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4『今時のオタクはアウトドアもなんのその』


 一学期も終わりに近付いた、七月の週末。



「着っきまっしたーーっ!!!!」



 末広がりのグレーの帽子の下からちょうど真上を通る太陽よりもペカッと爽快な笑顔を世界に響かせて、後輩オタクは緑の元からようやく開けた青空に向かって両手を広げる。

 まるで我此処に在りとでも主張するかのように、本来オタクとは相容れないはずの明るい空の元、後輩オタクの中野せつなはいつもより少しばかり高いところでアニメとは関係のない黄色い声を上げる。



「ほらほら先輩先輩! 頂上ですよ、頂上!」


「おお~……、や、やっと到着かあ~~……」



 そんな元気の化身と化した後輩に対し、影の者であるところの純オタクな俺は、当然のように滝の汗を流しながら産まれた子鹿のようになった足を引きずって後輩の後になんとか追いついたところだった。



「もう、だらしないですよ先輩! 『オタクにも最低限の体力は必要』って日頃から言ってるの先輩じゃないですか〜!」


「げ、限度ってもんがあるだろ……。基本インドアなオタクがいきなりこんな……白日の元に曝されて、生きていけるわけないだろぉ……」


「もう~、大袈裟ですよ、先輩」



 膝に手を突く俺を覗き込むように腰を屈めて後輩は笑う。その姿があまりにも眩しすぎて、まるで太陽が二つになったかのような錯覚を起こしてしまう。死ぬ。



「ほらほらそれよりも……、ほら、先輩!」



 両手を飛行機にして走って行った後輩を視線で追った先。

 そこは、はっきりと見覚えのある景色だった。



「……アニメ二期十二話……、ちょうどクール最後の話で見た景色だ……」



 山の名前が書かれた丸太風の看板。その向こうにあるのは僅かに盛られた小高い丘と、見晴るかす青空のみ。丘の上にはここが頂上なのだと証明する四角い三角点。


 十年ほど前に放送された登山を題材にしたアニメ。その一エピソードに出てきたそのまんまの景色が、そこには広がっていた。



「……本当にあるんだな、こういうの」



 さっきまでの疲れも全て吹き飛び、俺はその景色をよく見ようと腰を上げる。


 瞬間、風が吹く。

 地上で感じる風とはどこか違う爽快さと強さを感じながら、その風を視線で追った。



「もう、なに言ってるんですか。……そんなの、当たり前じゃないですか」



 帽子を押さえながら風に吹かれた髪を棚引かせて、後輩は俺の呟きを可笑しそうに笑う。

 その姿はあたかも、アニメの世界のようで。



「来て……よかったでしょ?」


「……ああ、そうだな」



 心から、俺にそう思わせた。






 期末テストを終わらせたばかりの後輩に、何かしたいことはあるかと尋ねた。



「わたし、聖地巡礼がしたいです!!」



 相変わらず近すぎる距離の後輩を抑えつつ、俺はテキトーに「お、いいなそれ」なんて返事を返した。

 それが間違い──とまでは言わないが、こんなことになるなんて、誰が予想できただろうか。


 俺としては夏休みにしたいことを聞いたつもりだったのだが、よもやテストが終わった次の日にその『聖地巡礼』とやらに出発するとは思わなかった。


 ただテスト期間中はずっとオタ活禁(オタク活動禁止)をしていたため、その反動を少しでも早く解消したいんだろうなと、そんな風に楽観的に考えていた。



「それで、どこに行きたいんだ? その聖地とやらは」



 某有名アニメ映画の舞台だろうか。それとも後輩がずっと好きだと言ってるあのSFアニメの高校とかだろうか。もしあの戦車アニメで有名になった町に行きたいと言うのなら、予算的の心配をしなければならないのだが。



「ふっふっふ~……、それはですね~……」



 しかし何気なく尋ねた俺に、後輩はどこか厭らしい笑みを浮かべると、



「ヤマです!」



 と、そう軽快に答えた。



「それがまさかマジで山だとは……」



 丘から少し離れたところに設置された屋根付き休憩場の影の下、中野から手渡された濡れタオルを頭から被って涼んでいた。キンキンに冷えたタオルはまさかに地獄に仏、地下労働に缶ビールだった。



「へへへへ~……。アニメで初めて見たとき、絶対いつか行ってやろうってずっと思ってたんです!」



 中野は嬉しそうに長い黒髪を跳ねさせる。

 ……まぁ、後輩がこうして喜んでいるのなら来た甲斐があるというものか。



「……わたし、憧れだったんです。ちょうど一年前くらいのときにあのアニメを知って、なんとなく見てたらわたしの知ってる地元の山が出てきて。そういえばここ、小さいときにお父さんと登ったなぁ~なんて思って。アニメに出てきた風景を見て、朧気に当時の風景が蘇ってきたんです。でもやっぱり子供の頃の話で、こんなところあったかな? どうだったかな? なんて部分も多くて。だから高校生になったら、絶対にアニメを知ってるオタク友達と登ってやろうって決めてたんです! 先輩のおかげで、夢が叶いました!」



 にっこりと、中野は笑う。



「……夢なんて大袈裟だな」


「そんなことありません! わたしにとっては一世一代のことだったんです!」



 と思いきや一転、頬をぷくりと膨らませる。それで怒っているつもりだろうか。



「だから大袈裟だって。……山だろうと山じゃなかろうと、これからもっといろんなところに行けるんだからさ」


「っ────」


「……? どうした?」



 今度は急に目を丸くして黙り込んでしまい、少し焦る。



「……それは──先輩も一緒にってことでしょうか?」


「……? ああ、そうだけど?」


「っ────、……はい!」



 そしてまた顔を輝かせて返事をする。

 本当に、よく表情の変わるお嬢さんだことで。



「それで、ですね、先輩! 今日はそんなわたしの先輩に、お礼を兼ねた贈り物があります」


「贈り物?」



 言いながら、中野は背負っていたリュックの中身を取り出す。



「じゃーん! お弁当、作ってきました~!!」


「おお~っ」



 出てきたのは、登山用にコンパクトにまとめられた、それでいて想像以上におかずの種類に富んだいくつかの弁当箱だった。



「お前これ昨日の今日で作ってきたのか? 全部??」


「はい! わたしから提案したんです! これくらい当然です!」



 えっへんと胸を張る。

 いや、これはマジでもっと威張ってもいいくらいには色とりどりの弁当の数々だ。箱さえ違えばお正月かと勘違いしてしまいそうなほど。



「……それと、ですね、先輩……。も、もう一つだけありまして……」



 すると中野はさらに何かをリュックの奥からもぞもぞと、今度はどこか気恥ずかしそうに取り出す。



「こ、これ!」



 中野が両手で差し出してきたのは、ここへ来るきっかけとなった登山アニメの、主人公二人のキャラのストラップだった。



「こ、こんなものしか用意できなかったんですが、せ、先輩の日頃のお礼と、お誕生日のお祝いを兼ねて用意しました。う、受け取ってもらえたら……その……」



 普段の快活な喋りとは裏腹に、少し震えた声色で中野は一息に捲し立てる。俺の様子を恐る恐る伺うような、上目遣いの視線も加えて。



「誕生日……」


「はい……。お母さまから聞いて……。きっと、忘れてるだろうからと……」



 母さんの言うとおり、すっかりと忘れていた。好きなアニメキャラの誕生日は全部覚えているというのに、どうしてのその反動か自分の誕生日を忘れてしまう。だから中学になってからは毎年いつも、両親に誕生日ケーキを贈られることで気付いていたのだけど。

 今年はどうやら、その毛色が少し違ったらしい。



「ありがとう、中野……」



 俺はそのプレゼントを、震える手から受け取る。



「い、いえ……。少しでも喜んでいただけたら……」



 まだ何が起きたのか信じられない俺は、受け取ったストラップと中野の顔を交互に視線を送る。



「誕生日……おめでとうございます、先輩……////」



 夏の暑さとは関係なく赤らんだ後輩の頬が、やけに印象に残った。



「中野、俺と付き合ってくれ」


「は、はいせんぱ──」


「あ」



 世界が、止まったような気がした。



「えぇええええええええ?!?!」


「す、スマン……、つい本音が」


「ほ、ほほほほ本音なんですかぁ?!?!?!」


「はぁ~~~~…………」



 やってしまった。つい想いが昂ぶって言ってしまった。

 誰かに告白なんて、そんなこと今までしたことがないから。


 あまりの失敗に再び項垂れる。

 よりにもよって可愛い後輩にそんなこと、ふしだらにもほどがある。



「っ…………」



 もう今更遅いのかもしれないが、ここは謝って話をうやむやに──、



「そ、そんなの──」



 不意に、黒のサイドテールが揺れる。



「そんなのこっちのセリフですよ!」



 言い訳を考えていた俺に、中野の声が凜と響いた。



「わ、わたしから言いたかったのに……っ。わ、わたしの方が何倍も何倍も先輩のことが好きなのに……っ、……わ、わたしだって! 先輩以外にこれ以上相性のいい相手なんて現れないと思ってるんですからっっ!!」



 なぜか中野はバンと机を叩いて声を荒げる。



「なんで急にキレてるんだよ」


「だって! だってだって! 先輩と出逢ってあたし、どれだけ救われたと思ってるんですか! あたしなんてもう先輩なしじゃ生きていけないっていうのに! それなのに……先輩があたしのこと好きになってくれたらこれ以上どうお返しすればいいかわからないじゃないですか……」


「なにわけわかんなこと言ってんだよ」



 シュンと、小さくなって落ち込む中野。

 その姿は今までのしっかりした姿とは違う、どこか拗ねた子供のような姿で。

 しっかり者というメッキがようやく剥がれたような、そんな気がした。



「そんなの、これからずっと一緒にいるんだから、時々返すくらいでいいんだろうが」



 だからだろうか。普段は決してしないのに、その時は自然と後輩の肩に触れてしまう。



「っぐす……、そんなの……あたしが幸せ過ぎます……」


「別に幸せなのは悪いことじゃないだろ? 一緒にいるだけで幸せになれるんなら、俺も幸せになるんだからWin-Winだ」


「もう……、答えになってませんよ、先輩……」



 それから中野は触れた俺の手を掴んで、頭の方へと持って行く。



「撫でてください」


「あ、頭ポンポンはイケメンの特権で──」


「いいから! さっさと撫でてください!」


「はい……」



 何故か配慮したはずの俺が怒られて、イケメンムーヴなんてやったことのない俺はおっかなびっくり後輩の頭を撫でる。

 形の良い後輩の頭は、それだけで触り心地が良い気がした。



「えへへ……」


 その後食べた中野のどれも筆舌に尽くしがたい絶品ばかりだった。






「それで」



 昼食を戴いた後のゆったりとした時間。

 中野の淹れてくれたお茶を飲みながら、俺は思い出したことがあり口にする。



「はい?」


「お前の誕生日って、確かちょうど盆のど真ん中だったよな?」


「何でそんなこと知ってるんですか?!」



 母親から勝手に人の誕生日を聞いてたヤツとは思えない驚き方だ。

 ……まぁ、サプライズを考えるのはお互い様だ。



「盆って、他に何の日か知ってるか?」


「……? IBMパーソナルコンピューター5150発売?」


「1981年8月12日、違う」


「松平定信による寛政の改革実施……」


「天明七年七月一日西暦1787年8月13日、違う」


「佐倉○美誕生日……」


「8月16日エスパー○美の主人公……、いきなり俗物なの来たな……。違う。そうじゃなくてだな……夏コミ、わかるだろ?」


「っ────!」



 途端、中野の髪が風で舞い上がる。



「コミケ! コミケですよね、先輩! 知ってます! 知ってますよあたし!」



 中野は急に瞳を爛々と輝かせ、前のめりに顔を近付けてくる。近い。



「うん。だから、今日のお礼にコミケ案内するよ、中野。お前の誕生日にコミケデート、しよう」



 ハッと、中野は両手で口を覆う。みるみるうちに顔を真っ赤にしていく中野を見れただけでも、この提案をした価値はあったというものだ。



「は……っ、はい! 先輩!」


「うん」



 俺は冷えた茶を飲む。

 山の頂は茶の味すらも良くするものなのかと感心したものだ。



「あ……」


「ん? どうかしたか?」



 しかし、後輩の顔はさっきまでとは裏腹に曇っていて。



「わたしの家……、お盆には親族の集まりがあるので……、その……」



 珍しく言いづらそうに口を濁す後輩。

 それはそうだ。なんと言ったって、盆は盆なのだから。



「……お前はどうしたいんだ?」


「え……、わたしは……」



 少し躊躇(ためら)ったように斜め下に視線を彷徨わせてから、中野は顔を上げ口を開く。



「わたしは、先輩とコミケに行きたい……です」


「ん、わかった」



 時間にしてわずか一分。俺が質問して答えを返した時間こそ短かったが、中野のその真剣な顔からは、その決意がどれほどのものだったのか、彼女の普段を知ってる俺には理解できた。中野の実家がそれなりに厳しい家柄だということもこれまでの会話から察してはいる。だからこそ。



「任せろ。なんたって、俺はオタクだぞ」



 何の保証もない答えを、俺は返す。



「っ……、ですね、先輩!」



 嗤いもせず諦めもせず、後輩はいつもの後輩のまま返事を返してくる。



「それじゃ、早速動かないとな。コミケまで、あと一ヶ月しかないし」


「はい! とりあえず、この山を下山してから、になりますけど」


「え?」


「先輩?」


「え……?」



 地上よりも少し高い景色が、とても綺麗だった。




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