魔法猫ニケとイライザ──六年前──(1)
イライザもニケも、もう自分たちに自分たちに時間がないことを知っていた。残された時間は、ニケと、サファイアと、ロビンの為に使おう、とイライザは思った。その為には────
イライザは、ロビンの側にピッタリ寄り添い「ロビン。お前の母さんを、すぐに連れてくるんだ」といった。
時々、ニケが後ろを振り向いた。
「ニケ!私はちゃんといるぞ。一々後ろを振り向くんじゃない!」
「フフン。お前のことだから、人に会うのが怖くて、逃げ出しとるんじゃないかと思ってな」とニケがいった。
ニケのやつ、口の悪さは千年経っても変わらないな......イライザは苦笑した。
「ここで待っててね、ふたりとも」ロビン少年は急いで家の中に入って行った。ロビンは、母親の手を引いて、庭に出てきた。
「ロビン......。どうしたのロビン?そんなに強く引っ張らないで。母さんの腕が折れちゃうわ」
「心配しないで母さん。ぼくにそんな力はないから、腕は折れたりしないよ」
ロビンは、母親をイライザの前まで連れていくと、掴んでいた腕を離した。
ロビンの母親は、見えない目でイライザを捉えると、いつもの様に風の匂いを嗅いだ。
「ニケ?ニケ......そこにいるの?」
「私の名前はイライザだ......。ここから見える〝城〟で猫のサファイアと暮らしている」
ロビンの母親の頬がぴくっと動いて、見えない目で探る様にして、側にいたロビンの手を掴んだ。
その手は、恐怖で小刻みに震えていた。
「母さん怖がらないで。イライザは魔女(悪い)なんかじゃないよ」ロビンがいった。
イライザは、ロビンの母親の瞳を覗きこみ「あの城に、昔から住んでいた魔女アンジェリカは亡くなった。あれから千年の時が過ぎたけれど......この街に住む人達は、今でもまた市のことを『魔女』と呼んでいる」といった。
ロビンの母親は、ロビンの手をきつく握りしめながら「ロビン......この人は自分のことを『魔女』だと言ってるわ」と、震えながらいった。
「母さん、大丈夫だよ。心配しないで。イライザは昔、悪い魔女に騙されて、城に連れてこられたんだ。悪い魔女は亡くなる時にイライザとニケに千年の呪いをかけたんだ......。そしてふたりは......ニケもイライザも死んでしまうんだ......」ロビンは言葉に詰まって涙ぐんだ。
ロビンの涙は、握りしめていたロビンの母親の手を濡らした。
「ロビン......どうして泣いているの?」
ロビンの母親は怯えた声でいった。
「だって......母さん。......ニケとイライザに会えなくなるんだよ......せっかく友達になれたのに......母さん、ぼくどうしたらいいの?ぼくは、ニケやイライザともっと一緒にいたいんだ......」
「......ロビン」ロビンの母親は途方にくれた声を出した。その後で、ロビンの母親は、ロビンの体をきつく抱き寄せた。
「ロビン......ありがとう。お前は、こんな私の為に涙を流してくれるのだな」
イライザは悲しそうな顔でいった。
「イライザ。ぼくは......ニケもイライザも、サファイアのことも、大好きだよ」
「私もだロビン。私もお前が大好きだ......。だから私は......今ここにいる。お前の母さんにこの両目をあげるために────」
ロビンの母親の口から、短い悲鳴が漏れた。
「......魔女の目を......私に?......そんな、恐ろしいこと......」
「母さん......」ロビンは、母親の手を強く握りしめた。
ロビン......私の話を聞いてくれないか......とイライザはいった。
「私の命は......そう遠くない日に尽きてしまうだろう。そうなる前に、私の中に残っている魔力が完全に消えてしまう前に......この両目をお前の母さんにあげることにしよう」
イライザの放った言葉は、ロビンの心を貫いた。イライザは、怯えるロビンの母親に優しく声をかけた。
「恐がらないで。もっと私に顔を見せて。あなたの目は、きっと見える様になる......。さあ、もっと私の近くにきて、あなたの目を私に覗かせて............」
──これが私にできる最後の魔法──
イライザの額が、ロビンの母親の額に触れた瞬間、眩しい光の輪が現れて、ふたりの体を優しく包みこんだ。光の輪は、ロビンの母親の両の目の中へと吸いこまれて消えていった。ロビンの母親が、悲鳴に似た声を上げた。
「母さん!」
「ああ......ロビン......。母さんなら大丈夫よ......ちょっと驚いただけだから、心配しないで」
「よかった......。イライザ、母さんの目は見える様になったの?」
「そうだな......今すぐは無理だが......私の目はもう、お前の母さんの物だ」
イライザは、ロビンの目の前で、崩れ落ちる様にして倒れこんだ。
「イライザ!」ニケとロビンは同時に叫んだ。ニケが心配そうな顔でイライザに近寄ってきた。
ニケは「大丈夫かイライザ?」と訊く替わりに「ニャーー」と一声鳴いた。
イライザが顔を上げた。
「ロビン。よかったなロビン。お前の大好きな母さんの目は......その内見える様になるだろう」ロビンを見つめるイライザの目は虚ろでその目にはもう、ロビンの姿は写っていなかった。
「イライザ......ロビンの目から涙がこぼれ落ちた」
「イライザ......目は痛くないの?」
ロビンはイライザの体に腕を回して抱きしめた。そして泣き始めた。
「ロビンは......泣き虫だな。私なら大丈夫だから、もう泣くんじゃない。私は元魔女だからな、目など見えなくとも、お前の顔はよくわかる」イライザは力なく微笑んだ。
ロビンは、手の甲で涙を拭うと、母親の顔を見た。ロビンの母親の目は、いつもと同じで何も変わった所は見当たらなかった。
「ロビン......。私の目は、すぐには使えない。目がはっきり見える様になるのは......私の命が消えた時────」
ロビンはイライザの言葉に息をのんだ。ロビンの母親の体に、旋律が走った。
「イライザ......母さんの目は、イライザが死んだ時、見える様になるの......」
ロビンの口から......すらすらと言葉が飛びだした。ロビンは思わず口元をおさえた。
「ああ......そうだロビン」
イライザの笑顔は、ロビンをますます悲しくさせた。それまで、黙って話を聞いていたニケがイライザの肩に跳び乗った。ニケの鳴き声は、物悲しい音色を漂わせて、ロビンの心に触れた。
「ニケ......ニケ......イライザ......」
「イライザ......」ロビンは泣いた。
母さんの目が見える様になるのは、とても嬉しいけれど、イライザが死んでしまうのは......とても悲しかった。イライザの〝死〟はロビンの心をかき乱して不安定にさせた。
「ロビン......お前はまた泣いているのか」
イライザは、ロビンの体をきつく抱きしめた後、そっと体を離した。
「ロビン......お前は、明日も私の城に遊びに来るのか?」イライザが訊いた。
「うん......明日もいくよ。サファイアには、魚の干したのを、おみやげに持っていくからね。イライザは何を持ってきてほしいの?イライザは甘いものを食べたりしないの?ねぇイライザ......」ロビンの声はかすれて途切れた。
「そうだな」とイライザがいった。
「私には、甘いお菓子を持ってきてくれないかロビン。......昔私は......とてもいい匂いのする甘いお菓子を食べたことがあるんだ......もう一度......甘いお菓子を食べてみたい」
イライザは口元に笑みを浮かべていった。
ニケが小声で「私の分も忘れんようになロビン」といった。
「ニケ......」
ニケもお城にくるの?といいかけたロビンの声を風が遮った。
「ロビン、風が出てきたようだな。お前ははやく母さんと一緒に家の中に入るんだ。私とニケは帰るからな」
ニケとイライザは風に向かって歩き出した。
......ニケ......今日は私と一緒に城で過ごさないかと、イライザは心の中でニケに語りかけた。
ニケは自慢のヒゲをピンと立てると「イライザ。今からお前の城へ行くことにした。私が行くと、サファイアのやつが喜ぶからな」といった。
「そうか......そうだなニケ。お前が来てくれたら私も嬉しい」と言ってイライザは笑った。
イライザの笑顔にニケの心は痛んだ。
だが、これもまた運命。私はイライザに出会って、イライザはロビンに出会った。そしてロビンの母上は、イライザの目を手にした。これもまた運命。
イライザと私の命がじきに尽きてしまうのもまた運命────ロビン......
私もイライザも、お前と出会えてとても幸運だった────
ニケは最後の言葉を、口に出して呟いた。
「ニケ?何を考えている」とイライザが訊いた。
「ふん。イライザ、お前には解らん」
「なんだその言い方は!どうせ今夜食べる飯のことでも考えていたんだろう」イライザは、からかう様にいった。
「イライザ!私の分の魚はあるんだろうな」
「サファイアは、お前が来ることを知らんからな。魚はふたり分しかないぞ、きっと」
「私の分も捕ってくる様にとサファイアに伝えるんだ」
「どうやってつたえるんだニケ」
イライザの言葉に、ニケの動きが止まった。
「イライザ......お前はもう、魔力を失ってしまったのか......」ニケがいった。
「......多分そうだ......ロビンの母上に両目をあげる為に、最後の魔法を使った。私の魔力は私の両目と共に、ロビンの母上の両の目の中に消えていった。......これで、やっと私も......人間に戻れた。人間の子供にな......」
「ふん。お前は相変わらずばかな子供だな。今さら、人間の子供になってどうする?人間なんて、あっという間に年老いて、死んでいくだけだぞ」とニケがいった。
「それでもいい......。私はニケに出会えて、ロビンに出会えて幸せだったからな」とイライザがいった。
サファイアのことを、忘れとるぞ、ニケは心の中で呟いた。
「サファイアには、私が伝えよう。私の方が少しばかり、魔法を使えるからな」
「ニケ!さすがだなニケ。お前は魔法猫だから、私と違って魔力を失ったりしないんだな」イライザは興奮気味にいった。
イライザ......私もお前と同じだ......。
私の魔力も失われつつある。......多分これが私の最後の魔法────




