20.食事と礼儀
「うーん。これは想像とちょっと違うような」
飯場の片付けも終わった三日後、黄華は首を傾げていた。
眼前には、鈴猫に頼んで持ってきてもらった和膳と、黄ばみの混じった書物が広げられている。
本格的に異国料理の手がかりを探そうと、食宿明猫から私物をいくつか持ってきてもらったのだが。
「おい、何をしてるんだ?」
声の主は丁泉。
片開きの扉に背をもたれ、腕を組んでいる。
依頼主の来訪、そんな当たり前のことに、黄華は軽い驚きを覚えた。いかんせん、城に戻ってからの丁泉と言えば、執務室にこもるか、複数人に囲まれて慌ただしそうな姿しか見ていない。
黄華は思う。たしかに進捗確認は大切なことだろう。しかし、よくもそんな暇を捻り出したものだと。
半ば呆れつつ、それはこっちの台詞です、との顔や声が出るのを飲み込んで、黄華は卓を軽く片した。
「異国料理の取っ掛かりです。こうして、参考書を持ってきてもらったものですから」
書物を差し出して、丁泉に手渡す。
「『食物服用之巻』? 聞いたことのない書だな」
「でしょうね。壇州の書物、正確にはその写しですから」
「壇州の? これに何が記されている?」
丁泉は興味深そうに紙をゆっくりとめくり、和膳と書物を交互に見比べる。目つきだけ切り取ったら、白面の書生でも通じそうなほど輝かしい。
「ふむ。この図を参考に料理したのが、これというわけか」
ずいぶん熱心な好機の目。丁泉は料理を眺めるだけにとどまらず、その和膳さえもめずらしそうに覗き込んでいた。
(ふむ)
ちょうど陽も頂点から見下ろす頃と思えば、これくらいするのも、部下の務めではなかろうか。
「昼飯ついでに、ためされますか?」
「うまいのか?」
「調理法通りに作った、としか」
「なんだ、歯切れが悪いな」
箸を渡された丁泉は椅子に座り、楽しそうな表情で、どれから食べようかと箸を膳の上で迷わせる。
だが、『タダ飯をやる』その状況を簡単に献上するほど、黄華は甘くないのだ。黄華は目を輝かせる。
「丁泉様。箸で指しながら、どれを食べるかと迷うのはいけません。それは無礼な仕草だと、その書に記されています」
「そ、そうなのか?」
頭をかいて戸惑いつつ、丁泉は小皿からおひたしを一息につかみ取る。
「……薄味だな。酢でも欲しいが」
「特別な場合を除いては、味は変えずに食べるのが流儀のようです。それから、小皿を一息に食べきらず、巡回するように万遍なく食してください。これも礼儀です」
「む。わ、わかった」
「あぁ、だめです。丁泉さま。椀は手に持ってください。それから、豆はきっちり箸で掴んでください。え、匙? 匙は使いません。ちゃんと箸で食べてください。あれもこれも、それも、ぜんぶ、全部がこの書に記されていることなのです!」
丁泉は静かに箸を置いた。そのまま、首だけをぎりぎりと回して、じとっとした目を黄華に向ける。
「これじゃあ、食うどころではない。俺とて礼儀は学んでいるが、その『食物服用之巻』とやらの礼儀に覚えはないぞ」
「ま、そうですよね。少し戯れが過ぎました」
黄華はため息を吐く。
「この『食物服用之巻』は儀礼的な料理も記されているものの、その実は、食事の作法を記した書なのです」
「それはつまり、壇州での食事作法……ということか?」
「その通りです。実家で読んだ記憶の中で、いくつか調理法も書かれていた覚えがあり、薄い希望にかけていましたが、残念ながら……」
『食物服用之巻』は実家にあった膨大な蔵書の一つ。
恐らく、壇州の者を歓待するための教本なのだろう。
「こちらで言うところの『礼記』や『春秋左氏伝』のようなもの、と言うことか。それなら、本命の調理法は?」
「まだ、皆目見当がつきません」
「この昼食、まるで俺が道化ではないか……」
めずらしくがっくりと肩を落とす丁泉。
やはり、それなりに疲れもあるのだろうか。
慰め半分に、黄華は言葉を探す。
「それでも、わかったことはあるんですよ、丁泉様。あくまで、消去法になりますけれど」
黄華は続ける。
「おそらく、伊予さまが求めている料理は、こういった礼儀に則った物ではなく、包子や串焼きと言った庶民的なもの。もしくは、郷土料理でしょう」
「どうしてわかる?」
「伊予さまは元々庶民から姫に無理やり祭り上げられたと。であれば、丁泉さまのように書物で礼儀を学んでいたとは考えにくい。つまり、こういう書物にのるような食事とは縁遠かったのでは、と」
「ふむ。一理あるが……」
丁泉の思案顔を見て、黄華は思う。
儀礼的な料理、その方が楽なのだが、と。
儀礼的に、公の場で振舞われるものであれば、何らかの形で記録にも残っていよう。しかし、郷土料理とは地方の生活に根差したものだ。
その場所でしか採れない食材や、脈々と受け継がれる風習に端を発する調理法。それらは、現地民のみが知る、ごく限られた料理。
(人は時に、それを秘伝の料理なんて言ったりもする)
もちろん、饅頭のように、逸話があって広く有名になったものもある。しかし、『伊予』が欲している料理がどちらに当てはまるのか、それはまだわからない。
「まあ、前途多難ですね」
「ところがなー、そう悠長にもしていられない」
天井を仰いだ丁泉に、黄華は目を細める。
「と、いうと?」
「十日以内に見つけて欲しい」
「そんな無茶な」
まだ何の鍵も見つけられていないというのに。
壇州は広い。そして、遠い。こんな海を越えた先の郷土料理を探し当てるなど、大海で逃した鯛を、もう一度釣るようなものだ。
「わかっている。だがな、あと十日で伊予様が荊央に戻られる。なんとしても、その場までに間に合わせなければならない」
不自然なほどの熱のこもった言葉に、黄華は眉間が寄るのを抑えられない。
「……すまん。ひとまず、中庭の畑に行ってみるといい。そこに娘の千代がいる。この書状を持っていけば、悪い扱いはされないはずだ」
「……御意」
丁泉は黒衣を翻した。
そのまま、振り返ることなく、大股で飯場から去り行こうとする。
「すまんが、頼むぞ」
すれ違いに聞いた丁泉の声質には、何かが燻っていた。




