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指し示された山脈は、近くで見ると一層の険しさを増していた。切り立った岩肌と重苦しい雲が山頂を覆っている。
「ここからは『山越え衆』を雇う。俺たちだけじゃ、この荷物は守りきれねえからな」
ザルガスの言葉通り、山の麓にある宿場には、物々しい装備に身を包んだ魔族の用心棒たちが控えていた。彼らは独自のルートと魔物避けのノウハウを持つ、山越えの専門職だ。ザルガスは手慣れた様子で金貨を支払い、数名の混成部隊を雇い入れた。
馬車を囲むようにして、一行は険しい登り坂へと足を踏み入れた。
「……来るぞ。構えろ!」
山道の中腹、岩陰から唸り声が響いた。
現れたのは、鋭い爪を持つ「岩飛び猿」の群れだ。だが、山越え衆は慌てない。一人が呪文を唱えると、弓矢に青白い炎が宿り、正確に猿たちの足元を射抜いていく。
「見事なもんだな。土魔法で退路を塞げば一網打尽に――」
ケンジが指を鳴らそうとしたその時、横からザルガスの太い腕が伸びてきて、その手を抑え込んだ。
「よせ、ケンジ。余計なことをするんじゃねえ」
ザルガスの声は、かつてないほど厳しかった。
「……手伝おうとしただけだ。効率よく片付くだろう?」
「効率だと? ふざけるな、あいつらの仕事を奪う気か!」
怒鳴られ、ケンジは思わず言葉を失った。
「いいか、あいつらは命懸けで戦って報酬を得ているんだ。それをあんたが『ついで』で片付けちまってみろ。面目は丸潰れ、報酬を受け取る大義名分もなくなっちまう」
ザルガスは鼻を鳴らし、前方の用心棒たちに視線を戻した。
「あんたは何でもできる。それは分かってるさ。だがな、世の中にはできない奴の方が圧倒的に多いんだ。あんたの『効率化』が誰かの生活を壊すこともあるんだぜ」
「……すまない。そこまで考えていなかった。反省するよ」
ケンジは静かに手を下ろした。ここは魔族の国。そして、自分は「グランヴェール王国の使者」なのだ。
「改めて気を付けるよ。……教えてくれて助かった。ありがとう、ザルガス」
真っ直ぐに礼を言うと、ザルガスは毒気を抜かれたように「ちっ」と舌打ちをした。
「……礼を言われるようなことじゃねえよ。ったく、人間ってのはどいつもこいつも、たまにおかしなところで素直になりやがる」
照れ隠しに馬を急がせるザルガス。
リィザが隣で「ザルガスはいい奴ね。最高の案内役を引いたみたいね」と小さく笑った。
(マスター、社会学的見地からの抑制、お見事です。……でも、私の計算リソースが余って暇なのですが、どうしましょう?)
「今後のシミュレーションとか色々やることあるのに暇なわけないだろ」
少し浮かれていたケンジの心にザルガスの言葉は重く、かつ、確かな指標として刻まれた。




