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第1話「入学式の熱」後編




大講堂に、新入生が集められた。


高い天井のステンドグラスから、春の光が斜めに幾筋も落ちてくる。

壇上には、大人ふたり分はある、巨大な『魔力測定水晶』が鎮座していた。


——この儀式で、この学院での三年間が決まる。

どの組に配属されるか、どの序列に置かれるか、その全て。


「——まず、新入生総代の挨拶から始める」

教師のひと言と同時に、大講堂の空気が変わった。


壇上に立ったのは、漆黒の制服を纏った、さっきの彼だった。

何百人もの生徒がひしめいているはずなのに、彼だけが別の重力を持っている。


目を合わせてもいけないし、合わせずにもいられない——そういう類の、おそろしい重力。


「——アルフォンス・カシウス・フォン・フェルドラク」


名前が読み上げられた瞬間、あちこちから小さなどよめきが広がった。


「焦土の主……」「フェルドラク侯爵家の、ご嫡男……」


彼はざわめきを意にも介さなかった。ただ静かに、口を開いた。


「——この学院で、俺に並ぶ者が現れることを、期待している」

たったそれだけを言って、壇上を降りた。


(……怖い)

そう、思った。 あの人は私とは違う世界の太陽だった。

決して交わってはいけない。あんな眩しい光に近づけば、私のような小さな雫は、一瞬で干上がって消えてしまう。


そう思って、深く頭を垂れた、その時だった。

ざわめく群衆の隙間を縫って、まっすぐに——射抜くような、圧倒的な「熱」が、私の後頭部を捉えた。


(……え)

恐る恐る、顔を上げる。

壇上から降りた彼が、何百人もの生徒の背中の向こうから、まっすぐに私を見ていた。 誰も気づかないような一瞬。


金の瞳が、私を捉えて、離さない。


(……なんで)

そう思った瞬間、彼はふっと、視線を外した。

まるで、何事もなかったかのように。 私は、震える手で眼鏡を押し上げた。  


「——では、魔力測定を始める。身分の高い順から」

教師の声で、測定が始まった。

貴族の生徒たちが次々と壇上に上がり、水晶に手をかざしていく。

金色、紫色、蒼白い光が、高い天井の下で大講堂を鮮やかに彩っていった。


——そして、フェルドラク様が、再び壇上に立った。

水晶に、手がかざされる。


「——っ」

思わず、息を呑んだ。

今にも溶け出しそうなほど激しい、深紅の炎が、水晶を包んだ。


大講堂中の空気が、一気に数度跳ね上がる。

一段階、二段階、三段階——それ以上の領域は、誰も見たことがない、未知の色だった。


水晶が悲鳴を上げるように震えて、記録を取る教師の手まで、かすかに震えていた。


「……規格外だ」

誰かが、小さく呟いた。

フェルドラク様は、水晶から手を離した。

その顔には何の感情も浮かんでいない。まるで、当然のことをしただけだと静かに言っているかのように。  



やがて、平民の順番が来た。


「——次、特待生。リアネ」

名前を呼ばれた瞬間、心臓が小さく跳ねる。

この学院に、平民が入学できる方法はひとつだけある。


『特待生制度』——帝国全土から魔法の才能を持つ平民を選抜し、奨学金付きで入学を許可する制度。定員は毎年十名前後で、魔力の強さによって序列がつけられる。

上位の特待生は貴族と同じ食堂を使えるが、下位の特待生には、平民用の質素な食事と、古びた教科書が配られるだけ。


そして——毎学期末の成績評価で基準を下回った者は、特待生の資格を剥奪される。

奨学金も、寮の部屋も、全部消える。故郷へ帰るしかなくなる。


だから、目立ってはいけない。でも、成績は落とせない。

この帝国で、規格外の魔力を持つことは、才能ではなく、危険だ。


強ければ強いほど、帝国はその子どもを「使える道具」としてその目に留める。

母様はそれを知っていたから眼鏡を渡してくれた。

兄様はそれを知っていたからブレスレットを作ってくれた。


私が隠すのは、ただ、静かに生きるためだ。

私は今年の特待生の中で、公式には——最下位だった。

選抜試験の時、わざと出力を絞って、試験官たちの目の前で、ただの『水属性・並』として記録されるようにした。


わざと猫背気味に、私は壇上へと上がった。


(……落ち着け)

自分に、言い聞かせる。ぎりぎりだけ出せばいい。目立たず、静かに。それだけでいい。

水晶に、そっと手を触れた——その、瞬間だった。

抑えていたはずの、深海のような濃い青が、ひとつ、内側から突き上げてくる。

水晶が、私の魔力に耐えかねて、内側からひび割れるように震えた。


『——パキッ』

小さな、亀裂の、音。


(……っ)

息を止めた。眼鏡を瞬時に押し上げる。

手首のブレスレットに、もう片方の手の指先で、一瞬だけ強く触れた。


兄様が刻んでくれた術式が、深海の青を内側へ引き戻してくれる。

水晶の光が、ぐらりと揺れて——ゆっくりと、濁った薄い水色に戻った。


「……平凡な、水属性。魔力量、並」

教師の声は、私の亀裂に気づいていない。


「——次」


私は、安堵の吐息を呑み込みながら、壇上を降りた。


(……ギリギリ、大丈夫)

手首のブレスレットに、もう一度そっと触れる。

冷えた石の温度が、熱くなってしまった指先を少しだけ冷やしてくれた。


——気づかれて、いないはず。


そう、自分に言い聞かせて。


大講堂の、反対側に。 漆黒の制服の背中が、ゆっくりとこちらへ半身だけ振り返ったのが、視界の端に、ほんの一瞬だけ——映った気がした。


測定が終わり、生徒たちが配属先の寮へと向かい始めた。

貴族の生徒たちは、南方寄宿舎へ。

磨き上げられた廊下の向こうへ、当たり前のように歩いていく。

フェルドラク様も、その流れの中にいた。振り返らず、誰とも話さず、ただまっすぐに歩いていく、漆黒の背中。


私は、反対側へ向かった。 北方寄宿舎。石造りの古い建物に、蔦が静かに絡まっている、特待生たちの寮。同じ学院の中で、最初から住む場所が違う。


(……当然だ)

そう、自分に言い聞かせる。



(目立たず、静かに。それだけで、いい)



夕暮れ。


学院の貴族棟、最上階の角部屋。

貴族専用サロンは、一組に配属された貴族生徒だけが使用を許可された、特別な空間だ。


磨き上げられた木の床に、暖炉の前の深い緑のソファ。壁一面に並ぶ書棚と、細工の凝ったシャンデリア。

高い窓から差し込む夕日が、大理石の床をゆっくりと黄金色に染めていた。


アルフォンスは窓際に立ったまま、自分の掌をただ見つめていた。


「——おい、アル」

深緑のソファに腰掛けながら、セドリックがタルトを片手に声をかけた。

蜂蜜色の癖毛を揺らして、明るい茶色の瞳を友人の背中に向ける。


「また、掌、見てるのか。今日の入学式、ずっとそんな顔してたぞ」


アルフォンスは答えなかった。

ただ、自分の指先をもうひと呼吸見つめてから、ぽつりと口を開いた。


「……一人、変な子が、いた」


「変な子? どこの令嬢だよ」


「……知らない。瓶底みたいな眼鏡をかけた、地味な、特待生だ」


「はあ?」

セドリックが、タルトを持つ手をぴたりと止めた。


「お前、そんな子を、ずっと凝視してたのか?」


「……凝視は、していない」


「ハンスが言ってたぞ! 入学式の後、お前の視線が完全に一点集中してたって!」


「……」


「アル!」


ゲラゲラと笑うセドリックを、アルフォンスは珍しく、言い返さずに黙り込んだ。 暖炉の火が、ぱちりと爆ぜる音がした。


長い沈黙の後、アルフォンスがぽつりと言った。


「……あいつの側にいる時だけ、」


「……?」


「俺の『火』が、暴れなかったんだ」

セドリックが、笑うのをやめた。


「あんなに静かだったのは、生まれて初めてだ」

アルフォンスの声は、いつもの冷たさではなく——十二歳の少年の、ほんの少しだけ心細そうな声だった。


生まれてからずっと、彼の隣にいた人間だけが知っている声。

十二年間。感情が揺れるたびに、周囲の空気を焼いてきた彼に、誰も近づけなかった。

幼い友人のひと握りを除いて、誰もが畏怖と羨望の眼差しで、一定の距離を置き続けてきた。

彼は『熱すぎる怪物』として、孤立したままここまで来た。

その彼が、自分の掌を見つめている。


——ただ、そこに彼女の影があったというだけで。


「……なあ、ハンス」

アルフォンスが、ふと壁際の侍従に声をかけた。


「俺、あいつと——その、」

珍しく、言葉に詰まる。


「『ともだち』とかいうのに、なれると、思うか」


壁際に控えていたハンスが、ほんの一瞬だけ目を細めた。


ハンス・エーデル、十七歳。

黒髪を整然と撫でつけた、細身で背の高い青年。切れ長の瞳と、感情を映さない涼しい顔立ちは、どこか古い肖像画の騎士を思わせる。

フェルドラク家代々の侍従の家系に生まれ、幼い頃からアルフォンスの傍に仕えてきた、付き人見習い。


本来、学院への同行は許可されていないが、フェルドラク家の権力と、何よりアルフォンスの『火』に唯一動じない胆力を見込まれて、特別に帯同を許されている、唯一の人間だった。

いかなる時も表情を崩さず、誰よりも静かに、アルフォンスの孤独を見守り続けてきた男。

そのハンスが、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……アル様」


「ん」


「まずは、明日の朝、ご挨拶から、いかがでしょう。女子寮の場所は、既に調べさせてございます」


「……挨拶か」


「はい」


「……よし、わかった」


——次の瞬間。


「——っ、ゴホッ」

セドリックが、紅茶を思いきり吹き出した。


「おい、待て、ハンス!」


「……なんでございましょう」


「アル、お前の『挨拶』は、相手からすれば『処刑宣告』なんだよ!」


「……うるさい」


「うるさくない! ……てか、ハンスもわかってて言ってるだろ、絶対!」


暖炉の火が、もう一度、ぱちりと爆ぜる。

窓の外では、夕日がゆっくりと、学院の屋根の向こうへ沈んでいく。漆黒の制服のアルフォンスだけが、その色をじっと眺めていた。


掌を、そっと握ってみる。

——あの、瞬間の温度が、まだ、残っている気がした。


自分の『火』が、誰かの側でこんなに静かになったのは、生まれてはじめてだった。  





——これが、私と彼の、最悪で、最高に「熱い」、始まりだった。



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