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5『オタクカップルならコミケデートしてても許してください』


「来ました……、コ・ミ・ケ~~~~っっ!!!!」



 夏休みも半ばを過ぎた、東京都江東区有明・国際展示場駅前。

 東京湾の青を反射した朝の夏空を背景に、両手をいっぱいに広げても足りないほどに広い大通りが続く。そこを、人の海が逆三角形の建造物に向かって吸い込まれていく。皆一様に、目的を同じくして。


 そしてまたここにもまた一組、同様の目的を持つ男女が降り立った。


 一人は以前の経験から慣れた様子を装って。

 もう一人は、高揚からきららジャンプなんかを一人でして──。



「先輩先輩! コミケですよ、コミケ!」



 コミックマーケット。年に二回、盆と年末に行われる国内最大にして世界最大の同人誌即売会。その夏の部、いわゆる夏コミに俺は後輩の中野せつなと共に訪れていた。



「うわ~~っ! すごいですすごいです! 本当に人がいっぱいなんですね~! まだ開場まで二時間以上あるのに!」



 せつなは見るからにお上りさん──というか初参加感丸出しだった。まぁそれも致し方ない。夏休みといえど、ここへ来るまでの一ヶ月、俺たちオタク部には実にいろいろなことがあった。


 今年度初のオタク部野外活動となった登山のあと、期末テスト返却を終えた俺たちは一途せつなの実家である中野家へと向かった。それなりの格式の家だとは理解していたつもりだが、まさかあそこまで大きな平屋の日本家屋だったとは。あの家の塀がどこまで続いているのか、ついぞ見ることができなかった。

 そこで俺はせつなの両親、ひいては中野家の現当主であるせつなの曾祖母に挨拶をしてきた。これがまた、御年九十近いというのに若々しく薙刀を振るう女傑で、この方の血が流れているのならそりゃせつなみたいな子が産まれるだろうと思わせる人だった。

 義理と格式をなによりも重んじる方で、盆などという日本の文化としては切っても切り離せない行事を中野家の一人娘が欠席など言語道断。

 予想通り過ぎる答えに、俺は中野家へと毎日のように通い詰め、勉学におけるせつなの努力と、コミケという場の将来的な有用性。そして何より、趣味に対するせつなの熱意を説き、どうにかして──たった一日だけではあるが──コミケ行きを勝ち取ることに成功した。のちに親戚中で語られるこの快挙を、後世では『コミケ三顧の礼』と呼ばれている(主に俺とせつなによって)。


 まぁ何はともあれ、今日は俺たちの手で勝ち取ったこの勝利を、しっかりと味わわなければいけない。

 ……はしゃいでいられるのも、今のうちだけだろうし。



「先輩先輩! なにしてるんですか! 早く行きますよ! 早く行かないと目当ての本が買えなくなってしまいます!」



 せつなが遠くで手を振る。

 動きやすい夏服ではしゃぐできたばかりの彼女を可愛いと思う反面、俺はどこか冷静だった。



「まぁ落ち着け、せつな。そんなにはしゃいでちゃ落ち着いて話もできやしない」


「どうしたんですか、先輩?」


「本はまだある、大量にな。ただこの先どうなるかはせつな次第だ。無事確保したければ俺に協力しろ、OK?」


「オッケィ(無知)!」



 サムズアップをするせつなのこの無邪気さよ。

 おそらく、コミケの人の多さを新装開店セール大売り出しのお店くらいにしか思っていないんじゃなかろうか。



「うんわかった。とりあえず、今日のせつなの目的のサークルを教えてくれないか?」



 まぁいくら人が多いとはいえ、いくつかの島サークルに絞れば初心者でも十二分に本を確保することは可能で──、



「はい、先輩」


「……………………」



 頭を抱える。

 ものの見事に、大手サークルばかりだった。

 それも軒並みシャッター前の、上から数えて並べたような規模のサークルばかり。



「? 先輩?」



 俺は手渡されたサークル表をパタリと閉じる。



「…………マー、ナントカナルンジャナイカナー」


「な、なんですか先輩、その精気の抜けたロボットみたいな話し方は?! な、なにか問題でもあったんですか?!」


「ウウン、ダイジョウブダヨー。ハジメテノイッパンサンカ、タノシモウネ」


「先輩?! 先輩っ?!」



 俺は最愛の後輩の肩を揺すられながら天を仰ぎ見る。

 何事も経験。自分という個人が如何に無力なのか、それを識ることができるだけでも十分有意義なイベントだと、俺は思う。






 そして十時半。拍手と共に、コミケが開場する。



「先輩……、せんぱーーーーいっっ!!!!」



 開場早々、人ゴミに流される後輩。



「せ、先輩……、わたしの目的のサークルはあっちのはずですが……?」


「違う。列の最後尾は正反対の場所だ。そこに列が見えるだろ」


「こ、この地平線まで続いてる列ですか?!」



 大手の洗礼をこれでもかと食らう後輩。



「せ、先輩っ! さっきから列整理されてる方の持ってるお品書き、通る度に減っていってるんですけど!」


「落ち着け、心を無にするのだ。コミケでは常に色即是空の気持ちを忘れるな。逆に考えるんだ、新刊さえ残っていればいいさと」


「先輩?!」



 コミケの無情さを識る後輩。



「あ、暑いです先輩~……」


「今がちょうど正午だからな……、ほれ、ネッククーラー。巻いとけ」


「あ~、涼しいです~……」



 そしてコミケの熱さを経験しながら、たった数時間の有明の夏は確実に進んでいき。


 ──パチパチパチパチ


 夕暮れと共に、拍手が鳴る。



「終わりました~~~~!!!!」



 両手のショッパーを掲げて、東京湾越しに後輩が吠える。



「疲れました~~~~!!!!」



 あの体力自慢のせつなも、さすがに特殊過ぎる夏のコミケは堪えたらしく、いつもは凜々しい顔がへにょりとスライムのように崩れている。



「おつかれ。初参加でいろいろ大変だったけど、思ったより買えたな」


「はい! それもこれも全部先輩のおかげです! わたし、最初は行きたいとこハシゴすればいいと思ってましたけど、ちゃんと列の進み具合や残り刊数の把握、自分たちの居場所の把握から購入予定時刻の予想。いろんなことを総合して動かなければ何も手にできないんだと……思い知らされました」



 せつなには似合わない遠い目をして、今回買えなかった多くの新刊に想いを馳せる。



「どうして同人誌のことを『戦利品』と呼ぶのか理解しました……。まさかしく、この戦場で得たモノは『戦利品』と呼ぶに相応しいのですね……」



 ギュッと、その戦利品たちをひしひしと抱き締める。

 戦場(ここ)へ来たものなら誰もが何度も経験することになる現実だ。


 欲しいと思ったものを全て手にできるほど、コミケは甘くはないのだ。

 それでも──、



「でも、先輩に教えてもらったサークル。知らない絵師さんでしたけど、新刊もグッズも、とってもいいものばかりでした。現地(ここ)に来なければ多分一生知らなかったんだと思います……。自分が好きな作家さんの本を買うのもいいけど、こういう知らない作家さんたちを見つけることができたのは、その……、とても素敵だと思いました!」


「……うん。そうだな」


「とても……とぉ~~……………………っても大変でしたけど! それでも、来てよかったって本気で思います!」


「うん」



 一人で完結することのできるオタクコンテンツ。だけれども、やっぱり人間である以上、そこには一期一会は存在する。

 そういう知らないナニかに出逢えるのも、もしかするとコミケの醍醐味と言えるのかもしれない。



「だ、だから先輩!」


「ん?」


「つ、次のコミケも……あたしと一緒に行ってください! 先輩とまたここに来たいです!」



 いつも何でもかんでもズバズバと言ってくるせつなには珍しく、今は顔を赤らめてそんなことを言う。……真正面から言ってくるところに変わりはないけど。



「ああ。俺も、またせつなとここに来たい」


「っ────!」



 宝石のような瞳が夕日色に染まる。

 キラキラキラキラと、何かを想うごとにその光の色を変えていく彼女の瞳を、きっと俺はこれからも飽きることはないだろう。

 この瞳を見続けることができるのなら、俺はきっとどんな苦労だろう困難だろうと立ち向かうことができる。

 俺はここに来て、今まで見てきた数多くの主人公たちの気持ちを、本当の意味で理解できたような気がする。



「それじゃあ、帰るか」


「っはい!」



 せつなはその大きな黒のサイドテールを揺らし、俺の腕に抱きついてくる。



「お、おい……、オタクイベントでイチャつくのはさすがに……」


「い、いいんですよ! 初参加なんですから、少しくらい他のオタクさんたちも大目にみてくれますよ」



 少し前までの俺なら殺意すら覚える行為を今自分がやっていることに罪悪感を覚えつつも、彼女という決して抗うことのできない存在を優先してしまっていることに、我ながら変わってしまったと実感せざるを得ない。

 だがまぁ。



「電車までだぞ……」


「はい!」



 悪い気分は決してしない。

 そして、これにこれからも慣れていかなければいけないとも思う。

 だってそうだろう?


 これはオタク部の活動の、ほんの一つでしかないのだから。




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