第13話「テオ様の正体」前半②
「……どうして」
私の声が、自分でも分からないほど、薄く出た。
「どうして、テオ様がそんなことを、ご存じなんですか」
聞いてはいけない問いだった。
——けれど、その問いを呑み込めるほどの息は、いま私の中にはなかった。
テオ様は、長机の向こう側で、まっすぐ私を見ていた。氷の銀の髪が、北の窓からの光をひと粒だけ受けて、いつもより冷たい色をしている。
それから、テオ様は、低く——
「……俺の方が、先に、答える番だな」
と、言った。
「俺は、テオドール・アクアニアだ」
「……はい」
「アクアニア魔導公国の、第二王子だ」
——時間が、止まった。
私の中で、いま確かに止まった。
*
「……第二、王子」
私の唇がその言葉を、自分の中に置こうとして置けなかった。
知的な眼鏡の奥の、テオ様の薄水色の瞳は、いつものとぼけた質感ではなかった。本越しでもない。
「……さあ、何のことかな」もない。
ただ、まっすぐの、迷いのない目だった。
「……隠していて、悪かった」
低く、抑えた声だった。
「正体は、学院の人間にも教官にも誰にも、知らせていない」
「……」
「お前が、初めてだ」
私は両手を、膝の上で握り合わせた。
握り合わせたその指の節の白さが、自分の体の冷えの輪郭を教えてくれた。
寒い、わけでは、なかった。
——ただ、自分の体の中の何かが、いま知らない場所へ運び去られようとしていた。
「俺は、ある任務で、ここに来ている」
テオ様の声が、また低く続いた。
「アクアニア王家の命令だ」
「……命令」
「『深海の魔女』が遺した子を、見つけ出せ——」
その名前がテオ様の口から出た瞬間、私の目の前の長机の縁が、いつもの輪郭をなくした。
(……深海の、)
声には、ならなかった。
「お前の母親が、アクアニアで、そう呼ばれていた」
テオ様の声は、まっすぐに、私に届いていた。
「最強の水魔術師だった人だ。二十年ほど前に、アクアニアから、消えた」
「……」
「アクアニア王家は、ずっと、その娘を探していた。生きていれば、十二歳。聖アステリア魔導学院に、特待生として入学する可能性が、いちばん高い」
——だから、ここに来た。
そう、テオ様は、言わなかった。
ただ目で、それを伝えていた。
私は自分の左の手首のブレスレットを、もう片方の手で強く握った。
兄様が刻んでくれた、アクアニア式の魔道具。
母様が私のために用意してくれた、二つの魔道具のうちの、ひとつ。
——なぜ、母様はこれを用意していたのか。
その答えがいま、テオ様の口から輪郭を持って出てこようとしていた。
「……母様は、」
私の声が、また、薄く出た。
「母様は……あまり、街にも、出ない人で」
「……知っている」
テオ様は、小さく、頷いた。
「アクアニアからも、何度か、人を出した。けれど、お前の母上は誰の前にも、姿を見せなかった」
「……」
「強すぎる魔術師は、国にとって力にも危険にもなる。お前の母上は、そのどちらにもなりたくなくて、消えた」
声には、温度の名残があった。
それは政治の言葉ではなくて、テオ様自身の——「俺はそれを、わかっている」という低い温度だった。
「俺の任務は、お前を、アクアニアに連れ帰ることだ」
「……」
「王家は、お前の力を、欲しがっている」
——王家。
その言葉の重さで、長机の向こうのテオ様がいつもの旧図書室のテオ様ではなく、別の場所に立っていた。
旧図書室の北の窓からの薄い光が、急に別の国の光に変わった。
「……いま、お前に、これを話している理由は」
テオ様が、また、低く続けた。
「もうひとつ、ある」
私は、顔を上げた。
テオ様の薄水色の瞳が、ひと拍だけ揺れた——気がした。
「アクアニアからもう一人、留学生の話が来ている」
「……?」
「俺ではない。別の人間だ」
テオ様の声が、抑えられた。
「そいつが来る前に、お前に、知っておいてほしかった」
それ以上は、テオ様は、言わなかった。
——けれど、その「もう一人」の輪郭の奥にテオ様自身が見ている影があることだけは、私にも伝わった。
「……」
私は、何も、答えられなかった。
ただ、自分の左の手首のブレスレットを、もう片方の手で強く握り続けていた。
握っていないと、自分の体が知らない場所へ運び去られていきそうだった。
旧図書室の北の窓からの薄い光が、長机の上をゆっくり、別の角度に滑っていく。
テオ様は、それ以上すぐには続けなかった。
私の答えを、待ってくれていた。
——けれど、私の中には、答えになる言葉がひとつもなかった。
ただ、ひとつだけ、輪郭を持ってきたものがあった。
(……テオ様は、最初から私を知っていた)
(……テオ様が私の隣にいてくれたのも、私の前で本越しに視線をくれたのも——全部、その任務のためだったの)
声には、しなかった。
——けれど、その問いだけは、もう私の中で消せなかった。
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