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17/32

17.見立て(前)

 ひぐらしの声が聞こえる。

 夏は移ろって、少しずつ熱を失っていく。


 飯場に差し込む陽はいつの間にか傾き、黄華(おうか)の姿を土の床へ長く伸ばす。影は半地下へと落ち、横たわる娘に触れた。


 骸の娘から視線をはがすと、黄華は口を開く。


「人を呼びましょう」


 半地下の穴蔵は、まるで火の消えたかまどみたいに、すっかり冷え切っている。


 だからだろうか。

 横たわる娘の骸には、生の痕跡が欠片もない。


「あぁ、だが……」


 状態を確かめていた楽子山(がくしさん)は、口ごもりながら続ける。


「これは、桓範(かんはん)さまを呼ばねばならん」

「なに言ってるんですか。そんなの後回しで、まずは医者でしょう」

「……城内の医官を連れてくる。とにかく、」


 そういって楽子山は、飯場の窓に板戸をかけていく。


「ここには誰も近づけてはだめだ。あんたはここで待っていろ。いいな。絶対何にも触るなよ!」

「はあ? なんですかそれ。小坊主じゃないんですよ、私」


 黄華の不満を顧みる素振りもなく、楽子山は駆けていく。


(なんでまた、いきなりそんな)


 あんな調子で言われた「触るな」なんて、むしろ行動の催促にしか思えない。


(とはいえ、安易な衆目は避けておきたいし)


 黄華は、板戸で薄暗くなった飯場を見渡す。

 灯りに使えそうなのは、かまどか石炭、それから、棚に置かれたいくつかの油だろうか。しかし、どれも火をつけるには時間がかかりすぎる。


(ん、これは)


 黄華は棚の片隅に置かれた、紙にくるまれた物体を手に取る。木炭のようにも見えるが、ずいぶんと堅いし、形も異なる。


(もしかして……)


 くんくんと鼻を寄せて気づく、嗅いだことのある香り。

 たしか、故郷で修行をしていた頃に、味見した記憶がある。歯鰹や鮪を煮沸、燻乾させる保存食。


「色からすると、鰹節かな。薄く削って使うって」


 瞬間、黄華は目を見開いて、半地下に広がる闇へ飛び込む。心の中で骸に手を合わせると、酒瓶を確かめた。


「これなら!」


 酒瓶の中身は白酒。この酒は、とても強い。

 黄華は卓に向かって、手に取った品を置く。


(乾燥していて、それも、薄くできるなら……)


 包丁をくるりと回し、鰹節を削る。

 薄く、できるだけ薄く。粉になっても構わない。


(火種になれば、白酒を灯りにできる)


 かつ、かつ、と火打ち石の音が響く。

 うす暗い飯場に、ちりちりと火花が落ちた。


 鰹節が焼ける。


 ごくごく一瞬、くすぐる香りによだれが満ちる。

 鰹節は白酒を吸って、ほわんと火を回していく。


「ついた……けど」


 もう、試されているとしか思えなかった。

 食材を灯りにする、これだけで、背徳的だと言うのに。


(酒……飲みたくなる)


 額に汗が浮かぶのは、板戸で風が入らないだけじゃない。

 頭を振って、言い聞かした。


 これは、灯りだ。そう、貴重な燃料なのだ。大事にしなければいけない。そうでなければ、きっと餓鬼道に落ちるだろう。


 揺らめく灯りを頼りにして、黄華は骸に向き直る。


 見たところ、歳は自分と同じくらいだろうか。

 着衣に乱れた様子もないし、傷や血痕は見当たらない。

 恐らく首を絞められたのだろう。手拭いか何かの痕が残されている。


「これは……米?」


 よくよく見れば、あちこちに米粒が散らばっていた。

 しかし、この半地下の穴蔵に、米袋の類はない。


「そういうことか。だから……」


 そっと、娘の指先に触れる。水洗いのせいで荒れているが、それ以外は、ほっそりとして綺麗な指先だった。


 ――そのとき。


「なあにやってやがる! 動くなって言ったろ!」

「あ、楽子山さん。ちょうど良かった」

「ちょうど良くねえ。離れろ!」


 楽子山に割って入られ、黄華はどん、と背を棚へぶつける。ゆらゆらと火のついた白酒が揺れた。


「あぶな……」

「大丈夫ですか? 黄華殿」

「なんとか……」


 桓範に支えられ、危うく火事は避けられた。

 肩を落として穴蔵から這い出ると、火種を吹き消す。

 灯りは、桓範が持ってきた燭台で十分だ。


「おそらくここに誘い込んで、首を絞めて隠したのでしょう。手口は違いますが、例の女官殺しの仕業ではないかと。桓範様、どう処理しましょうか?」

「ふむ……。念のため検死は必要だろう。それより、隠したと言うのは?」

「あぁ、それはですね。女官殺しは、やはり男ですよ」


 桓範と楽子山の会話が耳に入る。


(さて、どうするか)


 黄華としては、見解を述べても、述べなくてもどちらでも構わない。この城の中で何が起きていようと、黄華がやるべきことは変わらない。


丁泉(ていせん)に打ち勝つために、未知の料理と妃を篭絡、か)


 そのために、この件は使えるだろうか。

 調理場は支給された。城との出入りも叶っている。

 他に必要にそうなのは、資金と身分あたりだろうか。


(金は桓範に言えば都合もつくだろう。となれば……)


 頭の中でそろばんを弾き、決断する。


「それは違いますね。楽子山さまのいうことは、まるっきり的外れです。そんな話に付き合っていると、下手人を取り逃しますよ」


 黄華は笑う。

 口端を弧のように歪め、視線は氷のように冷たく。


「何言ってやがる! 嬢ちゃん、あんたもいただろう。あんなにでかい机を動かせるのは男、それも武官くらいだろうよ!」

「だから、それが違うって話ですよ。どうです? 賭けませんか?」

「か、賭けぇ……?」


 楽子山の顔が引きつっている。そりゃあ、そうだろう。

 彼は一度、黄華によって痛い目にあっている。

 丁泉が口を挟んでくる。


「賭けとか言わずに、協力してくれませんか? 黄華殿。我々も悩んでいましてね。この頃、この城の女官が連続して殺されているんです」


 小船の一件も、実はそうでして、と桓範は続ける。


「そんなに大事なら、精度の高い情報、欲しくないですかね? 気に入らなければ、小娘の戯言と無視すればいいだけです」

「嬢ちゃ……」


 桓範が手で楽子山を制する。


「わかりました。それで、お代は何をご希望で?」

「身分を。そうですね……とりあえず、楽子山さんと同等か、それ以上の」


 楽子山が目をぱちぱちしながら、表情を歪めたり曲げたり、口をぱくぱくしている。


 桓範はため息を吐いて――


「わかりました。それでは、丁泉様にも掛け合って、臨時で『少尉』を設けましょう」

「『少尉』とは?」


 耳慣れない職位だ。『尉』は治安などを司り、大尉、中尉に聞き覚えはあれど、少尉に記憶はない。


「『中尉』に準じる名誉職、というところで。要は、動きやすくなりたいのでしょう? 黄華殿は」

「話が早い高官は、嫌いじゃないですねえ」


 黄華は嗤って、語り始めた。

 荊央(けいおう)城に潜む殺人鬼に繋がる、半地下の骸の話を。



 ――桓範が巧妙に隠した、内心の笑みに気づかないまま。

(丁泉様の掌ですね。黄華殿の動きは)


 三国に囲まれる荊央には、謀略が渦巻いていた。

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