15.城へ
男が複数の妻を持つことは、そうめずらしくもない。
昔っからそうだし、女性がひとりで稼ぐには、まだまだ困難がつきまとう。後宮のように極端な例はさておくとしても、地位と金を持つ者が多妻なのは、ありふれている。
(それにしたって、ややこしすぎるだろ)
単純にいえば、『壇州』出身の老婆が望むものを作るだけ。
けれど、そこには色々と付帯情報がついてきた。
(あんな変に盛った態度とらなきゃいいのに……)
黄華の胸中から熱が冷めていく。同時に、情事の後で思い返すような、どこか俯瞰した考えが頭をもたげる。
丁泉は案外口下手で、うまく伝えられないからこそ、あんな態度でただ誤魔化しているのではないか、と。
(いや、経験はないんだけどさ)
黄華の表情変化を察してか、丁泉が問うてくる。
「そんなに意外だったか? それとも、依頼が気に食わなくなったか?」
「いいえ。丁泉さまのことを考えておりました」
「な、なぜだ?」
露骨に焦った表情の丁泉に、黄華は冷たい視線を向ける。
だいじょうぶだ、このくらいの温度なら、水も凍るまい。
「それより、いろいろ伺いたいのですが、構いませんか?」
「あぁ……構わないが。おい、出番だぞ」
それだけ言うと丁泉は桓範を黄華の前に置く。
しょげていた桓範はのろのろと立ち上がると、再び口を開いた。
「えー、割に合わない桓範が何なりとお応えいたしましょう。割に合わないでしょうが、どうぞお訊ねください」
「いやそれ、引きずらないでくださいよ……」
「桓範……」
ここの男どもは、本当にあれだ。面倒くさい。
見た目は大人で地位もあるのに、性根が子供なのだ。
(手練れの女性らから聞くに、男はこんなものらしいけど)
桓範はぶすっとした顔をぺしと叩いてから続ける。
「わかりました。しかし、どこから続けるのがいいですかねえ。正直、黄華殿に作ってほしい料理、その手掛かりはまったくないものでして」
「それなら、もうすこし依頼者のことを聞かせてください。何かわかるかもしれません」
「ふむ。それでは。御岳母様は名を『伊予』と申します」
桓範は続ける。
およそ三〇年前に、当時の呉王が壇州へ外征したこと。
不死の薬と奴隷確保を目論んだが、大した成果もなかったこと。
「はっきりいって外征は失敗でした。しかし、東呉は豪族の集合体。何としても成果を強調しなければならなかった。そこで、異国の妃だとして祭り上げられたのが」
「『伊予』さん……と言う訳ですね」
「その通りです」
何とも論評に困る話だ。
遠い異国へ攫われた、悲運の娘と嘆くこともできよう。
けれど、見方によっては奴隷から姫への、華麗な出世でもある。
奴隷の身分、いや、普通に庶民として生活するのに比べれば、異国でお飾りの妃をさせられたとしても、正直、お釣りがくる。
(ま、変に言及はすまい。私も味噌で粥を食えと言われたら、閉口するだろうし)
「それで、東呉の遠征って壇州のどこへ行ったのですか?」
「記録によれば、『壱岐』や『対馬』、『肥前』へ軍を進めたとあります。草の民の手引きもあったようですね」
「ふうん。なるほど……」
黄華は顎に手をやって思案する。
桓範の言が確かなら、『伊予』の出身地は、交易品の産地として見かけることが多い地域だ。珊瑚や鯨油、それから銀。食品では、小麦の太麺があった気がする。
「いくつか思い当たる物はありますが、東呉や荊央でも、似た物を食べることを考えれば、違うでしょうね」
「そうですか。それなら、他に気になることは?」
「そうですねえ……」
正直、思いつかない。目先を変えてみる。
「ちなみに、丁泉さまの奥方というのは、伊予さんの実子ですか?」
桓範はちらと丁泉を見る。
「えぇ、その通りです。外戚の男子に下賜され、その者から丁重に扱われたようですよ。その後、流行り病や食中毒やら、跡目争いやらもありまして……」
「うぉっほん!」
丁泉が遮った。
「ともかく、紆余曲折あって伊予とその娘は東呉で揺るぎない地位に立った。それで俺の元に縁談が来て娶ったわけだが、呉を発つ直前に、伊予が『旅立つときの飯』を食いたいと言い出したらしい」
大事な娘が旅立つわけだからな、と丁泉。
「なるほど。娘に向けた、母からのささやかな贈り物ってわけですか。政略と外交まみれの婚姻に残った、ひとさじの愛ですねえ」
「そこまで言うか?」
「え、じゃあ、丁泉さまは愛しておられるのですか? えーと、その……奥方さまを」
興味半分、好奇心が半分。
丁泉は、なんと答えるだろう。
黄華は、じっと丁泉の瞳を見つめて、逸らされた。
「……話の続きだが、伊予は海の側で育ったそうだ。しかし、求める料理は魚の類ではないらしい」
「うっわ。答えないとか最低ですね」
「何とでも言え。どうせ、俺に選ぶ権利などない」
「……むう」
そうかもしれないが、少なからず心動いて欲しいと思うのは高望みだろうか。そうであれば機会限られようと、尽くす者も多かろうに。
(待てよ。もしかしたら)
一つの可能性に思い当たる。一夫多妻、それは単純な数で言えば、妻の方が多いことを示す。もし、妻一同が結託して夫に当たるようなことがあれば。
(昔から、そうやって影から操った例も多い)
黄華は手を挙げた。
「丁泉さま、でしたらこういうのはどうでしょう?」
「なんだ?」
丁泉は黄華に不機嫌な視線を送る。
「私が伊予さまに、直接調理方法を伺う、という方法です」
「だめだ」
(だめか)
丁泉は虚空を見つめて目を細める。
「と、言うより、できない」
「それは……どういう?」
「伊予様は一度、東呉に戻られているのです」
桓範が口を挟む。
「で、では……えぇと、奥方さまの方は?」
「『千代』様、ですね。千代様は荊央の城にいますが……」
「それなら、千代さまに。何かご存じかも……」
伊予を経由して千代に接触するより、黄華にとっては直に話をできるほうがありがたい。
「構わんが……あれはお前らの思うほど甘い女ではないぞ」
「? それはどういう……」
言い終わらないうち、馬の嘶きがした。
どこかで聞いた、野太い声も耳に入ってくる。
「丁泉様! 桓範様! いませんか!?」
窓の外にはいくつもの松明が見える。
さすがに帰りが遅いとして、捜索されたのだろう。
「楽子山のようですね」
「ちょうどよい頃合いかもしれないな」
丁泉が服に着いた埃を払いながら襟を正す。
「本当に、来るか?」
「まあ、乗りかかった船ですし。それに、」
「それに?」
一瞬緩んだ口元を、黄華はさらりと戻す。
「いいえ。なんでも」
「おかしなやつだな……」
丁泉は気づいていない。
黄華が心の底で何を思っているかを。
(うまくやれば、千代さんを味方に出来るかも)
たとえ、この仕事を上手く終え、桓範を手にしたとて、それではまだ足りないと黄華は踏んでいた。
(あの奸雄紛いの男に抵抗するには、他にも駒が居る)
長い付き合いの桓範を尻に敷き、政略の花嫁を篭絡する。それさえできれば……
「私は食わせるのが好きなのであって、喰われるのは趣味じゃない」
黄華の不敵な独り言を聞く者は、誰もいなかった。




