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人形のような公爵令嬢はお断りです。〜暖炉の灰で手紙を読める私は、自分の足で歩きます〜  作者: 秋月 もみじ


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第4話 靴磨きの報酬


父の靴底についた泥は、見たことのない色をしていた。


赤い。赤というより、錆色に近い。普段の外出で踏む王都の石畳は灰色の泥しかつかない。この赤い土は、王都の中心部にはない。


靴磨きの布を手に取って、底を拭いた。泥が布に移る。乾きかけていて、粉になるところと、まだ湿っているところがある。昨日の夕方から今朝にかけて、父はどこかへ出かけた。赤い土のある場所へ。


どこかは、まだ見当がつかない。泥の色だけでは場所を特定できない。


ただ、手帳に書いておく価値はある。



靴磨きは、三年前から私の仕事だった。


正確には、仕事として命じられたわけではない。父の靴が書斎の入口に出されるようになったのは、以前の従者が辞めた後だ。誰も拾わなかった靴を、私が磨いて返した。それ以来、習慣になった。


習慣の始まりはただの気まぐれだった。だが今は、この習慣に別の意味がある。


靴を取りに書斎に入る。磨いて返しに行く。一日二回、書斎の前を堂々と通れる。暖炉の灰を見る時間が取れる。


今朝も書斎の入口に靴が出ていた。左右揃えて、つま先を廊下に向けて。父の癖だ。


靴を持ち上げて、自室に持ち帰った。


北向きの部屋。床に古い布を敷いて、膝をつく。石畳が布越しでも冷たい。冬の朝はいつもこうだ。膝の皮が硬くなっている。


右の靴から磨く。靴墨の蓋を開けると、独特の匂いが鼻を突いた。油と蝋と、少しだけ酸っぱい匂い。この匂いは爪の間に入り込んで、石鹸で洗っても一日中消えない。灰の黒ずみに靴墨の匂い。私の手は、いつも何かの痕跡を持っている。


靴底を見る。


赤い泥のほかに、小石が一つ挟まっていた。丸い砂利。川辺の石だ。王都の中心にはない。東の外れに川が流れている。そこなら赤い土と川砂利が揃う。


東の外れ。


何があるかは知らない。だが、手帳に書く。泥の色、石の形、靴底の減り方。



靴を磨き終えて、書斎に返しに行った。


廊下を歩く。オーレン・カレスが屋敷に滞在して三日目だ。帳簿を調べているらしい。どの部屋で作業しているのかは、ハンナの話から客間の隣の小部屋だと分かっている。


書斎の扉は開いていた。父は朝食を終えて出かける準備をしている。居間にいるはずだ。


靴を入口に置いた。揃えて、つま先を部屋の中に向けて。取りやすいように。


置いた後、暖炉に目をやった。


灰受けが見える。昨日ベルタの手伝いで掻き出したばかりだが、また少し溜まっている。父が夜のうちに何か燃やしたのだろう。


だが今は取れない。父がいつ戻るか分からない。次に取れるのは、夕方の靴磨きの時か、夜だ。


書斎を出た。


廊下で、足音がした。


振り返ると、オーレンだった。小部屋から出てきたらしい。手に帳簿を一冊持っている。表紙が古い。紐で綴じてある。


目が合った。


「おはようございます」


私が先に言った。


「おはようございます。——アシュフォード嬢」


オーレンは立ち止まった。帳簿を持つ手が、少し下がった。


私の手元に視線が来た。一瞬。前回と同じだ。この人は手を見る。


今朝は作業用の手袋をしていない。靴磨きの後で、指先に靴墨がついている。灰の黒ずみの上に、靴墨の茶色が重なっている。


匂いも出ているだろう。靴墨の、あの油と蝋の匂い。


「靴墨ですか」


オーレンが言った。質問ではなかった。確認するような口調。独り言に近い。視線が一瞬、私の裾の下に落ちた。膝。石畳に膝をつく生活で、裾の膝あたりの布が白く擦れている。


「父の靴を磨いていましたので」


「公爵のご令嬢が、靴を」


声に驚きはなかった。ただ、事実を並べるような言い方。


「従者がおりませんので」


嘘ではない。従者は辞めた。その後を私が引き受けた。引き受けた理由までは、言わない。


オーレンは何か言いかけて、やめた。口が少し開いて、閉じた。代わりに帳簿の表紙を親指でなぞった。無意識の癖だろう。紙を触る人間の癖。


「失礼しました」


私は軽く頭を下げて、その場を離れた。


背中にオーレンの視線を感じた。見ているのか、見ていないのか、振り返らなかったから分からない。



昼前に、継母が私の部屋に来た。


珍しいことだった。継母が北向きの部屋に来ることはめったにない。


「リーネさん」


扉の前に立って、中には入らなかった。部屋を見回すような視線を一度だけ送った。机の上の手帳と、靴磨きの道具と、作業用手袋が目に入っただろう。


「最近、書斎の前をよくうろうろしていない?」


「お父様の靴を取りに行っているだけです」


「……そう」


継母は腕を組んだ。この人が腕を組む時は、疑っている時だ。


「文書管理局の方がいらしている間は、書斎の周りをうろつかないでちょうだい。余計なことを——」


言いかけて、止まった。


「余計なことを、なんですか」


聞き返した。穏やかに。声は変えない。


継母の目が少し細くなった。


「あなたには関係のないことよ」


それだけ言って、継母は廊下を戻っていった。足音がきびきびしている。苛立っている時の歩き方だ。


関係のないこと。


靴磨きを取り上げられたわけではない。取り上げると、代わりに書斎の靴を回収する人間が必要になる。使用人を入れれば、その使用人が書斎の中を見る。それは継母にとっても都合が悪い。


だから、靴磨きは続けられる。ただし、うろつくなと釘を刺された。



夕方、靴磨きの二回目。


書斎に靴を返しに行く時、暖炉の灰受けを引いた。


父は夕食の支度で居間にいる。継母もゾフィーと一緒だ。今なら数分は使える。


作業用手袋をはめて、ふるいにかけた。


紙片が三枚出てきた。


一枚目。「区」。一文字。


二枚目。「画」。一文字。


三枚目。かろうじて読める。「境」。


「区」「画」「境」。


バラバラだ。一つの単語の一部なのか、別々の文書から出た文字なのかも判断がつかない。「区画」と「境」かもしれない。「区」と「画境」かもしれない。一文字ずつバラバラに出てくる。どう繋げるかは、自分で考えるしかない。


油紙に包んで、袖に入れた。灰受けを戻し、靴を置いて、書斎を出た。


膝が痛い。朝と夕方の二回、石畳に膝をつく生活を三年やっている。右膝の皮が特に硬い。



部屋に戻って、手帳を開いた。


ここ三ヶ月の記録を並べ直した。


「ヴォル」——三文字の断片。二週間前。

「伯」——一文字。三日前。

「領」——一文字。三日前。

「ヴォルフ」かもしれない五文字以上の断片——三日前。

「区」「画」「境」——今日。


そして、書斎の前で聞いた父の声。「あの子が二十歳になる前に」。


並べた。


繋がらない。


「ヴォル」と「伯」と「領」と「区画」と「境」。伯爵。領地。区画。境界。全部そういう意味の断片かもしれない。まったく別の文脈から出た文字かもしれない。


あと一枚、決定的な紙片が出れば繋がるのかもしれない。だが明日の灰にそれが出る保証はない。


手帳を閉じた。


閉じてから、もう一度開いた。


靴底の泥のことを書き忘れていた。赤い泥。丸い砂利。東の外れ。


数字に変換して書き込んだ。インクが薄い。瓶の中身が減っている。水で薄めればまだ使えるが、文字がさらに薄くなる。


窓の外は暗い。北向きの部屋に月明かりは入らない。


蝋燭の残りを見た。あと三本。一本で二晩は持たせないと、月末まで足りない。


灰の断片は増えている。手帳のインクは減っている。蝋燭も減っている。


記録する材料は増えるのに、記録する道具が足りなくなっていく。


机の上に、靴磨きの布が置いてある。赤い泥の染みが、まだ湿っていた。

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