に代わるものがひとたび普及すれば、獣使いは用済みとなるでしょうね」
クジャールは私も同意見だ、と力強く頷いた。
「きっと里の人間は皆、そのようなことを言葉にするのが怖かったのだ。しかし、このたびの集落の聖域化をもって、この里にも新たな時代がやってくる」
「自身の召喚獣とのつながりがある限り、あなたがたが獣使いであることに変わりはないわ」
ロゼの言葉に、ハークは胸を痛めた。ロゼは、今アルフレッドを召喚できない状態にあるのだから。
「ロゼ殿、そのお心遣いに礼を言う。ロゼ殿が聞かれたことに対する私なりの答えだが、獣と人間の関係性が脅かされていることには、未知なる魔術や科学の発達が影響している。それらを悪質に利用した王都の権威拡大の噂も聞く。我々はその流れを許すことはできない」
クジャールは静かな怒りに声を震わせた。隣に立つ美しい妻も、悲痛な面持ちであった。
「召喚獣の存在は偉大だ。人と自然界の獣とを取りなし、適切な距離を保つことを助けている。この里山が、私たち人間の手が適度に入ることによって調和が保たれるのと同じに、獣使いは必要とされているのだ」
ハークはケイトの表情をこっそり盗み見たが、今交わされているやりとりに対して、見ざる聞かざるを決め込んでいるようだった。
フィルもその様子は感じているようだった。フィルは気を取り直すと、クジャールとその妻にひときわ大きな声を出した。気まずい空気をかき消すように。
「そうとも。宮廷務めのわしが言っても説得力がないだろうが、確かに近頃の世間の動きはおかしい。そう公言するわしは、おかげさまで王都のはみ出し者だ」
「でしょうな。王都の許可を得ず、勝手に獣使いの里を結界で囲い、聖域としてしまうくらいだからな」
クジャールの言葉にフィルは、苦笑いした。後ろに立つケイトは、眉間に深いしわを寄せた。
フィルは構わず話を続ける。
「まぁしかし、聖域とて完全ではない。結界に守られているうちに、むしろ新たに集落を守る体制を更新するべきだ」
「破られることがあると」
「ないとは言い切れん」
そう言うフィルが、拳を固く握りしめているのを、ハークは見た。
フィルは、聖域を破って来た獣の襲撃で最愛の妻を失っているのだ。そんな辛い過去を思わせないほど、フィルはいつも笑っているのだなと、ハークは自身の目頭が熱くなるのを感じるのだった。




