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人形のような公爵令嬢はお断りです。〜暖炉の灰で手紙を読める私は、自分の足で歩きます〜  作者: 秋月 もみじ


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第3話 文書管理官の指


来客の右手が、玄関の光の中で一瞬だけ見えた。


人差し指と親指の腹が、黒ずんでいる。


私はその手のことを、しばらく考えていた。台所へ向かう廊下を歩きながら、あの黒ずみのことだけを考えていた。


炭化した紙を繰り返し触った手だ。灰の中から紙片を拾い上げ、指の腹で表面をなぞり、残ったインクの跡を確かめる。そういう手だ。


私の手と、同じ色をしている。


台所を通り過ぎた。何をしに来たのか一瞬忘れていた。



午前中、使用人のハンナが慌ただしく廊下を行き来していた。


「お嬢様、旦那様が、お嬢様は部屋にいるようにと」


「何かあったの」


「王家の文書管理局の方がいらしていて。帳簿の確認をなさるとか。しばらくお泊まりになるそうです」


文書管理局。王家直属の記録機関。古文書の管理、文書の真贋鑑定、損傷文書の修復。そして——帳簿や報告書の不正調査。


「分かりました」


部屋にいるように、と言われた。だが、父が客間で来客の相手をしている間、書斎は空いている。


靴磨きの日ではない。だが書斎の前の廊下を通ることは禁じられていない。



書斎の扉は開いていた。父が客間に行く時、鍵をかけ忘れたらしい。来客の対応で気が急いていたのだろう。


暖炉を覗いた。


薪が樫だった。


普段は楢を使う。樫は高い。来客がある時だけ樫に替える。見栄のためだ。だが問題は薪ではない。灰の量だ。


昨日の夜から今朝にかけて、普段より多く燃やしている。薪だけではこうならない。紙を燃やすと灰の質が変わる。軽くなる。薪の灰は重く、紙の灰は白っぽく浮く。


この暖炉から、白い灰が多く出ている。


来客の前に、何かを燃やした。文書管理局の人間が来る前に。


灰を掻き出したかったが、今は無理だ。父がいつ戻るか分からない。夜まで待つしかない。


書斎を出て、廊下に戻った。


その時、客間から人が出てきた。


客人の男だった。


近くで見ると、朝よりはっきり分かった。二十代の後半。髪は短く、外套は安い染料の紺色。襟元がやや擦れている。貴族の出だとしても、裕福ではない。靴は革だが底が薄い。よく歩く人間の靴だ。


目が合った。


「——失礼、お手洗いの場所をご存じですか」


声は低いが、早口ではない。


「突き当たりを右です」


答えながら、自分の手を意識した。作業用の手袋はしていない。袖口から指先が出ている。黒ずみが見える。


客人の視線が、一瞬だけ私の手に落ちた。


一瞬だった。すぐに視線は私の顔に戻った。だが、見た。この男は私の手を見た。


「ありがとうございます。——あなたは?」


「長女のリーネです」


「王家の文書管理局、次席官のオーレン・カレスです」


軽く頭を下げられた。私も返した。


オーレンの右手が視界に入った。黒ずんだ指。私と同じ色。


文書修復官なら、そういう手になる。炭化した古文書や損傷した紙を毎日触っていれば。


だが、この人は私の手も見た。


公爵令嬢の指が黒ずんでいる理由を、この人は考えているだろうか。


「この屋敷は暖炉が多いですね」


オーレンが言った。手洗いの方角を見ながら、独り言のような声で。


「冬が長いものですから」


答えた後で、この会話の意味を考えた。暖炉が多い。紙を燃やしやすい。文書管理官が最初に確認することは、証拠を消す手段の有無だろうか。


それとも、ただの世間話だろうか。


相手の意図が読めない。表面しか見えない。


オーレンは軽く会釈して、廊下の奥へ消えた。


残されて、しばらく廊下に立っていた。何を考えていたのか、自分でもよく分からなかった。あの手のことだけがぼんやりと残って、それ以外が全部白くなっているような、奇妙な時間だった。


廊下の天井に染みがあった。雨漏りの跡だ。もう何年も前からある。数えたことがある。七つ。今も七つ。どうでもいいことを確認している自分がいた。


ハンナが廊下の向こうから歩いてきて、我に返った。



夕食は家族だけだった。オーレンには別室で食事が出されたらしい。


父は食事中、一度も私を見なかった。普段通りだ。普段通りなのに、「あの子が二十歳になる前に」という言葉と、文書管理局の来訪が並ぶと、同じ食卓の空気が少し違って感じられた。


ゾフィーが「文書管理局の方、お姉様みたいに暗い顔をしてたわ」と言った。


継母がゾフィーの手を軽く叩いた。「そういうことを言うものではありません」


ゾフィーは口をつぐんだ。だが、悪気はない。この子にはいつも悪気がない。


暗い顔。私に似ている、と言われた。人形のような顔と暗い顔は、似ているのだろうか。


それは考えても仕方がないので、スープの脂を匙で寄せた。今日のスープも、ぬるかった。



屋敷が寝静まった後、書斎へ行った。


扉は施錠されていなかった。朝と同じだ。来客の対応で父の習慣が崩れている。普段なら就寝前に鍵をかける。今日はかけ忘れている。


暖炉の前にしゃがんだ。


灰受けを引き出す。重い。いつもの倍はある。


作業用の手袋をはめて、ふるいにかけた。冬の夜の書斎に暖房はない。暖炉は消えている。自分の息が白い。


紙片が出てきた。


一枚。二枚。三枚。四枚。


四枚。


先週は一枚だった。一昨日は一枚。今日だけで四枚。


手袋を外して、指の腹で一枚目をなぞった。鉄媒染のインク。焼け残った文字。「伯」。一文字だけ。


二枚目。「——領」。


三枚目。何も読めない。焼けすぎている。


四枚目。端が丸く焼けているが、二文字残っていた。「ヴォルフ」——いや、違う。よく見ると「フ」の後にもう少し画がある。五文字か六文字の単語の一部かもしれない。


暗い。蝋燭を持ってくるべきだった。月明かりだけでは灰の上の薄い文字を読む精度が足りない。


四枚を油紙に包んだ。


灰受けを元に戻し、書斎を出た。


部屋に戻る廊下を歩きながら、手帳に記録しなければと思った。だが部屋に着いた時、机の前に座ったまま、しばらく手帳を開けなかった。


四枚の紙片が袖口の中で腕に当たっている。油紙の厚みが、いつもより分かる。


四枚。一晩で四枚。


誰かが焦っている。文書管理局の人間が来て、帳簿を調べると聞いて、燃やせるものを燃やしている。


そして、あの男の手が黒かった。私と同じ色だった。


この人は灰を読む必要がない。帳簿を直接見る権限を持っている。灰から断片を拾うしかない私とは違う。


油紙を袖から出して、机の上に置いた。四枚分の小さな膨らみ。


手帳を開いた。インクの瓶を両手で温めた。数字を書き始めた。


手が止まった。


あの人の指が、頭から消えない。

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