27.宴前夜(後)
過去から連なる血筋。
途切れて掛け違えた事実は、数々の思惑の中に隠れ潜む。
(だとして、私が料理を供する場に、雑味を持ち込んで欲しくは……)
執着。集中。もしくは、虜囚なのだろうか。
あてがわれた自室と隣り合う調理場は暗い。
宴まではあと三時ほどしかない。それでも、黄華は繰り返し確認をしていた。
「入るわよ」
背後からの声に、黄華はびくりとして振り返る。
「猫姐さん?」
「ったく、何度戸を叩いたと思うの? あんたらしいけどさ」
全く気づかなかった気まずさに、黄華は曖昧に頬を崩す。
料理となれば、周りが見えなくなることはある。
けれど、今回ほど周到に準備をする記憶はなかった。
「ご、ごめん。明日は大事な会だから……」
「皇子を迎えた時でも平然としてたあんたが? まったく。明日は誰を迎えるって言うの?」
鈴猫は竈門に腰を下ろす。
「何を考えてるのかは知らないけどね。あんたの役割は料理。それだけやっていればいい。わかる?」
「……わかってる」
「どうだか。まあいいわ。明日は私も控えているから安心なさい」
話を聞きながら、黄華は考えていた。
鈴猫には話した方が良いのだろうかと。
そして、宴の場で自分がしようとしていることを。
いや、秘めた方が良いのだろうか。
自分が出す料理たちに、隠された裏があることも。
鈴猫は続ける。
「まぁー、そうね。変な腹芸なんかしないで、料理だけに力を尽くしなさいよ。言いたいのはそれだけ」
(料理だけ。それができれば、どれだけ良いか)
迷ったまま、拭いていた茶器を置く。
鈴猫の姿はもうなかった。
「それでも、私は……」
黄華は拳を握りしめた。
◇◆◇
それゆえ、託された依頼は隠された。
主のためになること、あるいは他がために為すことに霍乱せぬために。
――それでも。
「願掛けってガラじゃねぇんだが……」
楽子山は一人ごちながら、自室隅の武具置き場でしゃがみ込む。目の前には蛇の描かれたいくつもの札。
「ご先祖様、使わせてもらいます」
禍々しいほどの札で封じられた横開きの木戸。
楽子山は息を吐いてその封印を破る。
中に安置されていたのは、布で包まれた一丈八尺はある長い棒。
「一振りで十万の兵を釘付けにした伝説の蛇矛。その威力は、さながら龍の一撃……か」
布を暴きながら、楽子山は思う。
武芸と政治は違う。それでも、正道を通らぬ力は狂気を産む。だからもし、丁泉様と桓範様が道を外れようと言うなら……
「再び覇道の殿となるべく、力を貸してくれ『蛇頭龍尾』」
その異名は、『蛇のように波打つ矛が暴れた末に、龍が降り立ったかのような爪痕が残る』ことを表すと伝え聞いた。
(しかし、本当の逸話なのかねえ)
答えはどこにもない。
だが、蛇矛が放つ鈍い筋は、涙のように見えた。
◇◆◇
偽れば、伝わらぬのが言葉。
珊瑚の龍と託されの金印は交錯して、人の夢を育む。
「明日、伊予ばあが戻ってくるんだね」
「ばあ呼びはいかんと言っとるじゃろう」
中庭にある農奴小屋。ここは、私と水爺の実験室だ。
二人で囲う鍋の湯気が、互いの姿を隠すように舞う。
「わかってる。でも……」
千代は水爺に跪く。
明日はあっても、明後日はないかもしれない。
「あんたは高貴な血を引く姫。わかっているじゃろう?」
聞き慣れてきた、水爺の微笑むような声が頭上を撫でていく。ちゃぽん、と鍋に匙が入り、粥を掬う音。
「ほれ、わしの目は老いて見えんのじゃ。溢さんうちにお食べ」
わかっていた。千代の血筋、それは自分の首に飾られた二つの宝器によって保証がされている。けれど、そんな見ず知らずの縁より、もっと大切な物もあると。
「…………。本当の父を私は知りません。伊予婆が母なら、水爺は……」
千代の言葉を遮るように、水爺の立ち上がる気配を感じた。
そうして、ゆっくりと背中に感じられる、少し堅い手。言い尽くせない、温かみ。
「わしは何も出来ん、ただの爺じゃよ」
「けれど……」
生まれ育った国で、自分は腫れ物だった。
そして、隣国でもそれは同じだった。
わかっていて、抗っていた。
「水爺は……私の大事な先生で……国民ですから」
千代にとって中庭の畑という囲いは、国境と同じだ。
荊央と新しい飼い主様に認めてもらうためには、血筋だけでは足りないのだ。
「ほっほ。さすが千代様は、寛大であられる」
「はい……。ですから……。明日も私の筆頭将軍を命じちゃいます。不埒な輩は、びしばししちゃってください」
千代は顔を上げて、目をごしごしと拭う。
「もうやすみなされ。夜の警護は、この水爺が務めますぞ」
「はい……。しっかり……やりな……さい……よ」
言うまでもなく、完璧な安心感だった。
(水爺の膝はきっと、合肥の城よりすごい)
◇◆◇
そして、藍より濃い両羽根で降り立った鴻鵠はーー。
埋伏の時を終えて、いま舞い膨らむ。
「そろそろ時間です。丁泉様」
桓範の呼びかけに、丁泉は眼下の宴場を一瞥して振り返った。
「兵は?」
濃紺の深衣を纏った姿に、普段の砕けた振る舞いは欠片も見えない。
いま目の前にいるのは、荊央の主。
そして、自分の一族が長い年月支えてきた未来の王だ。
(荊央をこの方に捧ぐためならば)
この期で、私情を挟む余地などない。
「手筈通り、中庭からは蟻一匹出れないよう」
「よし」
丁泉は歩き出す。
礼で見送る最中、桓範は思案の限りを巡らした。
(東呉と話は済んでいる。残る不確定要素は……)
やはり、あの料理人にだけ。
懸念を伝えるべきか。悩む間はない。
だが、もしこれで丁泉の身に何かあれば……
「桓範、心配するな」
丁泉は剣を抜いて、天をいるかのように掲げた。
桓範は頷き、精巧な飾り剣を掲げる。
「もし曹の血筋絶えることあれば……」
「桓の一族も共に参ろうぞ」
丁泉は思う。『一〇〇〇年』の重みを。
それだけの時間、桓の一族は曹家を支えてくれた。
ならば、たとえ丁泉が泥を被ろうとも、それで夢が続いていくのなら……
「行くぞ」
多少の汚れた傑物は、残さずに全部喰ってやる。
◇◆◇
「さすがの雰囲気ね」
その姿は、純白の襦裙に見えた。けれど、袖口や足元は狭まり、動き易さを残している。
髪は普段と違い丁寧に後編みされ、毛の一本さえ落とさないように首筋の衣嚢に収まっていた。
合理的にして、清潔。機能的にして、繊細。
貴人に向けて、宴の場で女が料理を作ると言うのは、この地では戯れの類だ。
しかし、白衣の彼女だけは違う。
「……姉さん動かないで。気づかれる」
「ここから? 全く、この賈羽が追い出されるわけよ」
賈羽はかつて鈴猫と名乗り、働いていた飯屋を思い返す。
表向きは彼女の婿養子を店の主にすべく仕組まれた交代劇。
だが実際は、『黄華の料理の才をさらに伸ばすため』の仕掛け。
(まあ、諜報役だった私としては別にいいんだけどさ)
袖口を鈴明に掴まれたまま、鈴猫は木陰に潜む。
「さぁ、お手なみ拝見よ」
◇◆◇
黄華の目の前、荊央城の中庭への門が開く。
「お待ちしておりました」
挨拶に頭を下げながら、黄華は思う。
もう後には引けない。だから……
(ここで、全ての真実を明らかにする)




