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29.厨房の中の戦争

 厨房の中は戦場だ。

 もてなす客が少なくても、それは変わらない。


「今度は問題ない。出して」


 黄華(おうか)の返事に、若い職人は安堵の表情を見せる。作り直させること三度。ようやく及第の料理になった。


「後が控えてる。急いで」

「は、はい!」


 熱を持った竹蒸篭を給仕へ託し、職人は駆けていく。


「黄老板娘(あるじ)、こっちもお願いします!」


 一皿出したらすぐ次だ。

 万が一にも、客の皿が空くことは許されない。


(こればかりは私の失策だな)


 黄華は内心で呻く。

 城の職人だけでは足りず、急遽集めた職人ゆえ、腕不足は否めない。くわえて、設備がこの状態では。


(まさか蒸籠が消炭になるとは……)


 いきなり燃え上がる竈門に、歪な厚さの鍋やら。

 試作だけなら気にならない器具も、貴賓をもてなすとなれば役立たずも良いところだった。


「よし、大鍋二枚とも貸して! ……よく見ておけよ!」


 黄華は大振りの鉄鍋を二枚重ねて、その中に具材を入れた。

 歪な鍋底だと熱が逃げやすく均等に入らない。しかし、二枚重ねれば。


(熱を均等に入れやすい。逃げにくくなるから)


 ひと通り火を通し、味を確かめる。問題はない。

 だが、重たいのでもう絶対やりたくない。


「よし。盛りは頼むよ」

「はい」

「すいません、今度はこっちを!」

「いま行く!」


 目が回りそうだった。それでも、前日に黄華自ら仕込んでおいたのが功を奏している。

 職人たちが今日するのは、盛ったり蒸したりと、定型化しやすい作業ばかり。


(指示を聞くだけ、マシな方だ)


 女を頂点にした急拵えの体制。普通なら逃げ出されても不思議でないが、よく働いてくれている。

 完璧と言えないまでも、野宴を考慮すれば十分な品々だろう。


(その証拠に……)


 黄華は外の様子に意識を向ける。

 七弦琴(しちげんきん)の響きに合わせた、ゆったりとした曲笛(きょくてき)の旋律。そして、時折り混ざる笑い声。

 宴が和やかに進んでいる証左だと思いたかった。


「黄華殿。そろそろ、例の料理を」


 出ていく給仕を避けながら、桓範(かんはん)が近づいてくる。

 そろそろ本題と黄華は無言で頷く。


『例の料理』

 それは桓範らが千代(ちよ)を追放する材料にして、伊予(いよ)が食べたいと望んだ品。そして、黄華の切り札だった。

 どくどく、と鼓動が早まるのを感じる。


(千代にかかる呪いを解けば……)


 黄華は用意してあった三つの箱を重ねる。


「それで、黄華殿は一体、どんなものを?」

「秘密です」


 ここで桓範に中身を見せるわけにはいかない。

 興を削いでは、の一点張りで丁泉(ていせん)にすら知らせていないのだから。


「伊予様のお望みがその箱の中身でしょう? 丁泉様はお許しくださったが、私は不備なく外交会談を終わらせるのも務め。念のため、先に見聞させて欲しいのですが」


 ほとんど従順な桓範にしては、しつこい話だ。

 『不備ない外交会談』などと言っているが、桓範と黄華では、そもそも『不備』の意味が違う。


(東呉の護衛は丸腰でごく少数。なのに、荊央(けいおう)側は城内含め、あの人数……)


 何かひとつ、ごく些細な失着さえあれば、伊予と千代の運命は潰えたもの同然。

 黄華としては、それを『不備なく』などと認められない。


「残念ですが、お見せするわけにはいきません。この料理は、あの場にいる御三方のための物。香りのひとしずくさえ、漏らすことはできかねますから」

「それほど繊細な料理など、存在するとは思えませんが……」


 黄華は内心で舌を打つ。桓範は予想外に粘ってきた。

 彼には彼の事情があるのはわかる。けれど、ここはどう言い合っても平行線なのだ。


 仕方ない、と黄華は口端を歪める。

 この、優秀にして誠実な臣下、桓範の弱点を狙い打つ。

 この男は、真っ当であるがゆえに、予想や常識から外れると思考が停止する癖があった。


「桓範様……」


 黄華は箱を抱えたまま、桓範の正面に立った。

 そのまま間髪入れず一歩進み、体を伸ばして桓範の耳元に口を寄せる。


「なっ……!?」

「動かないでくださいまし。私も必死なのです。このお役目さえ、うまく言ったら……」


 黄華は思い出していた。

 酔って暴れる客を落ち着かせたことを。大事な金づ……もとい、太客をもう一度来店させるための秘訣を。


 耳元へ、吐息を混ぜながら囁きかける。


「わたしとあなたは、夫婦なのですから」

「えっ、あっ、う。そ、その話はあ……」


 慌て出した桓範を無視して、すたすたと黄華は進む。

 見えないのを良いことに、黄華は白けた表情で舌を出した。


(ちょろいやつ)

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