表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/32

25.うずまく作為

「足りんな……」


 目の前に広げられた帳面。そこに並ぶ大小の数字は、散々な状況を丁泉(ていせん)に突きつけていた。


 物価の高騰に税収の減少は言うに及ばず。焦げついた先物買い付け品に貴金属の流出。さらに通貨価値は乱高下。


 端的に言って、荊央(けいおう)国は火の車だった。


(水運事業の他、早急に輸出をテコ入れせねば……)


 尻に火が付くどころか、油を被って焼けた道を駆けているに等しい。東呉からの輿入れ金で多少は国庫も潤ったが、それ以上の厄介事も舞い込んでいる。


「本来、一石二鳥の婚姻外交だったのだが……」


 計算外の要素が入ったせいで、頭痛の嫁取りになってしまった。それに、嫁取りと言うのも、ずいぶん綺麗に繕った話だ。


 権力と私事を切り売りした所業にほかなく、国家間の均衡まで考え始めたら、あと何人の嫁を取るはめになるやら。


(適齢期を娶るのは避けよう。夜も持たん)


 くだらないため息を吐いて、丁泉は窓の外に視線を向ける。


 気が付けば、蝉の声も大人しくなり、東南の風が目立つ季節になってきた。穏やかな夕日にささやかな風が涼しい。


 この時間帯、丁泉の執務室を訪れる者はいない。

 ひとりを好む身にとって、ゆっくりと過ぎていく一日を眺めるようなこの瞬間は、何にも代えられない時間だ。


 ――そんな時。


 とんととん、と聞き慣れた拍子で扉が叩かれた。

 わざわざ呼びかけなくても、誰かわかる。面倒事だ。


桓範(かんはん)……。何しに来た……」

「もう少し歓迎して欲しいですが」

「ふん。どうせ追加の仕事だろう」


 あきれ顔の桓範を無視して、丁泉は卓へ伏せる。

 どうせやらねばならないに決まっている。だったら、少しくらい抵抗しても罰は当たらない。むしろ、人として当然の権利だ。


 桓範のため息と、足音が近づく。


「私はそこまで鬼ですか……」


 卓に何かが置かれる音がして、丁泉は首を回す。


「これは?」

「黒糖です。黄華(おうか)殿からお裾分けを。昔から好きでしょう」

「ん……。もらっとく。……で、本題は?」


 丁泉は黒糖を摘みながら座り直す。


「毒殺の件で」

「続報か?」


 最後の報告、城内で偽装された死体が見つかった一件を丁泉は思い返す。


「えぇ。西蜀の線は薄くなりました。幼女妃が無関係とはまだ分かりませんが」

「幼女ってお前なあ……」


 丁泉は黒糖を口に放り込み、肘をつく。


「まあいい。理由は?」

「先日の城内で死体が見つかった件。あれの毒が朝鮮朝顔(ちょうせんあさがお)だったとわかりまして」


 毒の特定は今回が初めてだ。これまでは水に浸かるやら、土に埋まっているやらで、叶わなかった。しかし……


「朝鮮朝顔? 西蜀だと鳥兜(とりかぶと)が一般的だろう?」

「はい。彼の地は高い山も多く、荊央より寒い。よって、毒なら鳥兜の方が入手しやすいです。さらに、遺体の隠し方でも妙な点が」

「米を使ったんだろう? 貴重な米を……まったく、思い出しても忌々しい」


 先物で失った銭。それは米相場の読み違いもある。


「それは丁泉さまの投資観のせいでしょうが……。ともあれ、ただでさえ少ない荊央城の米、その備蓄量を改めたところ、ある事実が判明しました」

「なんだ」

「『荊央』の米は減っていない。それどころか、触れられた形跡すらもない、ということです」


 丁泉は三つ目の黒糖を口に入れようとして、止めた。

 胡乱な目つきで桓範に視線を送る。


「それはおかしいだろ。使われたら減るし、よしんば気づかないほど微量だとしても、取り出したかは明らかだろう?」

「えぇ。『荊央』の米であれば」

「どういうことだって……まさか!?」


 丁泉は微笑を浮かべる桓範を横目に、引き出しから一枚の紙を取り出して卓に広げた。

 桓範は、金やら酒の銘柄やらが記されたその紙、つまりは目録の、ある品目を指す。


「そうです。東呉からの貢物、この米を使ったのではないかと」

「辻褄は合う。だが、そうなると、毒を盛っているのは……」

「東呉の人間。そうでなくても、極めて東呉に近しい誰か」

「なるほど。わざわざ残業させに来ただけあるな」


 丁泉は椅子の背に身を預け、天井を見つめ思案する。


 東呉の人間が犯人。もちろん、可能性としてはありえる。

 東呉は豪族の集まりで一枚岩と言い難い。婚姻に反対する勢力もあるし、噂程度でもあの妃の出自を耳にしていたらなおのことだ。


「毒殺者の正体。それに加えて、千年前の皇帝。その忘れ形見……か」


 尊き血筋とされながら東呉に秘匿されていた娘。

 そんな裏があると知っていれば、丁泉も娶らなかった。


 お陰で頻発する毒殺は、西蜀、荊央、東呉で繰り広げられる、高度な政治工作の風体をまとっている。


「ただの内輪揉めなら良いが……」

「いまさら求心力もないでしょうにね」

「ばかいえ。こうして頭を痛めている」


 丁泉は指を組んだ。苦々しい感情を押し込めるように。


「みな、解放されたいのさ。因習からな」


 ーー因習。

 それは、この大陸の覇を三国で争っていた時代に終止符を打った梟雄が、各国の雄を歴史から抹消するために布告した法に始まった。


禁句指定の詔きんくしていのみことのり

 一部の姓と名を対象とした禁句への指定。


 その対象となった者たちは、どれほどいただろうか。

 公職追放に強制移住。異国民と婚姻による改名やら。


 叛乱の芽は摘まれた今なお、その残滓は残っている。


「現状を打破するなら、担ぎ上げたい連中はいる」


 遥か昔の歴史で言えば、梟雄より千代(ちよ)の先祖の方が、先に皇帝の位についたのだから。


「しかし、王が二人いる国はありえません」

「俺は譲らんぞ。天下を奪うのに必要な、才能の宝石箱を」


 反逆者の末裔。名無しの巣窟。そんな揶揄は甘んじて受けよう。どう呼ばれようと荊央は希望の地で、天下を伺うに必要な人材の宝庫なのだ。


「わかっています。伊予(いよ)殿は明日戻りますから、東呉の内輪揉めと確信できたなら、口実のひとつにもなりましょう」


 荊央の体制を揺るがす出自を持つのが千代だ。

 伊予は千代の保護を訴えるだろうが、丁泉は甘くない。


「そう。『皇帝の子孫を僭称(せんしょう)した罪』は死でしか償えない」


 頬だけの邪悪な笑みを浮かべ、丁泉は続ける。


「証拠なんて、黄華の料理をこじつければいい」

「……残る不安要素は、そこ黄華殿でしょうか」


 桓範は表情をわずかに曇らせる。


「丁泉さま、あれは目ざといですよ。既に気づいているかもしれません」

「諸葛の血……か」


 蜀の丞相(じょうしょう)にして稀代の宰相『諸葛亮(しょかつりょう)』。

 黄華、いや諸葛華(しょかっか)にはその才覚が継がれている。


「別に構わん。才あれど、もし俺を阻むなら……」


 丁泉が自身の出自を知った黄華を殺さないのは、ただ、使い道があるからだ。


唯才是挙(たださいのみをあげよ)


 丁泉が受け継ぐ血。

 それは、才に焦がれる灼熱と、己に背く者への苛烈。


「斬るに躊躇いはまったくない」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ