第13話「テオ様の正体」後半①
「……テオ様は、」
私の唇が、自分の意思とは別に、動いた。
止めようとしたけれど、もう、止められなかった。
「……テオ様は、最初から私のことを、知っていたんですか」
声は、自分でも分からないほど、薄かった。
——けれど確かに、空気のひと粒に輪郭を持って置かれた。
テオ様は、長机の向こう側ですぐには答えなかった。
ただ、薄水色の瞳の奥がひと拍だけ深くなった。
「……知っていた」
低く、抑えた声だった。
「最初から、お前を、探していた」
——心臓が、低く、軋んだ。
(……知って、いた)
声には、しなかった。
「……どうして」
私の唇が、また、勝手に動いた。
「……どうして、私だと、確信できたんですか」
「アクアニア式の魔道具を持っているというだけでは——他のアクアニア人にも、いるかもしれないのに」
テオ様は、長机の向こう側でひと拍、目を伏せた。
それから、薄水色の瞳を、上げた。
「……王家に届いていたのは、たったひとつの、薄い記録だけだった」
「フェルンハイムという南の村に、亜麻色の髪の農夫の妻がいる。その妻に、子がひとりいるらしい——王家が掴んでいたのは、それだけだ」
(……母様)
声には、しなかった。
「名前も、苗字も——その記録には、なかった」
テオ様の声が、低く、続いた。
「俺は、その薄い記録だけを頼りに、ここへ来た」
「強い水属性を隠した平民の子が行き着く先は、この学院の特待生制度しかない。あとは、この目で、お前を探すだけだった」
一拍、間が空いた。
「お前の水魔力の質が、深海の魔女の系譜と、同じだった。眼鏡とブレスレットが、アクアニア式だった」
「——名前も、フェルシーアの苗字も、お前を見つけてから確かめたことだ」
——心臓の奥が、また低く軋んだ。
(……母様の足跡は、村ひとつぶんしか、残っていなかった)
(……それでも、消えきれて、いなかった)
その事実が、私の中に、別の重さを置いた。
「……それでは」
私の声は、また自分の意思とは別に、出た。
「……私が、初めて旧図書室に入った日も」
「……テオ様が本越しに視線をくれた、あの日も」
「……隣に、座らせてくださった、あの日も」
一拍。
私は、息をひとつ整えた。
整えても、息は、戻らなかった。
「……全部、その任務のため、だったんですか」
声は、自分でも分からないほど、薄かった。
——けれど確かに、空気のひと粒に輪郭を持って、長机の上に置かれた。
テオ様は、すぐには、答えなかった。
旧図書室の北の窓からの薄い光が、長机の上のふたりの距離を低く白く照らしていた。
私は椅子の上で、自分の体を半歩後ろに引きかけた。
引きかけたその動作が、自分の意思ではなくて勝手に起きていた。
——その時。
「……違う」
低い声だった。
短い、ひと言だった。
「違う」
もう一度、テオ様は、置いた。
旧図書室の薄い光の中に、その「違う」だけがひと粒の輪郭を持って、長机の上に落ちた。
私は、自分の体を引きかけたまま、止まった。
止まって、テオ様を、見た。
テオ様の薄水色の瞳は、いつものとぼけた質感ではなかった。
——揺れていた。
知的な眼鏡の奥で、いつもの「……さあ、何のことかな」をもう出せない目だった。
*
「……俺は」
テオ様の声が、また、低く出た。
「……最初は、確かに、国のためだった」
「……」
「お前を見つけたら、王家に報告して連れ帰る——それが、任務だった」
「……」
「けれど」
そこで、テオ様の声は、止まった。
止まって、続かなかった。
長机の向こう側のテオ様の右手が、卓の縁の上でひと粒動いた。
動いて、また、止まった。
——あの「けれど」の続きを、テオ様は、自分の中にまだ持っていなかった。
私は、それを、感じ取った。
感じ取って、何も、言えなかった。
旧図書室の薄い光が、長机の上をゆっくり別の角度に滑っていく。
時間が何度か、ひと粒、ふた粒と落ちていった。
「……お前を、傷つけるつもりは、なかった」
テオ様が、ようやく、続けた。
「これをいま、お前に話したのは——アクアニアからもう一人、別の人間が来る前に」
「……」
「お前自身に、お前のことを、知っておいてほしかった」
声には、嘘がなかった。
——少なくとも、その低い温度の中に嘘の輪郭は見えなかった。
私は、自分の左の手首のブレスレットを、握ったままだった。
握ったまま、テオ様の言葉を、ひと粒ずつ受け取っていた。
受け取って——
(……分からない)
声には、しなかった。
(……「違う」と言ってくれたことが、嬉しかったのか)
(……それとも、最初は確かに国のためだったと言われたことの方が、悲しかったのか)
——どちらの輪郭も、いま、私の中でひとつに決められなかった。
*
「……いま、答えは、要らない」
テオ様が、低く、結んだ。
「ただ、知っておいてほしかっただけだ」
それだけだった。
テオ様は、それ以上、続けなかった。
旧図書室の北の窓からの薄い光が、長机の上を、また別の角度に滑っていく。
私は、頷くことも、首を横に振ることもできなかった。
——ただ、自分の左の手首のブレスレットを強く握り続けていた。
*
——その時。
旧図書室の重い木の扉の向こうで、
——廊下の石畳の上を、誰かの靴の底が、低くひと音鳴った。
ひと音だけだった。
その音はすぐに止まって、廊下の方には、もう何の気配もなかった。
私もテオ様も、扉の方を見なかった。
——けれど。
私の左の手のひらの中の、いつのまにか消えかけていた、あの温度の輪郭が——
その「ひと音」のあとから、また、ひと粒だけ戻ってきていた気がした。
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