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26.宴前夜(前)

 悪人面、夜道で遭いたくない男。

 それはいっそ、武官としての誉と割り切っている。

 だが、今の表情は他人にどう見えているのだろうか。


「ひえっ……」

 目の合った女官は、洗濯物を振り乱して逃げていった。


「あわわっ……」

 のんびり談笑して歩く男らは、慌てて道を譲ってきた。


 そこまでしなくても良かろう、そんな内心を抑えながら楽子山(がくしさん)は中庭への出入り口へ進む。

 何があったかと言えば二つだ。


 ひとつは俺の楽しみ、休憩茶時間を奪われたこと。

 そして、もうひとつは……。


「俺の命令ってのは濡れ衣だ」


 荊央(けいおう)城中庭の一画。城郭から程近い畑付近。

 そんな文官の目と鼻の先で訓練なんてさせるわけがない。


『やかましくて仕事に支障が出てる。さっさと止めさせろ』


 慇懃な文官の言葉を翻訳すれば、そんな苦情だ。

 ゆえに、楽子山は出張って来たわけだが。


「あいつらか……」


 楽子山は頭をガシガシかきながら、大きくため息をつく。

 まずは状況を知らねばならない。楽子山は見知った男の襟を片手で掴み上げた。


「おい然! こいつぁ何の騒ぎだ」

「あ、子山兄ぃ? こりゃ、お役目っすよ。お役目」

「あぁーん?」


 着古した帷子(かたびら)をはだけた姿の万年使いっ走り。

 その然が指差す先には、図面を広げてあちこちに指示を出す女の姿がある。


「あんの嬢ちゃんは、また勝手を……」


 然を放り投げ、楽子山は騒音の根源、黄華(おうか)の元へ向かう。

 ガンガンと銅鑼の音が響き渡る。確かに喧しい。


 いったいどこから持ち出したのか、黄華は戦用の銅鑼を合図に叫んでいた。


「そこに支柱建てて! で、こっから、こう! わかる? 違う! もっと幕はピンと張って!」


 わああ、と絶叫しながら土木隊が走っていく。

 合わせて『ぷあ〜』と法螺が鳴く。見事な連携だった。


(ほー。なかなか良い指揮すんじゃねぇか。嬢ちゃん)

「って、いや待て! これ宴の設営だろ!」


 楽子山は慌てて声をかける。


「おい嬢ちゃん。熱心なのは悪くねぇんだけどな。文官が静かにしてくれってよ」

「? 何ですか?」


 黄華は耳を塞いで目を細めている。

 総突撃の銅鑼にかき消されて、まるきり聞こえていないのだろう。

 すぐ横に上機嫌で銅鑼を打つ貝太鼓役(かたいこやく)がいるから仕方ないが、これでは会話にならない。


「だ!か!ら! うるせぇってよ!」


 ずううん、とした、地鳴りに土煙り。

 地震を起こしたかのような楽子山の声に、銅鑼の音が静まっていく。

 続けて、貝太鼓役の心境を表すような、悲しげな撤退の調べ。


「ったく。嬢ちゃん。明日の宴会準備なのはわかったが、文官から苦情来てるぞ」

「あー。はいはい。せっかく訓練がてらと思ったのに、ねえ?」


 腕組み頷いて、ちゃっかり睨んでくる太鼓役が忌々しい。


 楽子山とて武官だ。訓練も兼ねるというなら、本来両手を挙げて賛成に回りたい。しかし、いまは役目からしてそうもいかないのだ。


「仕方ねぇだろ。明日までは俺たちゃ肩身が狭いんだ」


 伊予(いよ)を乗せた東呉の船を迎えるため、大半の武官は南に出払っていた。


 要するに、楽子山は留守役。城内の治安と秩序を仰せつかっている以上、収める側に回らざるを得ない。


「はっ。そんな面して良い子ちゃんってわけですか」

「何とでも言え。船が戻ったら、俺は市井(しせい)で毒殺捜査よ」


 そこまで話した時、楽子山は思い出した。


「そういや、先日の事件な。毒がわかったぞ。朝鮮朝顔(ちょうせんあさがお)らしい」

「あー……。やはり…り毒でしたか」

「? やはりなんだ?」


 続いた言葉の終わりは囁きのようで聞こえなかった。

 それに、『朝鮮朝顔』と聞いた黄華の顔色はやや曇った気がした。


「いえ、何も。おい、そこのー!」

「だから、騒ぐなって」


 静止を無視して、黄華は雑に太鼓を叩いて呼びかける。


「間違えるなよ! 印付きの茄子だからな! そう、それだ!」

「はぁ……。まぁ、注意はしたからな」

「えぇ。ぼちぼち終わりますし」

(妙に素直だな)


 楽子山は黄華に微かな違和感を覚えた。

 人の心情、その機微に自分は聡くない。

 その代わり、気配や所作といった類はよくわかる。


 鍛錬で培ったその経験から言って、今の黄華が纏うのは。


(確信と、揺らぐ迷い……?)


 気づけば、楽子山は声をかけていた。


「……おい、嬢ちゃん」

「まだ何か?」


 黄華は訝しそうに、楽子山を直視してくる。


 口下手な自分が疎ましかった。

 己の面構えに相手が逃げること数知れず。

 ゆえにこうして言葉で対峙した時、どうしたら良いか分からなくなる。


「……何を抱えてんのかは知らんが、助けがいるなら言え。俺はこれでも、お前より上役だからな」


 楽子山は背を向けた。

 上役だなんて、他に言いようはあったろう。しかし、あんなに真っ直ぐ見られては、立場で語りかけることしか思いつかなかった。


「はっ。お気持ちだけ受け取っておきますよ。楽子山様。ただ明日はまあ、荒事はごめんですから。金ぴか嬢さまの相手でもしてあげてください」

「……おまえ。覚えておく」


『金ぴか嬢さま』とは、含みのある言い方だ。

 指し示すのは、おそらく千代(ちよ)


(しかし、千代殿が金印を持つことを知らなければ不自然)


 そしてそのことは、限られた人間しか知らない。


 楽子山とて、『毒殺事件』の動機になり得る要素だからと、桓範(かんはん)から極秘で聞かされただけだ。


(他の人間には分からないような言付け、とでも?)


 ならば、明日は千代らの護衛に志願せねばなるまい。

 宴の場で何かが起こる、それをこの聡い嬢ちゃんは察知しているのかもしれない。


「まさか白水関(はくすいかん)みてぇなことはないだろうが……」


 楽子山は額を伝う汗を拭った。

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