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人形のような公爵令嬢はお断りです。〜暖炉の灰で手紙を読める私は、自分の足で歩きます〜  作者: 秋月 もみじ


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第5話 洗濯場の油紙


洗濯場に入ると、湯気で何も見えなくなった。


石鹸と灰汁の匂いが鼻の奥に詰まる。目が慣れるまで、白い霧の中に立っている。湯を沸かす大きな釜が二つ、壁際で音を立てている。その向こうに、ベルタの背中があった。


「ベルタ」


聞こえない。いつもそうだ。


近づいて、肩の横に立った。


「ベルタ」


「ああ、お嬢様。おはよう」


振り返ったベルタの手が見えた。赤い。私の手より赤い。関節が腫れて、指が少し曲がっている。冬の水仕事だ。毎年悪くなっている。


「油紙、ありますか」


「そこの棚の上。肉屋のが余ってるからね、好きなだけ持っていきな」


ベルタは洗濯板に向き直った。それだけだった。何に使うのか聞かない。一度も聞いたことがない。耳が遠いから聞き逃しているのか、興味がないのか。たぶん、両方だ。


棚の上に、油紙の束があった。肉の包装に使う、安くて薄い紙だ。脂の染みがところどころについている。これを小さく切って、灰の紙片を保存する。


刃物はないので、爪で折り目をつけて裂いた。紙片一枚分の大きさに、六枚。袖口に入れた。


ベルタの隣に少し立っていた。


用事は終わった。油紙はもらった。帰ればいい。だが、すぐには動かなかった。


洗濯場は湯気で温かい。北向きの私の部屋より、ずっと温かい。ベルタは洗濯物を揉んでいる。ごしごしという音が規則的に響く。耳が遠いベルタは、私がそばに立っていても気にしない。話しかけてこない。何かを求めてこない。


この屋敷で、用事がなくても隣にいられるのは、ベルタだけだ。


ベルタが私を好いているわけではない。特別に思っているわけでもない。洗濯場に来る令嬢を追い返す理由がないだけだ。


それで十分だった。追い返されないということは、いてもいいということだ。


ベルタの手の甲に、新しい擦り傷があった。洗濯板の角で切ったのだろう。薬を塗った方がいい。だが今の私には薬を持ってくる余裕がない。自分の作業手袋のほつれすら直せていない。


「お客さんが多いと洗い物も増えるよ」


ベルタが独り言のように言った。声が大きい。耳が遠いから、自分の声の大きさが分からない。


「そうですね」


「文書管理局だっけ。お偉いさんが来てるんだろう。シーツの替えが足りないよ」


ベルタにとって、文書管理局は「シーツの替えが足りなくなる原因」でしかない。帳簿を調べるとか、不正の調査だとか、そういうことはベルタの世界にはない。洗い物が増えた。それだけ。


「ベルタ、その文書管理局の方が、使用人に聞き取りをしていると聞きましたが」


「ん?」


「聞き取り。お話を聞いて回っているそうです」


「ああ、来たよ。昨日。若い男の人。何か聞かれたけど、よく聞こえなくてねえ」


手が止まらないまま、ベルタは言った。


「何を聞かれましたか」


「暖炉のことだったかねえ。灰捨てはどうしてるかって。最近はお嬢様が手伝ってくれるって言ったよ。ありがたいことだって」


手が止まった。


私の手が、ではない。ベルタの手は動いている。止まったのは、私の中の何かだ。息だったかもしれない。


オーレンが、ベルタに聞いた。灰捨てのことを。そして、ベルタは答えた。お嬢様が手伝っている、と。


「ベルタ、ほかに何か聞かれましたか」


「さあねえ。耳が遠いから半分は聞き逃したよ。お嬢様はいい子だって言ったかな。毎朝手伝ってくれるって」


ベルタは何も悪くない。聞かれたことに答えただけだ。嘘をつく理由もない。


だが、オーレンは今、知っている。公爵令嬢が毎朝、暖炉の灰捨てを手伝っている。


あの人は文書管理官だ。灰と紙の関係を知っている。指が黒ずむ理由を知っている。


灰捨てを「手伝っている」令嬢。指が黒い令嬢。暖炉が多い屋敷。


あの人の頭の中で、何かが繋がっただろうか。


「ありがとうございます、ベルタ」


「はいはい」


ベルタは洗濯に戻った。私のことはもう見ていない。



洗濯場を出て廊下を歩いていると、ゾフィーとすれ違った。


「お姉様、洗濯場にいたの? 髪に湯気の匂いがする」


「ベルタの手伝いを少し」


「お姉様は働き者ねえ」


ゾフィーは感心したように言った。嫌味ではない。この子は本当にそう思っている。


「ねえお姉様、文書管理局の方、昨日食堂で見かけたんだけど」


「ええ」


「お姉様みたいに暗い顔をしてたわ」


継母がいたら叱られる発言だ。だがゾフィーは言った後に「あ、ごめんなさい、変なこと言っちゃった」と付け足した。


「いいのよ」


暗い顔。


パーティで「人形のよう」と言われ、ゾフィーには「暗い顔」と言われる。この家の人間にとって、私の顔はそういう意味しか持たない。


オーレンも暗い顔だと、ゾフィーは言った。紙ばかり見ている人間の顔は、暗くなるのかもしれない。私も、あの人も。


「ゾフィー、お父様は今日はどちらに」


「朝から出かけてた。お馬車で。マルテお母様が機嫌悪かったわ」


父が出かけた。馬車で。


赤い泥のことを思った。昨日の靴底。東の外れ。今日もそちらへ行ったのだろうか。


「ありがとう」


ゾフィーに微笑んで、自室に向かった。ゾフィーは手を振って、自分の部屋へ戻っていった。


この子は何も知らない。何も知らないまま、笑っている。


それが時々、とても眩しくて、少しだけ腹が立つ。腹が立つ自分が嫌で、それ以上は考えないようにする。



夜。


部屋に戻って、油紙の束を机に広げた。


古い油紙から順に、保存してある紙片を出していく。日付順に並べる。三ヶ月分。


並べていて、手が止まった。


三ヶ月前の紙片が、変色していた。


油紙の中で湿気を吸ったのだ。北向きの部屋は結露がひどい。壁が濡れる。その湿気が、油紙を通して紙片に移っている。


指で触れた。文字の痕跡が滲んでいる。読めたはずの文字が、灰色の染みに変わりかけていた。


苛立った。


声にはしなかった。だが、指先に力が入った。油紙を机に押しつけるように置いて、しばらくそのままでいた。


三ヶ月前の紙片には何が書いてあったか。手帳を開いて確認した。暗号化した数字を読み返す。「——売」の一文字。「年」の一文字。この二つは手帳に記録が残っている。だが、紙片そのものが劣化すれば、後から読み直すことができなくなる。


記録する。紙片が消える。記録だけが残る。


だが記録は暗号だ。私以外には読めない。そして紙片がなければ、記録が正しいことを証明する手段がない。


灰の断片を拾い集めても、保存する環境がない。北向きの暖炉のない部屋。湿気。結露。蝋燭の残りはあと三本。インクも減っている。


集めているのに、少しずつ失われていく。


劣化していない紙片を並べ直した。


「ヴォル」——二週間前。

「伯」「領」——十日前。

「ヴォルフ」かもしれない断片——十日前。

「区」「画」「境」——昨日。


並べて、日付を見比べた。


「ヴォル」が出た週と、「区」「画」が出た週。灰の紙片の出現時期が重なっている。同じ時期に、同じ話題について手紙が交わされた可能性がある。


「伯」「領」「区画」「境」。伯爵。領地。区画。境界。


そして——「二十歳になる前に」。


私の誕生日を数えた。指で。


四十日。


四十日で、私は二十歳になる。父が「急げ」と言った期限まで、四十日しかない。


何が起きようとしているのか、灰の断片だけでは全体が見えない。


ただ、断片の量は増えている。父が焦っている。文書管理局が来ている。そして、オーレン・カレスは今日、ベルタから「お嬢様が灰捨てを手伝っている」と聞いた。


油紙を一枚ずつ折り直して、紙片を戻した。劣化した三ヶ月前の紙片は、これ以上触ると崩れそうだった。そっと油紙に包んで、机の引き出しの一番奥に入れた。


引き出しを閉めた。


四十日。


指を広げた。両手で十。十が四つで、四十日。四回も繰り返さないと届かない数なのに、短いと思った。


子どもみたいな数え方だった。でも、手帳に数字で書くより、指を折った方が、四十という数の軽さが手に伝わった。

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