17.見立て(前)
ひぐらしの声が聞こえる。
夏は移ろって、少しずつ熱を失っていく。
飯場に差し込む陽はいつの間にか傾き、黄華の姿を土の床へ長く伸ばす。影は半地下へと落ち、横たわる娘に触れた。
骸の娘から視線をはがすと、黄華は口を開く。
「人を呼びましょう」
半地下の穴蔵は、まるで火の消えたかまどみたいに、すっかり冷え切っている。
だからだろうか。
横たわる娘の骸には、生の痕跡が欠片もない。
「あぁ、だが……」
状態を確かめていた楽子山は、口ごもりながら続ける。
「これは、桓範さまを呼ばねばならん」
「なに言ってるんですか。そんなの後回しで、まずは医者でしょう」
「……城内の医官を連れてくる。とにかく、」
そういって楽子山は、飯場の窓に板戸をかけていく。
「ここには誰も近づけてはだめだ。あんたはここで待っていろ。いいな。絶対何にも触るなよ!」
「はあ? なんですかそれ。小坊主じゃないんですよ、私」
黄華の不満を顧みる素振りもなく、楽子山は駆けていく。
(なんでまた、いきなりそんな)
あんな調子で言われた「触るな」なんて、むしろ行動の催促にしか思えない。
(とはいえ、安易な衆目は避けておきたいし)
黄華は、板戸で薄暗くなった飯場を見渡す。
灯りに使えそうなのは、かまどか石炭、それから、棚に置かれたいくつかの油だろうか。しかし、どれも火をつけるには時間がかかりすぎる。
(ん、これは)
黄華は棚の片隅に置かれた、紙にくるまれた物体を手に取る。木炭のようにも見えるが、ずいぶんと堅いし、形も異なる。
(もしかして……)
くんくんと鼻を寄せて気づく、嗅いだことのある香り。
たしか、故郷で修行をしていた頃に、味見した記憶がある。歯鰹や鮪を煮沸、燻乾させる保存食。
「色からすると、鰹節かな。薄く削って使うって」
瞬間、黄華は目を見開いて、半地下に広がる闇へ飛び込む。心の中で骸に手を合わせると、酒瓶を確かめた。
「これなら!」
酒瓶の中身は白酒。この酒は、とても強い。
黄華は卓に向かって、手に取った品を置く。
(乾燥していて、それも、薄くできるなら……)
包丁をくるりと回し、鰹節を削る。
薄く、できるだけ薄く。粉になっても構わない。
(火種になれば、白酒を灯りにできる)
かつ、かつ、と火打ち石の音が響く。
うす暗い飯場に、ちりちりと火花が落ちた。
鰹節が焼ける。
ごくごく一瞬、くすぐる香りによだれが満ちる。
鰹節は白酒を吸って、ほわんと火を回していく。
「ついた……けど」
もう、試されているとしか思えなかった。
食材を灯りにする、これだけで、背徳的だと言うのに。
(酒……飲みたくなる)
額に汗が浮かぶのは、板戸で風が入らないだけじゃない。
頭を振って、言い聞かした。
これは、灯りだ。そう、貴重な燃料なのだ。大事にしなければいけない。そうでなければ、きっと餓鬼道に落ちるだろう。
揺らめく灯りを頼りにして、黄華は骸に向き直る。
見たところ、歳は自分と同じくらいだろうか。
着衣に乱れた様子もないし、傷や血痕は見当たらない。
恐らく首を絞められたのだろう。手拭いか何かの痕が残されている。
「これは……米?」
よくよく見れば、あちこちに米粒が散らばっていた。
しかし、この半地下の穴蔵に、米袋の類はない。
「そういうことか。だから……」
そっと、娘の指先に触れる。水洗いのせいで荒れているが、それ以外は、ほっそりとして綺麗な指先だった。
――そのとき。
「なあにやってやがる! 動くなって言ったろ!」
「あ、楽子山さん。ちょうど良かった」
「ちょうど良くねえ。離れろ!」
楽子山に割って入られ、黄華はどん、と背を棚へぶつける。ゆらゆらと火のついた白酒が揺れた。
「あぶな……」
「大丈夫ですか? 黄華殿」
「なんとか……」
桓範に支えられ、危うく火事は避けられた。
肩を落として穴蔵から這い出ると、火種を吹き消す。
灯りは、桓範が持ってきた燭台で十分だ。
「おそらくここに誘い込んで、首を絞めて隠したのでしょう。手口は違いますが、例の女官殺しの仕業ではないかと。桓範様、どう処理しましょうか?」
「ふむ……。念のため検死は必要だろう。それより、隠したと言うのは?」
「あぁ、それはですね。女官殺しは、やはり男ですよ」
桓範と楽子山の会話が耳に入る。
(さて、どうするか)
黄華としては、見解を述べても、述べなくてもどちらでも構わない。この城の中で何が起きていようと、黄華がやるべきことは変わらない。
(丁泉に打ち勝つために、未知の料理と妃を篭絡、か)
そのために、この件は使えるだろうか。
調理場は支給された。城との出入りも叶っている。
他に必要にそうなのは、資金と身分あたりだろうか。
(金は桓範に言えば都合もつくだろう。となれば……)
頭の中でそろばんを弾き、決断する。
「それは違いますね。楽子山さまのいうことは、まるっきり的外れです。そんな話に付き合っていると、下手人を取り逃しますよ」
黄華は笑う。
口端を弧のように歪め、視線は氷のように冷たく。
「何言ってやがる! 嬢ちゃん、あんたもいただろう。あんなにでかい机を動かせるのは男、それも武官くらいだろうよ!」
「だから、それが違うって話ですよ。どうです? 賭けませんか?」
「か、賭けぇ……?」
楽子山の顔が引きつっている。そりゃあ、そうだろう。
彼は一度、黄華によって痛い目にあっている。
丁泉が口を挟んでくる。
「賭けとか言わずに、協力してくれませんか? 黄華殿。我々も悩んでいましてね。この頃、この城の女官が連続して殺されているんです」
小船の一件も、実はそうでして、と桓範は続ける。
「そんなに大事なら、精度の高い情報、欲しくないですかね? 気に入らなければ、小娘の戯言と無視すればいいだけです」
「嬢ちゃ……」
桓範が手で楽子山を制する。
「わかりました。それで、お代は何をご希望で?」
「身分を。そうですね……とりあえず、楽子山さんと同等か、それ以上の」
楽子山が目をぱちぱちしながら、表情を歪めたり曲げたり、口をぱくぱくしている。
桓範はため息を吐いて――
「わかりました。それでは、丁泉様にも掛け合って、臨時で『少尉』を設けましょう」
「『少尉』とは?」
耳慣れない職位だ。『尉』は治安などを司り、大尉、中尉に聞き覚えはあれど、少尉に記憶はない。
「『中尉』に準じる名誉職、というところで。要は、動きやすくなりたいのでしょう? 黄華殿は」
「話が早い高官は、嫌いじゃないですねえ」
黄華は嗤って、語り始めた。
荊央城に潜む殺人鬼に繋がる、半地下の骸の話を。
――桓範が巧妙に隠した、内心の笑みに気づかないまま。
(丁泉様の掌ですね。黄華殿の動きは)
三国に囲まれる荊央には、謀略が渦巻いていた。




