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人形のような公爵令嬢はお断りです。〜暖炉の灰で手紙を読める私は、自分の足で歩きます〜  作者: 秋月 もみじ


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第6話 二十歳の期限


手帳の数字を三通りに読み直しても、同じ結論にならなかった。


灰から拾った断片を並べた。「ヴォル」「伯」「領」「区画」「境」。そして、三ヶ月前の劣化した紙片に残っていた「売」。


その横に、灰ではない情報を並べた。書斎の前で盗み聞いた父の声——「あの子が二十歳になる前に済ませろ」。


別のところから来たものを混ぜてはいけない。灰の断片は灰の断片。盗み聞きは盗み聞き。だが、並べた時に浮かぶ形がある。


誰かが、どこかの伯爵と、領地の区画を売る相談をしている。二十歳の前に。


誰の領地か。


「売」が本当に「売却」の「売」かどうかも確かではない。「売上」かもしれない。一文字では何とでも読める。


手帳を閉じた。インクが薄い。水で割ったインクは乾くと灰色になる。自分で書いた数字が読みにくくなっている。



朝食の席で、父が口を開いた。


珍しいことだった。食事中に父が私に話しかけることは、月に二度もない。


「リーネ」


名前を呼ばれた。命令か叱責の前触れだ。箸を持つ手が少し硬くなった。


「お前の誕生日が近いな。何か欲しいものはあるか」


スープの匙が止まった。ゾフィーが「あ、お姉様の誕生日!」と声を上げた。継母は黙って茶を飲んでいた。


父が誕生日のことを聞く。


何年ぶりだろう。去年も一昨年も聞かれなかった。十五歳の時も、十歳の時も。母が死んでから、一度も聞かれたことがない。


なぜ、今年だけ。


「何も」


答えた。声は平らだったと思う。


「そうか」


父はそれ以上何も言わなかった。スープに戻った。安堵の気配があった。肩が少し下がった。


「何も」と答えることを期待していた。何も求めない。何も知らない。何も考えていない。人形のまま。


——あの子が二十歳になる前に済ませろ。


書斎の前で聞いた言葉が、スープの湯気の向こうに浮かんだ。


「お姉様、誕生日には何かお祝いしましょうよ!」


ゾフィーが言った。継母がゾフィーの腕を軽く押さえた。「お父様がお話し中よ」。ゾフィーは口をつぐんだ。


誕生日。二十歳。三十七日後。


父はこの日に何をするつもりなのか。



午後、ゾフィーの婚約準備の買い出しに同行した。


継母に命じられた付き添いだ。馬車でゾフィーと王都の商店街へ向かう。生地屋、飾り紐の店、手袋屋。ゾフィーが品物を選ぶ間、私は一歩後ろに立って荷物を持つ。


ゾフィーが手袋屋で白い絹の手袋を試している間に、私は隣の通りに目をやった。


法務書房があった。


古い店だ。看板の文字が褪せている。硝子の向こうに、革表紙の本が並んでいる。


「ゾフィー、少しだけ隣の店を見てきてもいい?」


「いいわよ! お姉様も何か買うの?」


「少し見るだけ」


法務書房に入った。紙の匂い。古い糊の匂い。黄ばんだページ。店主が怪訝な顔をした。公爵令嬢の格好をした若い女が法務書房に来ることは珍しいのだろう。


棚を見た。相続法の本を探す。


あった。『ヴァルシュタイン王国相続法概説・貴族領地の部』。革表紙が乾いている。手に取った。重い。


目次を指で追った。


——遺言による売却凍結。


ページを開いた。


「被相続人が遺言により領地の売却を禁じた場合、当該領地は受益者が成人に達するまで処分不能とする」


成人。二十歳。


次の条文。


「受益者が成人に達した時点で相続は正式に確定し、以後の領地処分には受益者本人の書面による同意を要する」


本人の同意。


本を持つ手が震えた。ページが揺れて、字が読みにくくなった。棚に本を戻そうとして、隣の本に当たった。ずれた本を慌てて直す。店主がこちらを見た。


深呼吸をした。ドレスの脇はきつくないのに、息が浅い。


母の領地。母が遺言を残していた。売却を禁じる遺言を。そして私が二十歳になれば、相続が確定し、売却には私の同意が必要になる。


だから「二十歳になる前に」なのだ。


私が二十歳になる前に、領地を売る。私が何も知らない間に。あるいは——二十歳になった瞬間に、同意書にサインさせる。何も知らない「人形」の手で。


「何も欲しいものはないか」と聞いた父の顔を思い出した。何も求めないことを確認しに来た顔だった。


本を棚に戻した。指が少しだけ痺れていた。買う金はない。だが、読むべきことは読んだ。


店を出て、ゾフィーの元に戻った。


「お姉様、何か見つかった?」


「いいえ。古い本が並んでいるだけだったわ」


嘘をつく時、私は左手の薬指を親指で押さえる。今もそうした。ゾフィーは気づかなかった。



帰宅後、部屋で靴を脱いだ。


中敷きを剥がした。母の髪飾りを取り出す。十四年、靴の中にあったもの。金属部分が汗で変色して、元の色が分からなくなりかけている。


裏を見た。


小さな紋章が刻んである。母の実家の家紋だ。花と鍵の意匠。


法務書房で読んだ条文を思い出した。相続の確定には、受益者の身元証明が必要になる場合がある。この家紋は、母の実家と私を繋ぐ印になるのだろうか。


法律は読めた。だが手続きの流れまでは追えなかった。紋章の法的な効力も確かめようがない。部品はあるが、組み立て方が分からないのは灰の断片と変わらない。


髪飾りを机の上に置いた。蝋燭の光で、変色した金属が鈍く光った。


十四年、靴の中。足裏に当たるたびに母の存在を感じていた。だが、この飾りが何の役に立つのかは、今日まで考えたことがなかった。


形見は形見だった。それ以上の意味があると知ったのは、今日が初めてだ。



髪飾りを靴に戻す前に、廊下で足音がした。


慌てて袖の中に隠した。扉を開ける前に。


廊下を歩いていたのは、オーレンだった。


小部屋から出てきたらしい。帳簿を二冊、脇に抱えている。今日も紺色の外套。襟元の擦れが少し広がったように見える。


「アシュフォード嬢」


「カレスさん」


一瞬の沈黙。オーレンは帳簿を持ち直した。


「一つ伺ってもいいですか」


「はい」


「この屋敷の暖炉は、全部で何基ありますか」


止まった。


質問の意味を考える間もなく、口が答えていた。


「十四基です」


言ってから、しまった、と思った。


公爵令嬢が暖炉の数を即答する理由がない。普通の令嬢なら「さあ、分かりません」と答える。暖炉の数を正確に知っている人間は、屋敷の管理に関わっている人間か、暖炉に用がある人間だけだ。


オーレンの目が変わった。


何が変わったのかは、うまく説明できない。瞳の色が変わったわけではない。だが、目の焦点がずれた。私の顔ではなく、少し奥——壁を見ているのとも違う。何かを計算している時の目だった。


「十四基。ありがとうございます」


それだけ言って、オーレンは帳簿を抱え直し、廊下を歩いていった。


残されて、立っていた。


袖の中で、母の髪飾りの角が腕に当たっている。靴の中にある時より、少しだけ冷たい。


十四基。なぜ即答できたのか、と聞かれたら答えられない。答えたら、十四年間、全ての暖炉の灰を見てきたと言うことになる。


この人に、話してもいいのだろうか。この人の中身が見えない。


ただ——あの人の手が黒いことだけは、確かだった。


部屋に戻って、髪飾りを靴に戻した。中敷きの裏に押し込む。足を入れると、いつもの角が足裏に当たった。


三十七日。


法務書房の条文が頭の中で繰り返されている。「受益者本人の書面による同意を要する」。


同意書。


父は、私に何かの同意書を渡すつもりだ。誕生日に。何も知らない人形の手に。


知っている。もう、知ってしまった。

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