24.伊予と千代
荊央と東呉を繋ぐ大河に浮かぶ船上。峡谷の底から見上げる両岸は、沈む夕日に染まる。鋭い稜線は紅く、終末を予感させた。
「残るお役目は、真相を隠すため消え失せるのみじゃ」
影ひとつない真っ白な着物姿。ゆったりした袖口を舷へ置く伊予の呟きは、誰の耳にも入らず大河に消えた。
「そこらの古井戸にあった石ころが金印なんての……。怪しかろうに」
壇州から東呉へ攫われてきたのは、伊予ひとりだけではない。いくつもの集落から、何十人が攫われたのだろうか。
「弥子……」
千代は自分と同じ目に遭った娘、東呉に攫われてきた『弥子』のことを思い返す。苦しくて辛い境遇に項垂れず、いつも明るく振舞う、気丈で優しい娘だった。
攫われてから数年間、伊予と弥子は同じ主人の元で最下層の下女として働かされていた。
そんな日々の中、いつの頃からだろう。伊予は郷愁も重なって病にかかり、臥せりがちになっていった。
雇われ侍女ならともかく、攫われ働かされる立場の伊予たちに、治療なんてものがあるはずもない。
弥子は伊予を気遣って、何とか元気つけようと画策していたが、金も伝手もない。それどころか、言葉も満足に伝わらない有様だった。
「伊予ちゃん待ってて。これ、磨いたらぴかぴかしてるから、きっとあいつら食いつくよ」
そんな状況で弥子が思いついたのは、自分が身につけていた不恰好な石を、磨いて対価にすること。
「いいよ。大切な物でしょ? 隠しておかなきゃ」
「ただの拾い物だよ。郷里で井戸掃除してた時の。それに、あいつらもこれ、汚くて奪わなかったし」
そういって弥子は、自分の着物でその『拾った石』をごしごしと擦る。こびり付いた汚れが剥がれるとたしかに、綺麗に光って見えなくもない。
「ほらね。だから、この弥子さまがこいつをぴかぴかにしてあげて、あいつらからふんだくってやろうという訳です。海老で鯛をなんとやら!」
「ふふ、相変わらず、たくましいね。弥子ちゃんは」
汚れて継ぎの当たった着物。ざんばらに切っただけの短髪。飾り気と程遠くとも、弥子の笑顔はいつも輝いていた。
この遠い異国で屈託なく、にへへ、と笑う弥子に、伊予はどれだけ助けられてきたことか。
「それで、伊予ちゃんは何が食べたい? せっかくだから、いっっっぱいねだっちゃおうよ」
「でも、あんまり食欲もないからなー。あ、そうだ。『すし』なんて、どう?」
「舟迎えの祭りに食べるやつか。いいかも。私たちにも迎えの船が……なーんて。私に任せて!」
いま思えば、ここが別れの道だったのだろう。
駆け出す弥子を見送ったのを最後に、弥子は姿を消した。
伊予が望んだ故郷の田舎料理『すし』。
それがこの国の言葉で『祖先』と聞こえてしまうと理解したのは、それからずいぶん後のことだった。
(ただの偶然か、それとも運命か)
あのときの弥子は『拾った石』を磨いた物に、ただの賄賂くらいの価値しか見ていなかった。だが、事はそれだけで終わらなかったのだろう。
何が起こったか窺い知れぬまま、弥子は姿を消し、二度と伊予の前に現れることはなかった。
弥子がいなくなってから、三年くらい後だろうか。
「ご主人様、コの子……ハ?」
「この子は今日から伊予、お前の子供だ。大事に育てろ」
「ハ、はい」
見知らぬ幼子が伊予の元へやって来た。
(一目見て、弥子の娘だとわかった。笑ったときの目元が、弥子にそっくりだったから)
幼子は千代と名付けられ、伊代は最下層の身分からいきなり妃候補へと引き立てられた。
その頃にはもう、弥子の磨いた石ころは『漢委奴国王印』などと呼ばれ、千代の首元で人々がひれ伏す金印となっていた。
まさか、『拾った石』を磨いたものが、本当に金印だったなんてありえるのだろうか。
伊予が後から辿り着いたのは、まるでおとぎ話だ。
『祖先と言いながら奴隷が差し出した石ころが、過去の皇帝が作った金印だった件』
くだらない。実にばかばかしい。
それでも、
「疑惑すら明るみに出ぬのが良かろう。それが弥子の、いや、千代のためでもあるのじゃから」
薄れてきた記憶の弥子は、ずっと若いままだ。
辛かった生活の中、同郷の彼女はきっと、唯一の友人と呼ぶべきなのだろう。
けれど。
もういまは、名前を呼ぶことすら叶わない。
存在すら消え去り、彼女の娘であろう千代は、伊予の実子ということになっている。
「歴史に真実など、ない」
ただ生き残った勝者が、辻褄を合わせる。
だから今度は、伊予が命賭けで千代を守るのだ。
あのとき弥子が、伊予にしてくれたように。
完結まであと2話くらい・・・でしょうか。
調整しながら完結させたいので投稿間隔があくと思います。
半分くらいは出来てますが、ここからが長い予感・・・




