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3『後輩オタクと長編漫画』


「うぅ……」



 放課後の部室でここまで大粒の涙を流す女子もそうはいないだろう。

 それが俺たちが生まれた時くらいに放送していた、ただのゴールデンタイムアニメが理由だというのだから。

 ただまぁ、最高にいい話なのは納得しかないのだが。



「ほら、ティッシュ」


「ありがどございましゅ……。何でこんないいティッシュあるんでふか……?」


「例に漏れず先輩たちがいつでも泣けるように常備してたもの。もう使う人間はお前くらいしかいないから存分に使ってくれ」


「ずびばぜん……」



 今俺たちは、何をどうやったのか先輩たちが学校の名前で契約したアニメ配信サービスを使ってアニメを観ていた。



「めちゃくちゃ良かったです……」



 せっかくの可愛い顔を少し腫らして、宝石のような黒の瞳を赤く変えて。いつも騒がしい後輩は珍しくぼそりとそう呟いた。


 中野が入部してから早一ヶ月。たった二人のオタク部の活動は主に『アニメを観る』ことと化していた。


 元々はアニメを観ることはオタク部の活動のほんの一要素でしかなかったのだが、絵を描く先輩も小説を書く先輩も声マネ配信をする先輩もコスプレをする先輩もみんないなくなり、コンテンツ消費専門の俺しか残っていない今となってはこれくらいしか部の活動としてやることが思い浮かばない。

 まぁじき消えゆく部だ。諸先輩方が遺していったもので後輩が歓んでいるのならそれは良いことなのだろう。


 今では常に何かしらのアニメを流しながら時に勉強をして、時に視聴に熱中して、時に熱い議論を交わしながら、放課後の時間を浪費していた。



「わたし、このアニメ有名だから当然知ってたんですけど、さすがに長すぎて観る機会がなかったんです。アニメ千話以上ありますし……」


「千話超えたのも数年前だから、今はえーと……千百話超えてるね」


「名作だとは聞いてましたけど今まで観る勇気がなくて……。でも観てよかったです……! こんなに良いお話だったなんてぇ……っ! やっぱり作品って実際に観てみないとどんなものかなんてちっともわかんないんですねっ! 言葉で名作なんて聞いても、こんなに泣くなんてぇ……」



 どうやらこの後輩、想像以上に感受性が豊からしい。泣ける名作なんて珍しくもなくなった昨今でこれほどまでに涙を流すことができるなんて、○ァイオレット・エ○ァーガーデンとか観たらどうなるのか一度見てみたい。



「……でも、さすがに千話なんて観てたら時間なくなっちゃいますね」


「そうだなぁ」



 今一日に半クール──アニメ六話ほどを観ているとして、千話を観るとなると166日を要するわけだ。平日を全て使っても七、八ヶ月かかる。



「だったら漫画版を読むしかないんじゃないか?」



 それでも百巻を超えているけど。



「まだアニメで追いかけるより早いだろ」


「漫画ですか……」



 しかし俺の提案に、後輩は珍しくノリ気ではない様子。



「もちろんこの作品を知ったとき原作である漫画の方を読もうかと検討したこともあるんですけど……、さすがに巻数が多すぎるので……。元々(うち)は両親が厳しいので、漫画もあまり数を揃えることができなくて……。ですので買いそろえることもあまり……。部室(ここ)にはその漫画もありませんし」



 なるほど。そういうことか。



「なら貸そうか?」


「はいぃ????」



 当然の流れだと思って言った俺に、さっきまで泣いていたはずの中野は裏返った声を上げる。



「も、持ってるんですか、漫画? ひ、百巻超えてるのに……?」


「当然だろ(当然だろ)」


「……なんか改めて、先輩がちゃんとオタクなんだってことを思い知らされました」


「褒め言葉として受け取っておこう」


「えぇ……(ドン引き)」



 正直この後輩にドン引かれるいわれはないと思うのだが。



「じゃあ、明日から五巻ずつくらい持ってきてやるよ。そのくらいだったら持って帰れるし、親にもバレないだろ」


「……いいえ」



 しかし俺の提案に、後輩はなぜか腕を組んで却下する。



「いいえ、先輩。先輩の大切な漫画をわざわざわたしのために持ってきてもらうのは悪いです。だからそこで……わたしにもっといい考えがあります!」



 後輩の後ろにトランスなロボットの面影を感じながら、俺はあまり良い予感をしないままに聞く。



「……言ってみろ」


「わたしが先輩の家にお邪魔すればいいんですよ!(名案)」


「却下」


「今の時間ならまだ間に合います! さぁ、早く出発しましょう!」


「あれ、今の俺の言葉聞こえなかったかな? 却下だ却下! 後輩と言えど、女の子一人を男の部屋に入れるなんてことできません!」


「あ、先輩ってわたしのことちゃんと可愛い女の子だって思ってくれてるんですね」


「揚げ足を取るんじゃありません。どんな理由だろうとダメなものはダメです! 恋人でもない男女が狭い部屋の中で二人っきりなんて、アニメの世界じゃあるまいし破廉恥な……」


「先輩って貞操観念結構古いですよね」


「だまらっしゃい! とにかく、ダメなものはダ──」


「でもその理屈で言うと、今わたしたちがこうしてるのもダメってことになりません?」


「っ…………?!?!?!?!??????」


「あ、気付いてなかったんですね」


「そ、そんな……。それじゃあ今の俺たちは破廉恥だってことに……」


「自然とわたしを混ぜるの止めてもらえません?」



 くっ、そんな……。二次元の女の子を愛しても決してリアルの女の子には手を出さないことで知られる健全オタクであるところの俺が。既に犯罪者予備軍の片棒を担ぐようなことをやっていたというのか……っ。



「はいっ」



 しかし片膝を突く俺を余所に、中野は手をパンと叩いて笑顔で立ち上がる。



「決まりです。日が暮れる前に、さっさと先輩ん家に行っちゃいましょう! もちろんあくまで、先輩の漫画を読ませてもらうために!」


「なんだその含みのある言い方は……、おいちょっと待て。本当に行くのか?」


「善は急げ、ですよ! 先輩! 昔と違って、今やアニメは1クールで五十本以上あるんですよ!」


「それって今関係ある??」


「ありますよ! だって──






 ──早くしないと、先輩とアニメ観る時間も減っちゃうじゃないですか!」



 気付いたら、俺と後輩は俺の自室へ辿り着いていた。



「何だ……これは。また幻術なのか? 幻術か?」


「いいえ、幻術じゃありません! 先輩のお部屋です!」



 何故か後輩に俺の部屋を紹介され、俺の幻術はようやく解かれたらしい。



「わー! 本当に漫画がいっぱいなんですね~」


「なんか……、その台詞はオタク()に効くからやめてくれ」


「うわぁ……、本当にこの漫画全巻揃ってる……。それにこっちの随分前に終わった忍者の漫画ですよね。これも全部揃ってる……。うわ……、うわぁ……」



 落ち着け俺、ビークール。相手は可愛い年下の女の子と言えど、ただのオタク女子だ。イケナイものを見られている気になる必要などないのだ。


 しかし俺も一人の男。人生で初めて自室に呼んだ女の子に自分のコレクションを見られて妙な気分になってしまうのも致し方ないのかもしれない。



「先輩」


「ふぁ?! な、ど、どうした……?」



 気が付けば、後輩はいつものように俺の顔を間近くから眺めていた。



「漫画。読ませてもらいますね」


「お、おう」



 後輩はいたっていつも通りの様子で、言っていた長編漫画の一巻を手に取り上品に座椅子の上で読み始める。



「……」



 なんだか、一人緊張していた俺が馬鹿らしくなり、俺も読みかけのラノベを取り出して読み始める。

 場所は違えど、そこにあったのはここ一ヶ月ほど過ごした部室での空気そのものだった。

 きっともう、俺と中野二人がいればどこだろうとそれだけで今のオタク部になってしまうのだろう。






「それじゃあ先輩、そろそろお暇しますね」



 日が暮れかけた頃、後輩は立ち上がり部屋を後にしようとする。



「送ってくよ」



 女性経験の乏しいオタクと言えど、さすがにそこら辺の常識は持ち合わせている。

 俺も立ち上がり部屋を出ようとしたところで、俺は後輩が借りてく予定だったいくつかの漫画を置いたままにしてあることに気が付いた。



「おい、これ。貸してく予定だったろ?」



 俺がそう言うと、後輩は驚いた様子もなく、



「あ、やっぱり借りるのやめます」



 と、そう告げる。



「は、え? どうしてだ? あんまり興味なかったか?」



 そんな様子はなかったが。



「いえいえ。正直とぉ~~……っても、今すぐにでも読みたいくらいです」


「? じゃあなんで?」


「その漫画の続きは、明日まで取っておくことにします」


「はい?」


「だから先輩、また明日も、お邪魔しますね♪」


「はい?」



 後輩はなぜかスキップ気味に歩幅を弾ませて、俺の部屋を後にする。

 後には理解の遅れた俺と、借りられる予定だった漫画が明日を待ちわびて遺されていた。


 それからは部室に加え、俺の自室もオタク部の活動拠点となったことは言うまでもない。




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