21.たゆたう天気
「しかしこれって、どういう理屈なんでしょうね?」
太陽の雨、狐の嫁入り、悪魔の結婚式……
実家で聞いた呼び名はたくさんあるけれど、ともあれ。
さあさあと、雨が降っていた。
さんさんと太陽が、空には居座っていると言うのに。
「まあ、すぐ止むでしょうし、待たせてもらいますか」
丁泉に言われた、城の中庭にある畑はもうすぐそこだ。
目の前で足止めされたことになるが、ここで焦っても仕方ない。自然の営みには抗えないし、過剰に身体が汚れてしまうのは困る。
もちろん見た目ではなく、料理人の衛生観念として。
黄華は壁に背中を預け、腕を組む。ここは、おそらく農作業人の小休止場であろう。土のついた鍬やら、収穫のお供にする籠やらがいくつも置かれている。
外から、わひゃひゃと、やや奇怪な笑い声。続けて、叫び声があがる。大方、夏の暑さにやられた部屋詰めの文官が、涼を求めて騒いでいるのだろう。
「ったく、子供じゃあるまいし」
黄華はため息交じりに背を壁から離すと、手近にあった茄子を摘まみあげてじっと眺める。
「ふむ……」
少し旬には早いが、大きさも色つやも申し分なく思える。
思えるのだが……
「んー、なんだろうな。この違和感」
言うまでもないが、黄華は食材にはうるさい。
他の茄子も掴み上げ、両手で見比べたり、香りを嗅いだりと、あれこれまじまじ観察する。そんな時に、『がら』と戸が開いた。
「いやー、まいったまいった」
独り言ちながら入ってきたのは、歳のいった翁だった。
汚れた着物に、泥だらけの手。髪は濡れ乱れの不精髭。
顔には、深い皺が刻まれている。
「んんー?」
翁の探るような声に、黄華は身を固くして一歩下がる。この反応を非難される謂れはない。翁の姿もそうだが、それ以上に。
ぎらり、と鈍く光る鎌を、翁が携えているのだから。
「おい、あんた。野菜どろぼうか?」
(野菜どろぼう?)
身に覚えのない言葉に、黄華は聞き違いを疑う。
「え? いや、違いますよ」
「あぁん? じゃあ、その両手に持っとるのはなんだ」
なんだと言われたら、茄子としか答えようがない。
たまたま目についたから、ちょっとばかしの好奇心で品質を確かめていただけ。知り合いと会えば挨拶するくらいの、ごくごく当たり前の所作。
むしろ、食材を前に興味を持たないのは、食材と生産者の方に失礼ですらある。
(の、だけど……これは)
先ほどの翁の言葉を思い返す。そして、黄華は理解した。
彼から見れば、私は窃盗の現行犯なのだろう、と。
「いや、これ……は、だから……」
「まあた、来おったな。この泥棒め。絶対逃がさんぞ」
「いやいや、違います。違いますから、ええっと……」
鎌を構え、じりじり寄ってくる翁。このまま斬られたら敵わない。黄華は慌てて懐を探る。
(あった)
顔を背けながら、これこれ、と書状を差し出す。
「あぁん? なんだ……うん? この印は」
胡散くさげな翁の視線を苦笑いでやり過ごし、自分は無害だと強調する。白旗があれば全力で振っていただろう。
「なんだい。御屋形様からのお使いか」
よっこらせ、と翁は籠を床に置き、筵にあぐらをかいた。
「さいきん、野菜どろぼうが多くて、てっきりな」
「そうなのですか?」
翁は布切れで濡れた髪を整え、薬缶から茶を注ぐ。
二つの椀から湯気が上がった。
「あぁ、市井じゃ野菜が高騰しとる。恐らく、治水のために沿岸をいじったせいじゃろうな」
「……治水と野菜の値上がりが、どう繋がるのですか」
差し出された茶をすすりつつ、黄華は問う。
翁は煙管を吸って、遠い目をした。
「御屋形様は合理的すぎていけねえ。自然には、あるべき循環ってのがあるのよ」
「御屋形様……ってのは丁泉さまですよね?」
「そう。あの偉大な丞相にして稀代の大略家だ。だがなあ、嬢ちゃん。どんなに立派なおひとでも、自然にゃ勝てないのよ」
「……話が見えないのですが」
黄華は首を傾げる。
「治水が行き届くとどうなるか、洪水が減る。もちろん、それで助かる人もいるじゃろうさ。だがな、それが痛手になるやつもおるのさ」
翁の吐いた煙は渦を作り、一本の筋となって消える。
「それは、大地よ。水耕は毎年できるだろう? ありゃ、水が栄養を運ぶからよ。だが、畑は違う。休ませなきゃいかん。そして、時に暴れ出す川の水はな、」
かつん、と翁は煙管の火種を捨てる。
「大地に、極上の栄養を注ぎ込んでたってわけじゃ」
「……それで、野菜の値段があがっていると?」
「他にもあるぞい。交易の促進と減税じゃ。これもいかんかった。ましてや、治水工事に莫大な金を使った後にじゃ。そのせいで東呉の連中には貸しを作るわ、ばら撒かれた金が駆け巡って物価を上げておる。おかけで、庶民も荊央も火の車よ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
年寄りの戯言、と言うには淀みなく筋が通り過ぎている。単に畑仕事をする翁と思っていたが、まるで隠居した名宰相のようではないか。
「ずいぶんお詳しいようですが、お役目はなにを?」
「お役目って嬢ちゃん……。見ての通り、ただの畑を耕す爺じゃよ。大地と語り、天を眺めれば、その間にある人の営みなんて、勝手に見えてくるもんなのよ」
「いやいや」
そんなわけあるかい、と顔が歪みそうなのを黄華は堪える。そもそも、こんな賢人を放っておくほど、世の中は他人に無関心と思えない。
「わっはっは。冗談じゃよ。まあ、昔取った杵柄というやつでな。これでも、北の方で群を収めておったからな」
「なら、なぜ……」
こんな場所で、と後に続く言葉を、黄華は飲み込んだ。
「まあ色々あってな。名を奪われ姿を隠し、この城に来た。この城は、そんな日陰者の巣窟よ。わしはまだいい。だが、」
翁の瞳には、深い憂いが浮かんでいた。
「若い者が日陰を歩まねばならぬような因習はな……」
「因習?」
「忘れろ。もうわしは疲れた。この城にいるということは、きっと嬢ちゃんにも輝く才があるのじゃろう。それを曇らせるなよ。それから……」
節くれた翁の指がすっと、中庭の片隅を示す。
「あんたが探している人はあそこにいる」
「それって……伊予さま、ですか?」
「好、好」
それだけ呟いて、翁はもうなにも語ろうとしなかった。
(急に……なんだってのさ)
黄華は立ち上がり、中庭の隅にある畑の一画を見る。
気が付けば雨はもうあがっていた。
(名を奪われて姿を隠し……か)
経緯は違えど、境遇は似ているのかもしれない。
黄華も、本当の名前を隠してこの地に立っている。
それどころか、料理の道を捨てる決意さえもしていたのだ。正直、それはうまくいっていないのだけど。
いまの自分には、あの翁に何もできない。してやれない。詳しいことはわからなくても、それだけはわかる。
(それでもさあ……)
黄華は深く息を吸った。
「私の名は黄華! です! 今度、あなたが作った野菜で料理を作らせてください!」
翁の物であろう、細い手が、こちらに向けて振られる。
黄華は視線を剥がすと、歩き出した。
わたしは、あなたのようになりません、と決別を刻みながら。




