表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/22

第3話:高級竜肉を台無しにして、なぜ誇る

 王宮には、食材そのものに頭を下げる人間が多い。

 料理ではない。食材にだ。


「竜肉でございます」


 銀の台車に載せられてきた赤黒い塊を見て、貴族たちは一斉に感嘆した。

「おお……」

「これほど見事な火竜肉は、十年に一度でしょう」

「さすがはガリオン侯爵。食材を見る目が違う」


 会場の中央に立つ太った男が、満足そうに顎を撫でた。

 ガリオン侯爵。王都でも名の知れた美食家らしい。


 美食家。俺はその言葉が嫌いだ。

 料理人でもないくせに皿の上へ先に座り、食材より自分の舌を偉く見せたがる人間が多いからだ。


 ガリオン侯爵が、得意げに言う。

「この火竜は、北の火山帯で仕留められた若い雄です。魔力密度、肉色、香り、どれを取っても一級品。今宵はこの火竜肉を、王宮料理長オルディス殿の技で焼いていただきましょう」


 オルディスは、昨日よりさらに顔色が悪かった。黒冠ソースを止められたばかりだ。なのに、今日は貴族の前で竜肉を焼かされる。

 同情はしない。だが、少しだけ気の毒ではあった。

 食材が高級になるほど、下手な料理人は自由を失う。失敗したら自分のせい、成功したら食材のおかげ。最悪の勝負だ。


 銀の盆に載せられた竜肉は、たしかに強い。

 赤黒い身。厚い筋。表面にうっすら残った鱗下脂。血の奥に、煙のような鉄臭さがある。

 悪くない。ただし、難しい。火竜肉は、ただ焼けばいい肉ではない。


 魔力の通った筋繊維が強すぎる。高温で一気に焼けば表面だけ焦げ、中心は獣臭く残る。逆に火を通しすぎれば硬くなる。噛むたびに、怒った革袋みたいな食感になるだろう。


 そして、この会場の人間たちは、その硬さすら「力強い」と呼ぶ。最初から味ではなく、値段と希少性を食べる気でいる。


「レンジ」


 王太子エドヴァルドが、俺を呼んだ。最近、この男は俺を呼ぶ時だけ少し楽しそうにする。性格が悪い。

「貴様も食材を見ておけ。昨日、銀角鹿で大きな口を叩いたのだ。竜肉についても、何か言いたいことがあるのだろう」

「ある」


 会場の空気が、少し揺れた。ガリオン侯爵が眉を上げる。

「ほう。雑役上がりの料理人が、竜肉に何を言うのかね」

「料理人ではない」

「では何者だ」

「皿の上で嘘をつく人間が嫌いなだけだ」


 エドヴァルドが笑いを噛み殺した。ガリオン侯爵の顔が赤くなる。

「では、聞かせてもらおう。この竜肉のどこに嘘がある」

「肉にはない」


 俺は盆の上の火竜肉を見る。

「嘘をつくのは、これを焼くだけで美味いと思っている連中だ」


 貴族たちの顔が一斉に険しくなった。だが、ガリオン侯爵は笑った。余裕のある笑いだった。

「なるほど。君は高級食材というものを知らないらしい」

「高級食材は知っている」

「ならば分かるはずだ。良い肉には、余計な手を加えぬ方がよい。強い食材は、強いまま食す。それこそが美食だ」

「違う」


 俺は即答した。

「強い食材ほど、料理人の腕がいる」

「なぜだね?」

「食材が、料理人の下手を隠してくれないからだ」


 会場が静かになった。オルディスが俺を見た。昨日までの怒りだけではない。どこか、嫌なものを見る目だった。

 分かる。料理人なら分かるはずだ。

 高級食材は、怖い。

 それを「焼けばうまい」と言っている奴らは、食材の値段しか見ていない。


「オルディス」

 エドヴァルドが言う。

「まずは王宮の流儀で焼け」

「……承知いたしました」


 オルディスは肉を受け取った。

 厚切り。雪塩。香草。炎。

 王宮料理人たちが火を上げる。竜肉の表面が一気に焼かれ、脂が滴る。

 香りは立った。強い。だが、荒い。煙が肉の臭みを押し上げる。外側は焦げ、内側はまだ魔力の匂いを抱えたままだ。


 焼き上がった肉は、銀皿に載せられた。分厚い。赤い。堂々としている。

 貴族たちは拍手した。

「素晴らしい」

「火竜肉はこうでなくては」

「この野性味こそ、王侯貴族の皿だ」


 まだ食べていないのに、褒め始めている。俺は少しだけ目を細めた。

 皿を見る前から答えが決まっている舌ほど、邪魔なものはない。


 肉が配られる。ガリオン侯爵が一口食べる。

 噛む。

 噛む。

 さらに噛む。

 そして、満足げに頷いた。

「力強い。実に、火竜らしい」


 周囲の貴族たちも続く。

「噛むほどに生命力を感じますな」

「この血の香りがたまらない」

「まさに強者の肉」


 誰も、不味いとは言わない。ただ、全員が思ったより長く噛んでいる。何人かは、飲み込む時に少し顔を歪めた。

 エドヴァルドも食べた。表情は変わらない。だが、二口目にはいかなかった。


「レンジ」

「何だ」

「作れ」

「部位を選ばせろ」


 ガリオン侯爵が笑う。

「好きなところを選ぶといい。雑役殿」

「では、それはいらない」


 俺は、中央に置かれた一番見事な赤身を指さなかった。代わりに、台車の下段にある木箱を見る。

 そこには、端肉、筋、脂、薄い膜、骨際の細かい身が入っていた。見栄えが悪く、晩餐会には使われない部分だ。

「そっちを使う」


 ガリオン侯爵の笑みが止まった。

「……端肉を?」

「そうだ」

「火竜の最良部位を前にして、端肉を選ぶのかね」

「最良かどうかは、皿にしてから決める」


 俺は木箱を受け取る。

 端肉は、筋が多い。だが、香りは深い。骨際の肉は、味が強い。脂もある。使い方を間違えなければ、こっちの方が面白い。


「まず、臭いを殺す」


 俺は火竜肉の筋を薄く切り分ける。繊維に逆らって、細く。噛ませるのではなく、ほどけるように。

 下味に雪塩。それから、灰葡萄酒を少し。酸味が強い。そこに、火山椒を砕いて混ぜる。香りは鋭く、脂の重さを切る。

 さらに、熟れた銀梨の果汁をほんの少し。


 料理人の一人が、訝しげに言った。

「果汁?」

「肉を柔らかくする」

「甘くするのか?」

「違う。働かせる」


 果物には、肉を緩める力がある。前世の知識をそのまま言う必要はない。この世界にも、肉を柔らかくする果実はある。ただ、菓子か酒にしか使われていないだけだ。


 端肉を短く漬ける。長くは置かない。竜肉は強いが、果汁に負けすぎると食感が死ぬ。

 その間に、骨際の肉と筋の一部を焼く。焦げるまでではない。香ばしさを出す。


 小鍋に入れ、水を少し。煮立てない。火竜肉は熱で暴れる。強火で叩くと臭いが勝つ。低い火で、ゆっくり味を出す。

 そこへ、焦がした黒玉葱。月根菜の端。火山椒。少量の灰葡萄酒。

 濃い香りが立つ。オルディスが、横からじっと見ていた。


「ソースか」

「タレだ」

「タレ?」


「肉を偉そうに飾るものじゃない。肉にもう一度、噛みつかせるものだ」


 薄切りにした火竜肉を、強い火で一瞬だけ炙る。焼くのではない。表面に香りをつける。中まで火を入れすぎない。

 すぐに皿へ。熱いタレを、上からではなく下に敷く。肉をその上に重ねる。

 最後に、薄く刻んだ聖草の若葉。それから、星果の皮。香りだけでいい。

 皿の上に、赤い肉が薄く重なった。さっきの分厚い竜肉とは、まったく違う。見た目の威圧感はない。だが、香りはこっちの方が深い。


「名は」

 エドヴァルドが聞いた。

「火竜肉の炙り。骨際のタレ」

「また地味だな」

「肉が派手なら、名前は黙っていればいい」


 皿が配られる。ガリオン侯爵は、明らかに不満そうだった。

「端肉料理など、王宮晩餐に出すものではない」

「食ってから言え」

「無礼な」

「冷める」


 ガリオン侯爵は、怒りを隠しながら肉を口へ運んだ。噛む。


 その顔が、止まった。


 薄い肉は、硬くない。だが、弱くもない。歯が入る。火竜らしい香りが出る。骨際のタレが、肉の奥の鉄臭さを旨味に引き寄せる。

 灰葡萄酒の酸味が脂を切り、火山椒が最後に舌を叩く。強い。だが、食える強さだ。


 ガリオン侯爵は、すぐに飲み込めなかった。もう一枚、食べたからだ。

 貴族たちも、次々に手を伸ばす。


 誰も「力強い」と言わない。誰も「野性味」と言わない。ただ、食べる。

 さっきより早く。さっきより黙って。


 エドヴァルドが、少し笑った。

「ガリオン侯爵」

「……はい」

「これも、火竜らしいか」


 侯爵の唇が引きつる。

「……これは」

「うん」

「火竜が……食べやすくなりすぎている」


 俺は鼻で笑った。

「食べやすいことを、負けみたいに言うな」

 ガリオン侯爵が俺を睨む。

「火竜肉は、強者の食材だ」

「違う」


 俺は、さっきの分厚い焼き肉の皿を指した。

「あれは、強者の肉じゃない。強がっている肉だ」


 会場がざわめいた。


「硬いことを力強いと言うな。臭いことを野性味と言うな。飲み込みにくいことを生命力と呼ぶな。高級食材を台無しにして、なぜ誇る」


 ガリオン侯爵の顔が赤から白へ変わる。

「貴様……美食家である私に……」

「美食家なら、値段ではなく味を見ろ」


 沈黙。エドヴァルドが、空になった皿を置いた。

「火竜肉の扱いを、今後見直す」


 ガリオン侯爵が目を見開いた。

「殿下!」

「王宮晩餐で、肉の硬さを権威として出すな」

「しかし、火竜肉は高貴な――」

「高貴かどうかは知らん」


 王太子は、俺の皿を見る。

「だが、こちらの方が食えた」


 それで終わりだった。ガリオン侯爵は、反論できなかった。彼の前の皿も、空だったからだ。

 セラフィナが、小さく肉を口に運んでいる。昨日より、食べ方が慎重だった。彼女は味を探している。悪くない。


 オルディスは、端肉の入っていた木箱を見ていた。

「……骨際の肉を、捨てていた」

 誰に言うでもなく、そう呟いた。

「毎年、捨てていた」

「今日から拾え」

 俺は言った。

「火竜は高いんだろう。なら、最後まで料理しろ」


 その夜、ガリオン侯爵は「火竜肉とは本来、多様な調理法を持つ食材である」と語り出した。さっきまで、強いまま食うのが美食だと言っていた口で。貴族たちは頷いた。

 誰も、侯爵の意見が変わったとは言わない。美食家の舌は、負けた後でも言葉で飾りたがる。


 だが、食材の格だけで皿が決まるという看板は、その日、明らかに割れた。


 俺は厨房に戻り、残った火竜の筋を細かく刻んだ。まだ出る。まだ使える。まだ、この肉は自分の味を持っている。

 高級かどうかは、どうでもいい。


 食材は、皿の上でようやく身分を得る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ