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アルザス平原の冷たい風を背に、ケンジとリィザは一ヶ月半ぶりにグランヴェールの王都へと足を踏み入れた。
カッセル砦の防衛体制を整えた二人の表情には、疲労よりも晴れやかな事務的達成感が漂っていた。
王城の謁見の間。国王を前にケンジは報告を始めた。
「……以上の通り、カッセル砦の防衛設備は土魔法による補強を完了し、兵士たちの練度もレムリアの正規騎士団を正面から押し返す水準に達しました。今後は、こちらから攻め出る必要はありません。専守防衛に徹するだけで、レムリア側は攻めるたびに膨大な損失を出すことになります」
「……にわかに信じがたい内容だが、レムリアが敗走したという報が届いている。ケンジ、そしてリィザよ。大義であった」
国王は深く頷くと、傍らに控える大臣に視線を送った。
「帝国の状況はどうだ?」
「はっ。ケンジ殿が手配した物流ルートと食料支援が功を奏し、あちらの民にも食料が行き渡り始めました。また、あれほど頻発していた略奪報告も、今ではぱたりと止んでおります」
「……信じられんな。剣ではなく、パンで帝国を静めるとは」
国王の感嘆を余所に、ケンジは淡々と本題を切り出した。
「懸念されていた北の魔族、西のレムリア、南のガレリア……。直近の大きな憂いは取り除けたかと思います。そろそろ、我々もカレンベルクへ帰らせていただきたいのですが」
「待て、ケンジ。まだ根本的な解決には至っておらん。レムリアもガレリアも、依然として敵対の意志を捨ててはおらぬぞ?」
国王の懸念はもっともだったが、ケンジは薄く微笑むだけで動じない。
「……種はすでに蒔きました。ガレリアはドラン殿による食料供給で身動きが取れず、レムリアは今回の敗北と、私が放った『毒』によって、近いうちに内部から動きがあるはずです。あとは時間の問題ですので、王都の方々にお任せしても問題ないかと」
国王は半信半疑の面持ちだったが、言葉を飲み込んだ。
「こちらも無理に働かせたからな……。そこまで言うのであれば、お主を信じよう。ただ、問題が起きた場合はまた来てもらうぞ。ところで、今回の功績、何をもって報いるべきか。望みがあれば申してみよ」
ケンジは少し考えた後、意外なほど控えめな、しかし彼らしい要求を口にした。
「では……国で保管されている古い魔導書を閲覧させていただけないでしょうか。それと……」
「それと?」
「王宮で一番の甘いものを。砦には甘味が一切なかったので、リィザも私も、少々糖分が不足しておりまして」
その場にいた騎士や大臣たちが、思わず拍子抜けしたように顔を見合わせた。魔族を退け、国境を安定させた英雄の要求が「読書」と「お菓子」だというのだ。
「ふ、ふはは! よい、許可しよう! 最高の菓子職人を呼び、魔導図書館の鍵を預けよ!」
数刻後。王宮の一室で、山のように積まれた様々な菓子を前に、リィザが目を輝かせていた。
「……やっぱり、王都のお菓子はレベルが高いわね。これだけが心残り」
「砦のことは心配じゃないのかよ……。まあお前は良くやっていたから彼らは大丈夫だけどな」
リィザは甘い茶を啜りながら、ケンジは古い装幀の魔導書を開きながら、久々の休息を満喫した。




