魔法猫ニケとイライザ──六年前──(2)
ニケは空を見上げて一声鳴いた。ニケの鳴き声は空高くに響き渡り、風に乗ってサファイアの耳に届いた。森の奥深くから、風に乗ったサファイアの声がニケの元へ伝言を伝えた。
「イライザ。サファイアが魚を沢山捕ってくるそうだ」とニケがいった。
「そうか......今夜はごちそうだな」とイライザがいった。
千年の時を越えて
猫は少年と出会った
千年の時を越えて
かつて猫の街と呼ばれたこの場所で
イライザは千年の時を越え──ロビン少年と出会った
イライザはロビンの母親に自分の両目を与えた
イライザは、自分の命が尽きようとしているのを感じた。私の命は────
三日後の朝はやく、庭に出て、バラの花を手にした瞬間に、消えてしまうだろう。
それが私の運命、何も悲しむことはない────
イライザは、その日が来る前に、この城をロビンに譲り渡さなければならないと考えた。イライザが頼れる相手は、ただひとりだった。あの人が、私に教えてくれたあの画廊へ今すぐいかなければ。
イライザは、街へ降りていく日の為に買っておいた服に身を包むと、(今ではとても時代遅れだと言われそうな)羽根の付いた帽子をかぶり、その日の為に履かずにおいた新しい靴に足をすべらせると、急いで城をあとにした。
店に現れたイライザの姿を見て、画廊の男は目を見張った。画廊の男の心臓は、もの凄い速さで音を刻んだ。
「イライザです......」とイライザはいった。
画廊の男が、初めてイライザに会った時、イライザは十四、五歳の娘だった。
画廊の男は、昔と少しも変わらないイライザを見て言葉を失った。
いっこうに言葉を発しない画廊にイライザは微笑みかけた。
「私の名前はイライザ。私の母も、母の母もイライザという名前で呼ばれています。私の顔は、母にそっくりですが、あなたの会ったことのある娘は、私の母で......私は娘のイライザです。困ったことが起きたら、画廊へ行くようにと、あの人がいいました。
私は、あの城に住んでいて、もう長くはない命なのです。
そこであなたに、私の城をロビン少年に譲る為の手続きをお願いしたいのですが......私の願いをきいていただけるでしょうか」
黙って聞いていた画廊の男は、涙を流しながら頷いた。男の目じりによった、沢山のしわは、イライザと初めて会ったその日から、何年もの月日が流れていったことを物語っていた。
「イライザ君は......あの時(当時私は二十歳の若者だった)私の店を訪れたイライザだね私には解るよ......。あの日からずっと、君に会いたいと(もう一度)思っていた。
こんな日が訪れるとは......まるで夢を見ている様だよ」
画廊の男はそう言って、涙を流しながら笑った。男は暫く待っているようにとイライザに言って、店の奥へ消えた。戻って来た男は一通の、古びた手紙をイライザに渡した。
画廊の男は、手紙を開けるようにとイライザを促した。
イライザは古びた封筒からそっと手紙を取り出して読み始めた。
手紙は、イライザのいうあの人......ベルナールが(若い時の)書いたものだった。
そこには、こう書かれていた────
画廊の店主へ
イライザという名の少女が、これから幾度となく、この画廊を訪れるだろう。
イライザは、十年後に十年後も、初めて会った時と変わらない姿で、この画廊を訪れることだろう。どうか私を信じてほしい。そして......イライザを信じて、絵の代金を渡してほしい。
イライザに必要なのは、出来たての温かいパンと一切れのチーズとミルクを買う為の僅かばかりのお金。イライザに絵の渡した後は、どうかイライザの為に、新しい服を選んでやってほしい。服が決まったら、イライザに似合う帽子を選んでほしい。羽根の付いた帽子を。帽子が決まったら、次はイライザの為に靴を選んでやってほしい。
可愛くて、きれいな色をした素敵な靴を。
その為に私は、この画廊にイライザから贈られた絵画を全て置いていく。
この店が続く限り、永遠に、イライザを信じてイライザを助けてやってほしい。
──そう、手紙には書かれていた。
イライザは涙に濡れた目を開けて、画廊の男を見つめた。画廊の男は黙って頷いた。
千年の長きに渡って、この画廊ではイライザの絵を世に出し続けてきた。誰も口にする者はいなかたが、イライザがあの城に住む『魔女』かもしれないということは画廊の男にも解っていた。
けれど、誰もがイライザの美しさに心を奪われた。その清らかな心の触れると、男達は全力で、イライザを守らなければと思った。
千年という長きに渡って、画廊の男達はイライザを見守り続けてきたのだった。
真実を知ったイライザの目からは、涙がとめどなく流れ落ちていった。
画廊の男は、イライザの涙を取り出したハンカチで優しく拭うと「私に出来ることならなんでもしましょう。この日の為に......私は此処にこうしているのですから」といった。
画廊の男はイライザの手をとり、そっとくちびるを押し当てると「私に出来ることなら、なんなりとおっしゃってください」といった。
「では、城を......私の城をロビン少年に譲り渡す為の手続きをお願いします」
画廊の男は、口元に笑みを浮かべ「あなたの為なら喜んで」と言って、イライザの前にひざまづいた。
画廊の男を訪ねてから、二日後────
初夏の空の下ニケは、すっかり大きくなった子猫たちの毛づくろいにせいを出していた。
「この子たちの毛づくろいをしてあげられるのも......今日が最後かもしれんな」
ニケは『魔法猫』の勘で、今日が最後になることを感じていた。イライザも......私と同じ様に感じているんだろうかと、ニケは誰に言うともなしに呟いた。
いつもの草むらへ、ロビン少年はやってきた。「ニケ、今日の調子はどう?」
「ああ、今日もいい調子だな。ロビンお前はどうだ?」とニケが訊いてきた。
「......うん。元気だよ」
「ロビンお前はいくつになった?」
「もうすぐ七歳だよ」
「そうか。まだ七歳なら......お前はもっともっとこれから先も生きられるな」
「ニケ......」
「そんな顔をするなロビン。私もイライザも、もう充分すぎる程生きてきたんだ。私とイライザの亡き後は......サファイアと仲良くしてやってくれ。あれは、私と違って淋しがり屋の猫だからな。サファイアと仲良くしてればまた空を飛ぶ所が見られるぞロビン」
ニケの言葉に、ロビンの顔が輝いた。
「ほんと?ほんとにニケ?もう一度空を飛ぶ所が見れるかな?」
ロビンは生き生きした顔で訊いてきた。
「ああ、本当だロビン。私からサファイアに言っておこう。お前が飛ぶ所を見たがっていたとな」
「ありがとうニケ......ニケ大好きだよ」
ロビンはニケを両手に抱き抱えると、自分の頬にニケの頭を押し当てた。
さよなら......ロビン
ニケは人間の耳には、聞き取れない程の小さな声で別れの言葉を囁いた。
翌日ニケは、ロビンと出会った草むらに子猫を連れて出かけた。
ここなら、きっと、ロビンが私を、見つけてくれる。
ニケは突然、睡魔に襲われた。
ニケは子猫たちにお別れを言う暇もなく、目を閉じた。
ニケは重い瞼の奥を必死で持ち上げて、可愛い子供たちの姿を捜した。
ニケは......世界に二匹しかいない魔法猫が死ぬことで『猫の時代』が終わったと感じた。
しかし、また、いつか、くるであろう『猫の時代』を夢見て、静かに息を引きとった。




