10.決裂
「どうした? 聞こえなかったか? お前が言ったことじゃないか。嫁なら、嫌な頼みごとでも聞くと」
言葉の主は丁泉。楽子山が仕える、地位高き者。
黄華はもう、呆れていた。
「いやです。お断りします」
他にどう答えようがあろうか。
『無理難題を聞かせるために、嫁に取る』
そんな求婚、いくつもの婿候補を袖にした黄華とて、さすがに聞いたことがない。
「てっ、丁泉さま……。さすがにこれは、私からも苦言を呈しますよ」
ふらふらと桓範が立ち上がった。
「なんでだ? 桓範。まだ嫁の席は空いているだろう。それに、使い物にならないとあれば、離縁するなり、斬り捨てるなりすればいい」
「丁泉様っ! お忘れですか。あなたの祖が、なぜ南陽で亡くなられたのかを!」
丁泉の言葉に、桓範が丁泉に掴みかかっていく。
(へぇ。ただ従うばかり、という訳でもないのか)
意外だなあ、と思いつつも部屋の隅に避難する。
黄華に、この主従のけんかに首を突っ込む理由はない。
(求婚と頼みごとの件がうやむやになれば、それでいい)
もちろん、店が壊されそうなら止めよう。
鈴猫が怒るのもまた、怖い。
「わかった! わかったから離せっ!」
「いーや、わかっていません。いらぬ女難を呼び寄せようとしているのに加え、なぜ覆面を外したのですか! あなたは丁夫人の忘れ形見にして、曹家再興を為せる唯一の存在。もし何かの拍子に正体がばれたりしたら……」
なんだろう。いま、なにか不穏な単語を聞いたような。
「おい、待て」
「あっ……」
丁泉と桓範からの、じとっとした視線。
素知らぬ素振りで、黄華は丁寧に頭を下げた。
「それでは、ご縁がなかったということで。失礼します」
何も聞いていないと言い聞かせて、きっかり三歩。
しかし、四歩目は地面に着かなかった。
「ちょっ、や、やめてください! 何をするんですか!」
黄華は襟首を掴まれ、丁泉に担がれていた。
「何もっ! 聞いてません! 誰が元皇帝家の生き残りとか、知りませんっ!」
北陽の始祖は曹家だ。
だが、直系の一族はとっくに絶えたと伝わっている。
「……しっかり聞かれてしまったようですが」
「とりあえず、黙らせろ」
「御意」
口に手拭いがぐるぐると巻かれる。
(これだから、跡目争いってやつは……!)
歴史を紐解けば、後継者をめぐる陰謀や争いなんて枚挙に暇がない。それに、黄華も当事者としてどろどろを味わってきた。
(それが嫌で逃げてきたのに)
もごもごと手拭いの下で黄華はうめく。
一体、私が何をしたと言うのか。どう考えても、いまのは桓範が悪いし、巻き込まれた災害にも程がある。
とはいえ、けっこう危ない話を聞いてしまった気もしてくる。この後待ち受けるのは、口封じじゃなかろうか。
「んー! んー!」
「あぁ、うるさいうるさい。静かにしてろ!」
丁泉に担ぎ上げられたまま、馬に乗せられる。
お次は、桓範が目隠しをしてくる。
「すいませんねえ。とりあえず、お付き合いください」
目隠しまでされ、この先どうなるのか、さっぱりわからない。唯一の明るい材料は、丁泉と桓範の声色が殺気立ってないことくらいだろうか。
(猫姐さん気づいて! ていうか、鈴明は? こういう時のための、護衛術じゃないの!?)
けれど、誰にも止められず、ただただ馬は走る。
「……芸は身を助ける、らしいぞ」
そんな丁泉の言葉だけが、耳に残った。




