28.罠の宴
(やはり、似ていないな)
目の前を通り過ぎる宴の賓客へ、黄華は内心で呟いた。
下げた頭で覗く先には、白樺のような襦裙と紅山茶の簪を身に着けた老婆。その、やや垂れた目で杖の先を見つめながら歩いていく。
黄華は聞いていた。その老婆の運命は壮絶で数奇だったと。
三〇余年前、海隔てた壇州から奴隷として攫われてきたことに始まり、どういう経緯か異国の東呉で妃まで出世。
それに加えて、東呉で産んだとされる娘が、この荊央国の主に嫁いでいるのだから、人生とはわからない。
(とはいえ、そんな女傑みたいな人物も、今では背を曲げ白髪……か)
そんな感想が、視線に現れたのかもしれない。
不意に、その老婆、伊予と目が合った。
「深イ、メだね」
「あ……えぇ、はい」
発音に訛りが強い。
うまく聞き取れず、黄華は曖昧に返事をする。
「伊予さま!」
「おォ。元気だっタかい」
向かってくるのは、伊予の娘、千代だった。
先日、この中庭で遭遇した時の活動的な装いとは違い、窮屈そうな薄緑の正装。くわえて、紙傘を手に、紅まで差している。
それでも、一〇歳相応に少女らしさを振りまく姿は、黄華が抱く緊張感を少し和ませてくれた。
「案内して構わないか?」
大蛇の如き矛を背負う楽子山。その装いも普段と違う。
「えぇ。お願いします。しかし……」
「なんだよ嬢ちゃん。そんなに見んなよ」
なんだろう。この大男の顔で、真新しい鎧というのは、失礼ながらとても似合わない。ただ、それ以上に問題なのは。
「……楽子山さま。黒と黄で横縞の歩人甲って、誰の趣味ですか?」
「ふ……。良い目の付け所だ。今日向けの特注品だぜ」
「なるほど……。『こくひょう』としておきましょうか」
「黒豹たあ、ありがたいことだぜ」
『酷評』したいほどのひどい意匠、というのは黙っておく。黄華とて、檜舞台の一張羅にけちをつけるほど、無粋ではない。
(まったく、これだから悪人面の脳筋様は……)
妙な脱力感は置いておく。
今日の黄華は、宴の筆頭料理人。円滑な進行も役目だ。
軽く咳ばらいをして、腕で門内を指し示す。
「楽子山さま。ご案内を」
「心得た」
伊予と千代の母娘は、楽子山に先導され進む。
伊予に頭を撫でられながら歩む千代の表情は、秋晴れの輝きにも負けないほど眩しかった。
(関係は親子としか見えない。けれど……)
黄華の見立てでは、二人は実の母娘ではない。
一つは年齢差で、六〇歳を超えようかという伊予と、一〇歳そこそこの千代では、歳が離れすぎている。
孫と祖母ならまだわかるが、母娘には無理がある。
また、容姿にもいくつか差異がある。
丸く、垂れ目の伊予に対して、千代はつり目気味。背丈でも、伊予は大柄で千代は小柄だった。
(血筋を潜ったとて、過ぎた事実は見つからず……か)
誰にも気づかれない程度、黄華は微かに息を吐く。
皮肉にも、初秋の晴れ間は、すっきりと空が澄んでいた。まるで、金と紅の散りばめられた宴卓に、輝きを添えるかのように。
楽子山は塵一つない石道から逸れ、頭を下げた。
伊予と千代は、そのまま先へと進む。
石道の先には、主催の丁泉。
そして、東呉と荊央の旗を儀礼兵が掲げていた。
楽子山は門前へ戻り、三〇〇はいる東呉の兵たちの前に立つ。
「今回の宴は会談を兼ねる。護衛は非武装、最少で願いたい」
「だが、伊予様と千代様のお世話は……」
当然の反応だ。しかし、黄華は見ているしかない。
黄華は宴の筆頭料理人で、千代だけに特別な目をかけられる立場ではないのだ。
(私の一線。語るのは、まず料理で)
動揺の見える東呉兵へ涼しい声が響く。
「あんたたち、安心しい。丁泉は私の夫。そして、この中庭は私の家だ。これすなわち、店子と主人ではなく、家族の団欒。どこに心配があるって言うのかい?」
「は、はぁ。それならば……。わかりました千代様。しばし我らは、一団の大岩となりお待ちしましょう」
千代の一声に、兵たちはその場にしゃがみ込む。
さすがだな、と黄華は思った。それでも、賞賛の一方にある疑念を湛えて、楽子山へ視線を向ける。
「何だよ?」
「いえ。夏の虫は火で焼けるかなと」
苦虫を良薬だと飲まされたように、楽子山は吐き捨てる。
「馬鹿言え。これはそういう趣向だ」
「……だと良いですが」
そこで、千代は振り向いた。
小柄な背からは考えられないほどの、見下ろすような視線。無邪気さはかけらもなく、深海に潜む貝のように静かな声。
「あぁ、そうです。確か中庭には農奴の翁がいたはず。彼に雑用を頼めれば。伊予様のために」
「はっ。ただいま」
(せめて水爺さんを側に寄越せ、と)
会談を兼ねた家族団欒会。
聞こえは良いが、現実は護衛との分断が意図だろう。
黄華は軍事に長じない。
それでも、こんな光景は何度も見た。
(取り囲んで、料理の腕を試験する。採用時の常套手段)
失敗すれば、即不採用。
飯場の採用ならそれだけだが、この場は違う。
(私にはわかる。楽子山は否定したけど。粗探しの後、追放か死罪……。東呉次第で戦争になる)
『因習』そのせいで、不遇不満な分子がいるのはわかる。
それでも、またおっちゃんの屋台に座り、絵を描き上げる頃までは、平和を続けたい。
丁泉が、伊予と千代にこうまでするのは、いくつかの偶然と数奇な運命が絡んで生まれた、計略のような連環のためだ。
(やはり、この場で解かねば)
黄華は決断を強くして、拳を握った。




