六話
あのとき、逃げなければよかった。
ずっと心のどこかで思っていた。
でも、どうしても向き合えなかったものがある。
これは、
そんな臆病な人間が、
もう一度“誰かの隣に立つこと”を選ぶまでの話です。
六話
凛花は “憧れ” そのものだった。
明るくて、人当たりのいい笑顔。
誰に対しても優しくて、でも根っこに強い芯がある、凛としたヒト。
一方の僕は日陰者。
教室の隅でみんなを見てた。
楽しそうな輪の中に、どうしたって自分は入れない。
―――心のどこかで諦めていた。
けれど凛花が、手を引いてくれた。
僕を連れ出してくれた。
嬉しいと思った。
ありがとうって思った。
でも本当は、
―――しんどかった。
視線が気になったから。
幼馴染って肩書が、どこまでもついてくるから。
凛花との差を実感して、自信を無くすから。
《僕なんかが、彼女の傍になんて……。》
不安は募る一方だった。
けど、諦めたくはなかった。
彼女の一番で居たかった。
苦手を克服しようと頑張った。
……駄目だった。
勉強、運動、スポーツ、見た目、どれをとっても平々凡々。
志望校にも落ちて、滑り止めの行きたくもない私立へ。
場所をあえて都内にしたのは、地元を出れば変われるって、
安い考えがあったからだ。
《分かってはいたけど、上手くいかないよな。》
人にも東京にも馴染めずに、気づいたら部屋に引きこもっていた。
どこにも出かけず、誰とも話さない。
画面の世界ばかり見て、心はすっかり疲れ果てていた。
「―――で、ヤバくなったから帰って来た、と。」
目を伏せる。
「これが僕の今日までの日々。ははっ、笑えるだろ?」
口の端から、乾いた笑いがこぼれた。
ダサい自分に、涙が出そうになる。
《凛花にしてきた事への報い、僕には当然の仕打ちだよな。》
「……笑わないよ。」
「は?」
予想外の返答に、戸惑いが隠せない。
「僕は見栄っ張りで、どうしようもないクズなんだぞ?」
「……それがどうかしたの?」
「っ?!」
迷うことなく彼女は答えた。
「なんでだよ。」
拳を握る力が強くなる。
「凛花は、僕のこと何も分かってない……。」
お門違いなのは分かっていた。
でも、
―――止められなかった。
「大体、凛花に言わなかったのだって、 ”ダサい姿を見られたくなかった” ってのが本音だぞ?」
「……」
彼女は黙っている。
構わない、僕は続けた。
「結局、自分の事しか頭にないんだ。
だから―――」
「僕は、こんな僕が大嫌いだよ……。」
視界は揺らぎ、もう限界だった。
縋る様に顔を上げる。
「お願いだから、凛花―――」
ぼやけた輪郭の彼女を見つめる。
「僕を、笑ってくれよ?」
一瞬の沈黙。
―――バシンッ
刹那、両頬に痛みが走った。
「えっ?」
理解が追い付かなかった。
顔を逸らそうにも固定され、あちこち目だけが泳いだ。
「―――知ってる。」
鼻先が触れ合う。
瑠璃色の瞳に引き込まれていく。
「新太がカッコ悪いのなんて、昔から知ってるよ。
幼馴染ナメんなっての!」
耳を疑った。
「私にふさわしくとか、傍に居てもいいようにとか、
新太の気持ちなんてどうでもいい。」
凛花の感触が、言葉が、胸の内が、肌を通して伝わってくる。
網膜が彼女を捉えて離さない。
「私がいいって言ってんの、離れないで欲しいってそう言ってんの。
だからさ―――」
息が止まる。
「もう勝手に、いなくならないで!」
胸元で、ぽすっと音がした。
「……ひとりは、つらいよ。」
雨で濡れた体に、ほのかな熱が灯る。
冷えていたはずの心が、徐々に徐々に溶け始めた。
「凛花……。」
優しく包むように手を回す。
「っ……。」
腕の中に凛花を感じた。
小さくて、繊細で、儚くて……。
だけど確かにそこにいる。
「……ごめん、今まで。」
心の底から、そう思った。
「……まったくだよ、新太のばかっ。」
はにかんで、彼女は言うのだった。
***
外は相変わらずの雨。
その中で、僕らは寄り添い合っていた。
会えなかった日々を埋め合うように。
互いの温もりを確かめるように。
只々ずっと、離れずにいた。




