第13章 違和感
秋の風が少しずつ冷たくなり始めていた。
健一と由香が出会ってから半年以上が過ぎていた。
二人は以前よりも頻繁に連絡を取り合うようになっていた。
朝起きて「おはよう」。
昼休みに「今日は忙しいですね」。
夜になれば「お疲れさま」。
それはもはや習慣だった。
健一にとって由香とのやり取りは、一日の中で最も楽しみな時間になっていた。
由香も同じだった。
しかし、その変化は本人たちだけでなく、周囲にも少しずつ伝わり始めていた。
⸻
ある日の夕食。
由香は夫の拓也と向かい合って食事をしていた。
テレビではバラエティ番組が流れている。
いつもと変わらない夜だった。
しかし拓也はふと気になった。
最近、由香がよくスマートフォンを見る。
以前はそこまでではなかった。
食事中。
ソファに座っている時。
寝る前。
通知が鳴るたびに画面を確認している。
そして時々、嬉しそうに微笑む。
「最近、何かいいことあった?」
拓也が何気なく聞いた。
由香は一瞬だけ表情を曇らせた。
「え?」
「なんか機嫌いいからさ」
「そうかな」
「うん」
由香は笑顔を作った。
「別に何もないよ」
嘘ではない。
そう思いたかった。
しかし胸の奥が少し痛んだ。
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その頃、健一もまた変化を感じていた。
由香との関係が深まるほど、不安も大きくなっていた。
会える日は嬉しい。
だが会えない日は落ち着かない。
メッセージの返信が遅いだけで気になってしまう。
以前の自分では考えられないことだった。
ある日、由香から連絡が来た。
『今日は少し返信遅くなるかもしれません』
『どうしたんですか?』
『夫と食事に行くことになって』
その文章を見た瞬間、健一の胸に小さな痛みが走った。
当たり前のことだ。
由香は既婚者。
夫婦で食事をすることに何の不思議もない。
頭では理解している。
それでも心は違った。
自分でも認めたくない感情が少しずつ大きくなっていた。
⸻
数日後。
二人は都内のカフェで会っていた。
窓際の席。
コーヒーの香りが漂う。
由香はどこか疲れた表情をしていた。
「大丈夫ですか?」
健一が聞く。
由香は苦笑した。
「最近ちょっと」
「何かありました?」
「夫が変なんです」
健一の心臓が一瞬止まったような気がした。
「変?」
「なんか私のことをよく見てるんです」
由香はコーヒーカップを両手で包む。
「スマホ見てると気にするし、誰と連絡してるのか聞いてくるし」
健一は言葉を失った。
ついに来たのかもしれない。
そう思った。
⸻
由香の夫・拓也は確信こそ持っていなかった。
だが違和感は日に日に大きくなっていた。
以前の由香は家で笑うことが少なかった。
ところが最近は違う。
どこか楽しそうなのだ。
それは悪いことではない。
むしろ喜ぶべきことかもしれない。
しかし夫婦でいる時に見せる笑顔とは少し違う気がした。
ある夜。
由香が風呂に入っている間、リビングのテーブルにスマートフォンが置かれていた。
通知が表示される。
名前は見えない。
だがメッセージアプリだった。
拓也は視線を向ける。
手を伸ばしかける。
しかしやめた。
そこまでして確認したくはなかった。
信じたい気持ちもあったからだ。
⸻
一方で由香も危機感を抱いていた。
帰宅後のメッセージを減らす。
通知を非表示にする。
スマートフォンを手放さない。
そんな行動が増えていた。
だが、その行動こそが不自然さを生んでいた。
ある晩。
由香は健一にメッセージを送る。
『少し気を付けた方がいいかもしれません』
数分後に返信が来た。
『何かあったんですか?』
『まだ大丈夫だと思います。でも少し疑われている気がします』
健一は画面を見つめた。
ついに現実が近づいている。
そんな予感がした。
⸻
その夜、健一はなかなか眠れなかった。
由香との思い出が頭を巡る。
初めて会った日。
海へ行った休日。
何気ないメッセージ。
笑顔。
声。
すべてが大切になりすぎていた。
失いたくない。
そう思う自分がいる。
しかし同時に理解していた。
この関係は危うい均衡の上に成り立っている。
少しでもバランスを崩せば、すべてが壊れてしまう。
その時はまだ誰も知らなかった。
終わりの始まりが、すぐそこまで来ていることを。
そして数週間後。
二人が最も恐れていた日が訪れることを――。




