11.偽りの婚約
耳に入るのは、駿馬の駆ける音。
初夏の道は少し乾いて、広がる大地に舞う土埃と青々とした草の香りが胸に広がる。
「……」
遠くで、蝉の鳴き声がした。
ざわざわと風に揺れる木々は、まるで歌うようだ。
「……」
荊央州は緩やかな丘陵地帯が続く。
ゆえに、馬上はそれほど揺れることもない。
(良かった)
黄華はそう思った。心の底から。
「おい、あまり動くな」
「……」
馬上から丁泉の声が聞こえる。無理な相談だ。
なぜって、黄華は吊るされている。
目隠しされた上に、後ろ手で縛られて、口には手拭い。
その上で馬の脇に吊るされている、それが現状なのだ。
「……」
文句の言葉は、もごもごと馬の足音に流されて消える。
(ここんところ、晴れの日が続いてたからなあ)
それだけが、せめてもの救いだった。
これで雨上がりのぬかるんだ道やら、揺れる岩場を走っているとなれば、肝が冷えるだけでは済まない。
「着いたぞ」
ひょいと持ち上げられて、黄華は地面に降ろされる。
そのまま、手かせ、口かせ、目隠しと外された。
「っぷは……。何しに……こんな」
平坦な道とは言え、荷物扱いで運ばれたので、さすがに気持ち悪い。足元がふらつくので、両手両膝をついて肩で息をする。
「あー、まあ、なんか、すまんな」
「とりあえずこちらへ」
桓範に支えられ、よろよろと立ち上がる。
そのまま、黄華は浮かんだ疑問を口にした。
「ここは?」
「ここは北陽国との国境付近です」
放置されていたのであろう畑や家屋の跡が点在している。
中に入れそうな物もあるが、ほとんどは朽ち果てていた。
「そうですか。忘れ去られた村……みたいですね」
「ここらに人が住んでいたのは、もうはるか昔だからな」
隆中とかいう村名だったか、と丁泉は呟く。
「でも、どこか……いえ。何でもありません」
不思議な感覚だった。
まるで、故郷に帰ってきたように心が落ち着く。
廃村の中、比較的状態の良い家屋へ、一行は進む。
「ふむ。まあ、いい。それより、どうしてこんな人里離れたところへ連れて来たか分かるか? 今ならまだ、ただ『諾』とだけ言えば、それで済ますことも出来るぞ」
丁泉からの問いはこれで二回目。
けれど、黄華の返事は変わらない。
「料理と嫁の件はお断りします。それに、人様の事情とやらの方は、聞かれるまでもありません」
「黄華殿、それはどういう意味ですか?」
「誰かに口外なんてしませんよ。それに、誰が信じるっていうんですか。私はただの絵描きですよ」
黄華の言に、桓範は思案顔だ。丁泉はと言えば……
「意外だな。この状況でそうまで言えるか。それとも、口封じされることも想像できないのか?」
「それは、ありませんね」
黄華は薄く笑い、横目で丁泉へ視線を向ける。
「なぜそう思う?」
「茹でた枝豆を前にしたような顔を、していますからね」
その言葉に、丁泉は破顔する。
「ふんっ、なるほど、わざわざ収穫させて目の前にあるのに、食う前に捨てる奴はいないってことか」
「はい。捨てるにしても、中身を確かめるくらいはしたいのが、人情でしょうから」
「なら、しっかり味見をさせてもらえると助かるのだが。 さやに入ったままの豆を齧る趣味はないし、」
丁泉は、ずいと黄華へにじり寄る。
「お前も何かを隠しているのだろう?」
ほのかに武骨さを感じる指が、黄華の顎に触れた。
無理矢理ではない、それでも、抗いがたい斥力で黄華は上目遣いを強いられる。
「……っ」
小さく吐息が漏れる。
横目で桓範を見れば、いつのまにか置物になっていた。
今回はあばら家の前で門番役らしい。
(そろそろ、はぐらかすのも厳しいか)
この場で殺されることはなさそうだが、貞操の保証は残念ながら怪しい。周囲に人はいないし、力では敵わない。
なら、せいぜい有利な条件で話をまとめるしかない。
決断する。
状況を拮抗させるには『家庭三分の計』しかない。
「……条件があります」
「条件?」
「えぇ。結果として、丁泉さまは私に言うことを聞かせられるでしょう」
丁泉の手が黄華から離れる。
「お前が隠している『何か』を洗いざらい話すと?」
「少なくとも、料理に関しては出来ることをしましょう。ただ、男女の仲にも秘密は付き物ですから」
「くっくっく。とんだ女だな。お前は」
丁泉は、髪をかき上げながら、抑えきれないとばかり声をあげる。宿で見た時と同じ、聡明さを湛えた、無邪気な笑顔。
「それで、条件というのは?」
「もし、私の働きが丁泉さまの眼鏡に叶うものなら……」
黄華は、すう、と息を吸う。
まさか、自分がこんな選択をするとは思わなかった。
鈴猫が聞いたらどう思うだろうか。
驚くだろうか、怒るだろうか。
何となく、「バカねえあんた」そう言われる気がした。
それでも、今この場で、出せる条件なんて他にない。
自分の身を守り、なおかつ素性を隠す、そんな方法は。
覚悟を決める。
「桓範さまを婿にください!!」
がたん、と桓範が倒れる音が聞こえた。
丁泉は無視して、流麗な動きで礼をする。
「わかった。それでは改めて問おう。ある料理の調理方法を解き明かして欲しい」
「おおせのままに」
もちろん、これは打算である。
丁泉と桓範の関係は、黄華が見る限り単純な主従の関係ではない。位の高低だけでは決まらない、血縁に近い何かを感じる。
(お目付け役か教育係……だろうね)
その桓範を婿に取れれば、黄華の立場は一変する。
今は逆らいようのない丁泉を、義弟同様に扱えるのだ。
「ふん。お前の思う通りにはさせないがな」
「何のことでございましょうね」
丁泉は今回に限って、黄華を料理で働かせる。
黄華はその功で桓範を婿にもらい、以降の追及をかわす。
桓範は……まあ、嫌なら離縁してもらえばいい。
(三顧の礼には、応えろ……そんな家訓もあったし)
そうして、黄華、丁泉、桓範の奇妙な三角関係が結ばれたのであった。
ルビ全部に振った方がいいのかな




