2、監査請求
五日後の夕方だった。店じまいの支度を始めたミアの前で、跳ね扉が乱暴に開いた。
「ミアさんっ! リトが、リトがっ!」
血の気の引いた顔の少年が三人、ぐったりとしたリトを担ぎ込んでくる。太ももに巻いた布が、赤黒く染まっていた。
「ド、ドルガさんに、ついてこいって言われて……猪型の依頼で、牙で……」
(あの依頼……!)
その日の当番だったセラが駆けつけ、リトの脚に手を当てた。白い光があふれ、傷口に吸い込まれていく。長い、長い治癒だった。
やがてセラが、額の汗をぬぐって振り返った。
「……生命は取り留めました。ですが、杖なしで歩けるようになるかまでは……この先は神殿の高位の術士でなければ……その……治療費がかなりかかります」
「ギルドが出します」
ミアは即答した。
「ギルドの依頼で怪我をした冒険者の治療費は、ギルドが負担する。規約の第百三条です」
「ほう? 誰の依頼で、かね」
いつの間にか、バルタスが階段の途中からこちらを見下ろしていた。
「その小僧は依頼など受けておらん。受けたのはドルガだ。治療費を請求する権利はドルガにあり、受け取るのもドルガだ。規約どおりだな」
「その治療費を! ドルガさんが自分のものにしてるんじゃないですかっ!」
言ってから、ミアは自分で驚いた。ただの噂を、口に出してしまった。
だが、バルタスは眉ひとつ動かさなかった。
「だとしても、だ。支払われた金がどう使われているか、ギルドの関知するところではない」
ゆっくりと階段を下り、バルタスはミアの目の前に立った。
「いいか。おまえひとりが騒いだところで、なにも変わらん。受付嬢の代わりなんて、いくらでもいるんだ。……我慢しろ。それで丸く収まる」
ミアは、なにも言い返さなかった。
言い返す代わりに、その夜、一枚の書類を書いた。
規約第二百十一条。支部の職員は、支部長の職務に疑義があるとき、本部に直接、監査を請求することができる。
宛先は、リーンのギルド本部。
その一枚の紙に、ミアは一縷の望みを託した。
◇
七日後の朝、黒い外套の女が跳ね扉から入ってきた。
年のころは三十すこし。背筋はまっすぐに伸び、灰色の目には感情の色がない。
「本部監査室から参りました。上級監査官のヴェルナと申します」
「これはこれは、わざわざこんな辺鄙なところまで。しかし本部もお暇と見える。どうせ、うちの受付嬢の思い込みですぞ」
愛想笑いをするバルタスには答えず、ヴェルナは「書類を」とだけ言った。
監査は丸一日かかった。帳簿、受注票、完了報告、買い取り伝票。ヴェルナは倉庫にこもり、口を閉じたまま紙をめくりつづけ、夕方、ようやく顔を上げた。
「――書類に、不備はありません」
ミアの胸の奥が、すっと冷たくなった。
翌日には、ドルガとその依頼に同行したことのある低ランクの少年たちが集められた。だが、誰もが床を見つめたまま口を開かない。
ドルガが、少年たちを険しい目で見据える。
魔晶石の買い取りは、冒険者ギルドだけに許されている。裏取引はご法度だ。
たとえ魔獣を狩れるだけの実力があったとしても、ギルドににらまれれば依頼も受けられず、魔晶石も売れない。冒険者はこの街で生きていけないのだ。
松葉杖を抱えて椅子に座ったリトさえ、目を伏せて小さく言った。
「……俺が、勝手についていっただけです。ドルガさんは悪くないです」
「でも、リトは神殿で治療を受けてないじゃないですか!」
「俺は忙しくてな。まだ、連れていってないだけだ。まだな」
薄ら笑いを浮かべて、ドルガが言った。
「聞いたかね、監査官殿――」
バルタスが椅子の背にもたれ、勝ち誇った顔でミアを見た。
「これだから村から出てきたばかりの新米は困る。空回りだけは一人前だな」
(落ち着け、わたし。まだ、終わってない)
ミアはひとつ息を吸い、ヴェルナに顔を向けた。
「監査官さま。すこしだけ、お時間をいただけますか」
「どうぞ」
「先月の十二日、ドルガさんは旧ガヤルド王国領で狼型の中型一体を討伐した、と完了報告に書いています。ですが、旧ガヤルド王国領までは、街道を南に二日かかるんです。……十二日の昼、ドルガさんはこのカウンターで魔晶石を売っていました。買い取ったのは、わたしです」
「あぁ?」
椅子にふんぞり返っていたドルガが口を開いた。
「討伐の日付なんざ、帰った日を適当に書いてるだけだ。狩ったのはその前で、魔晶石は溜めてたのをまとめて売った。それだけだろうが!」
ヴェルナが手元の書類に目を落とし、静かに言った。
「……完了報告における討伐日の記載は、義務ではありません。不備には当たりません」
(くっ)
「なら、もうひとつあります」
ミアはまっすぐにドルガを見た。
「一年前、あなたがこの支部に登録したときの判定を記録したのは、わたしです。あのときのあなたは――ランク2でした」
周りにいた冒険者たちが、ざわついた。
「半年で、2から4。リトは一年魔獣を狩りつづけて、ようやく2です。……いくらなんでも、早すぎませんか?」
「早かったらなんだってんだよ!」
「いまここで、もう一度判定を受けてください」
「断る」
即答だった。
「判定は本人が申し出なきゃできねぇ決まりだ。なあ、支部長よぉ?」
「そのとおり」
バルタスが重々しくうなずいた。
「規約により、判定の強制はできん。だいたい、ドルガはこの支部一番の功労者だぞ。寄ってたかって疑うとは、いい加減にしたまえ」
(ここまで、なの……?)
ミアが唇をかんだ、そのときだった。




