第3話:高級竜肉を台無しにして、なぜ誇る
王宮には、食材そのものに頭を下げる人間が多い。
料理ではない。食材にだ。
「竜肉でございます」
銀の台車に載せられてきた赤黒い塊を見て、貴族たちは一斉に感嘆した。
「おお……」
「これほど見事な火竜肉は、十年に一度でしょう」
「さすがはガリオン侯爵。食材を見る目が違う」
会場の中央に立つ太った男が、満足そうに顎を撫でた。
ガリオン侯爵。王都でも名の知れた美食家らしい。
美食家。俺はその言葉が嫌いだ。
料理人でもないくせに皿の上へ先に座り、食材より自分の舌を偉く見せたがる人間が多いからだ。
ガリオン侯爵が、得意げに言う。
「この火竜は、北の火山帯で仕留められた若い雄です。魔力密度、肉色、香り、どれを取っても一級品。今宵はこの火竜肉を、王宮料理長オルディス殿の技で焼いていただきましょう」
オルディスは、昨日よりさらに顔色が悪かった。黒冠ソースを止められたばかりだ。なのに、今日は貴族の前で竜肉を焼かされる。
同情はしない。だが、少しだけ気の毒ではあった。
食材が高級になるほど、下手な料理人は自由を失う。失敗したら自分のせい、成功したら食材のおかげ。最悪の勝負だ。
銀の盆に載せられた竜肉は、たしかに強い。
赤黒い身。厚い筋。表面にうっすら残った鱗下脂。血の奥に、煙のような鉄臭さがある。
悪くない。ただし、難しい。火竜肉は、ただ焼けばいい肉ではない。
魔力の通った筋繊維が強すぎる。高温で一気に焼けば表面だけ焦げ、中心は獣臭く残る。逆に火を通しすぎれば硬くなる。噛むたびに、怒った革袋みたいな食感になるだろう。
そして、この会場の人間たちは、その硬さすら「力強い」と呼ぶ。最初から味ではなく、値段と希少性を食べる気でいる。
「レンジ」
王太子エドヴァルドが、俺を呼んだ。最近、この男は俺を呼ぶ時だけ少し楽しそうにする。性格が悪い。
「貴様も食材を見ておけ。昨日、銀角鹿で大きな口を叩いたのだ。竜肉についても、何か言いたいことがあるのだろう」
「ある」
会場の空気が、少し揺れた。ガリオン侯爵が眉を上げる。
「ほう。雑役上がりの料理人が、竜肉に何を言うのかね」
「料理人ではない」
「では何者だ」
「皿の上で嘘をつく人間が嫌いなだけだ」
エドヴァルドが笑いを噛み殺した。ガリオン侯爵の顔が赤くなる。
「では、聞かせてもらおう。この竜肉のどこに嘘がある」
「肉にはない」
俺は盆の上の火竜肉を見る。
「嘘をつくのは、これを焼くだけで美味いと思っている連中だ」
貴族たちの顔が一斉に険しくなった。だが、ガリオン侯爵は笑った。余裕のある笑いだった。
「なるほど。君は高級食材というものを知らないらしい」
「高級食材は知っている」
「ならば分かるはずだ。良い肉には、余計な手を加えぬ方がよい。強い食材は、強いまま食す。それこそが美食だ」
「違う」
俺は即答した。
「強い食材ほど、料理人の腕がいる」
「なぜだね?」
「食材が、料理人の下手を隠してくれないからだ」
会場が静かになった。オルディスが俺を見た。昨日までの怒りだけではない。どこか、嫌なものを見る目だった。
分かる。料理人なら分かるはずだ。
高級食材は、怖い。
それを「焼けばうまい」と言っている奴らは、食材の値段しか見ていない。
「オルディス」
エドヴァルドが言う。
「まずは王宮の流儀で焼け」
「……承知いたしました」
オルディスは肉を受け取った。
厚切り。雪塩。香草。炎。
王宮料理人たちが火を上げる。竜肉の表面が一気に焼かれ、脂が滴る。
香りは立った。強い。だが、荒い。煙が肉の臭みを押し上げる。外側は焦げ、内側はまだ魔力の匂いを抱えたままだ。
焼き上がった肉は、銀皿に載せられた。分厚い。赤い。堂々としている。
貴族たちは拍手した。
「素晴らしい」
「火竜肉はこうでなくては」
「この野性味こそ、王侯貴族の皿だ」
まだ食べていないのに、褒め始めている。俺は少しだけ目を細めた。
皿を見る前から答えが決まっている舌ほど、邪魔なものはない。
肉が配られる。ガリオン侯爵が一口食べる。
噛む。
噛む。
さらに噛む。
そして、満足げに頷いた。
「力強い。実に、火竜らしい」
周囲の貴族たちも続く。
「噛むほどに生命力を感じますな」
「この血の香りがたまらない」
「まさに強者の肉」
誰も、不味いとは言わない。ただ、全員が思ったより長く噛んでいる。何人かは、飲み込む時に少し顔を歪めた。
エドヴァルドも食べた。表情は変わらない。だが、二口目にはいかなかった。
「レンジ」
「何だ」
「作れ」
「部位を選ばせろ」
ガリオン侯爵が笑う。
「好きなところを選ぶといい。雑役殿」
「では、それはいらない」
俺は、中央に置かれた一番見事な赤身を指さなかった。代わりに、台車の下段にある木箱を見る。
そこには、端肉、筋、脂、薄い膜、骨際の細かい身が入っていた。見栄えが悪く、晩餐会には使われない部分だ。
「そっちを使う」
ガリオン侯爵の笑みが止まった。
「……端肉を?」
「そうだ」
「火竜の最良部位を前にして、端肉を選ぶのかね」
「最良かどうかは、皿にしてから決める」
俺は木箱を受け取る。
端肉は、筋が多い。だが、香りは深い。骨際の肉は、味が強い。脂もある。使い方を間違えなければ、こっちの方が面白い。
「まず、臭いを殺す」
俺は火竜肉の筋を薄く切り分ける。繊維に逆らって、細く。噛ませるのではなく、ほどけるように。
下味に雪塩。それから、灰葡萄酒を少し。酸味が強い。そこに、火山椒を砕いて混ぜる。香りは鋭く、脂の重さを切る。
さらに、熟れた銀梨の果汁をほんの少し。
料理人の一人が、訝しげに言った。
「果汁?」
「肉を柔らかくする」
「甘くするのか?」
「違う。働かせる」
果物には、肉を緩める力がある。前世の知識をそのまま言う必要はない。この世界にも、肉を柔らかくする果実はある。ただ、菓子か酒にしか使われていないだけだ。
端肉を短く漬ける。長くは置かない。竜肉は強いが、果汁に負けすぎると食感が死ぬ。
その間に、骨際の肉と筋の一部を焼く。焦げるまでではない。香ばしさを出す。
小鍋に入れ、水を少し。煮立てない。火竜肉は熱で暴れる。強火で叩くと臭いが勝つ。低い火で、ゆっくり味を出す。
そこへ、焦がした黒玉葱。月根菜の端。火山椒。少量の灰葡萄酒。
濃い香りが立つ。オルディスが、横からじっと見ていた。
「ソースか」
「タレだ」
「タレ?」
「肉を偉そうに飾るものじゃない。肉にもう一度、噛みつかせるものだ」
薄切りにした火竜肉を、強い火で一瞬だけ炙る。焼くのではない。表面に香りをつける。中まで火を入れすぎない。
すぐに皿へ。熱いタレを、上からではなく下に敷く。肉をその上に重ねる。
最後に、薄く刻んだ聖草の若葉。それから、星果の皮。香りだけでいい。
皿の上に、赤い肉が薄く重なった。さっきの分厚い竜肉とは、まったく違う。見た目の威圧感はない。だが、香りはこっちの方が深い。
「名は」
エドヴァルドが聞いた。
「火竜肉の炙り。骨際のタレ」
「また地味だな」
「肉が派手なら、名前は黙っていればいい」
皿が配られる。ガリオン侯爵は、明らかに不満そうだった。
「端肉料理など、王宮晩餐に出すものではない」
「食ってから言え」
「無礼な」
「冷める」
ガリオン侯爵は、怒りを隠しながら肉を口へ運んだ。噛む。
その顔が、止まった。
薄い肉は、硬くない。だが、弱くもない。歯が入る。火竜らしい香りが出る。骨際のタレが、肉の奥の鉄臭さを旨味に引き寄せる。
灰葡萄酒の酸味が脂を切り、火山椒が最後に舌を叩く。強い。だが、食える強さだ。
ガリオン侯爵は、すぐに飲み込めなかった。もう一枚、食べたからだ。
貴族たちも、次々に手を伸ばす。
誰も「力強い」と言わない。誰も「野性味」と言わない。ただ、食べる。
さっきより早く。さっきより黙って。
エドヴァルドが、少し笑った。
「ガリオン侯爵」
「……はい」
「これも、火竜らしいか」
侯爵の唇が引きつる。
「……これは」
「うん」
「火竜が……食べやすくなりすぎている」
俺は鼻で笑った。
「食べやすいことを、負けみたいに言うな」
ガリオン侯爵が俺を睨む。
「火竜肉は、強者の食材だ」
「違う」
俺は、さっきの分厚い焼き肉の皿を指した。
「あれは、強者の肉じゃない。強がっている肉だ」
会場がざわめいた。
「硬いことを力強いと言うな。臭いことを野性味と言うな。飲み込みにくいことを生命力と呼ぶな。高級食材を台無しにして、なぜ誇る」
ガリオン侯爵の顔が赤から白へ変わる。
「貴様……美食家である私に……」
「美食家なら、値段ではなく味を見ろ」
沈黙。エドヴァルドが、空になった皿を置いた。
「火竜肉の扱いを、今後見直す」
ガリオン侯爵が目を見開いた。
「殿下!」
「王宮晩餐で、肉の硬さを権威として出すな」
「しかし、火竜肉は高貴な――」
「高貴かどうかは知らん」
王太子は、俺の皿を見る。
「だが、こちらの方が食えた」
それで終わりだった。ガリオン侯爵は、反論できなかった。彼の前の皿も、空だったからだ。
セラフィナが、小さく肉を口に運んでいる。昨日より、食べ方が慎重だった。彼女は味を探している。悪くない。
オルディスは、端肉の入っていた木箱を見ていた。
「……骨際の肉を、捨てていた」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
「毎年、捨てていた」
「今日から拾え」
俺は言った。
「火竜は高いんだろう。なら、最後まで料理しろ」
その夜、ガリオン侯爵は「火竜肉とは本来、多様な調理法を持つ食材である」と語り出した。さっきまで、強いまま食うのが美食だと言っていた口で。貴族たちは頷いた。
誰も、侯爵の意見が変わったとは言わない。美食家の舌は、負けた後でも言葉で飾りたがる。
だが、食材の格だけで皿が決まるという看板は、その日、明らかに割れた。
俺は厨房に戻り、残った火竜の筋を細かく刻んだ。まだ出る。まだ使える。まだ、この肉は自分の味を持っている。
高級かどうかは、どうでもいい。
食材は、皿の上でようやく身分を得る。




