第7話「笑顔のまま、それでも」後編②
放課後のサロンは、いつもと同じだった。
夕暮れの光が窓から斜めに差し込んで、磨き上げられた木製の床を金色に染めている。暖炉の火がぱちりと爆ぜる。
セドリックがソファにどっかりと腰を下ろして、タルトを頬張っている。
アルフォンスは窓際に立ったまま、窓枠に肩を預けて庭を眺めていた。
黒髪が夕暮れの光を受けて、わずかに揺れている。
同い年の生徒より頭一つ分は高い背が、窓枠に切り取られた橙色の空を半分ほど塞いでいた。金の瞳は、何も映していない。
12歳とは思えない、彫刻みたいな横顔で、ただ、外を見ていた。
午後からずっと、そうしていた。
「……見ていたのか」
セドリックが、静かに言った。
いつものからかうような口調ではなかった。
「……うるさい」
「うるさくないだろ。授業中、ずっとあっちを見てたじゃないか」
アルフォンスは答えなかった。見ていた。ずっと、見ていた。
グループを組む時に誰も声をかけなかった場面を。
一人で立ち尽くしていたあの子を。先生が「では一人で」と言った瞬間、あの子が一瞬だけ動きを止めたのを。
授業中、ずっと見ていた。でも、何もできなかった。
「……ハンス」
「……はい、アル様」
「……授業の後、何かあったか」
ハンスが少しだけ間を置いた。
「……ご報告してもよろしいでしょうか」
「……ああ」
「……実技棟の外壁にて、ルミエール様があの方に話しかけておられたようで」
「……」
「短いやり取りでございました。ルミエール様の笑顔が一瞬だけ揺れて、そのままお通り過ぎになったと」
(……何を、返したんだろう)
「……その後、見知らぬ青年があの方に声をかけ。さらにテオ・アクアニア様も加わり、三人でしばらく話しておられたようで」
アルフォンスの金の瞳が、わずかに細くなった。
「……男か」
「……はい。見知らぬ青年については詳しくは存じません」
「……テオまで」
「……はい」
しばらくの沈黙が落ちた。暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
アルフォンスは窓枠を握る手に、静かに力を込めた。
(……ルミエール)
何も言わなかった。でも指先が、じわりと熱くなった。また沈黙が落ちた。サロンの外の廊下を、誰かが歩いていく足音が聞こえた。
夕暮れの光が、少しずつ橙色に変わっていく。
セドリックが、タルトを置いてアルフォンスの顔をそっとうかがった。
「……アル、お前、めちゃくちゃ怖い顔してるぞ」
「……なんでもない」
「なんでもなくないだろ。いつもと違う顔してるぞ、お前」
アルフォンスは答えなかった。わからなかった。でも、胸の奥で何かが動いていた。怒りなのか、心配なのか、それとも別の何かなのか、うまく言葉にならない。
見知らぬ青年。テオ。あの子。全部が、頭の中でぐるぐると回っていた。
ただ、じっとしていられなかった。
窓の外では、鳥が一羽、橙色の空を横切っていく。
「……ハンス」
「……はい、アル様」
「あの子は今、どこにいる」
ハンスが少しだけ間を置いた。
「……北方寄宿舎の方へ向かわれたかと」
「……そうか」
アルフォンスは少しの間、黙っていた。
暖炉の火が、また小さく爆ぜた。手袋の先を見た。今日はもう焦げていない。でも指先に、じわりと熱が集まる感覚があった。
(……大丈夫か)
あの子は大丈夫なのか。授業で一人にされて、ルミエールに何か返して、見知らぬ青年とテオと話して、それでも歩いて帰っていった。
(……あの眼鏡の奥に、何を隠しているんだろう)
「……アル」
セドリックが、静かに声をかけた。
「……お前、明日どうする気だ」
アルフォンスは少しの間、黙っていた。
明日もまた同じ授業がある。ルミエールがいる。
あの子が一人で立っている場面があるかもしれない。
見知らぬ青年がまた来るかもしれないし、テオがまたあの子の近くにいるかもしれない。
(……どうする気だ)
ただ立ち上がって、扉へ向かった。
「……明日の昼休み」
「なんだよ」
「旧図書室は、どこにある」
セドリックが、タルトを床に落とした。
「……アル、お前、まさか」
「……なんでもない」「なんでもないわけあるか!! 旧図書室行ってどうするんだよ! 何しに行くんだよ!!」
「……うるさい」
「うるさいじゃないだろ!!」
セドリックの絶叫が、夕暮れのサロンに響き渡った。アルフォンスは答えなかった。ただ、扉の前で少しだけ足を止めた。
(……何をしに行くんだろう)
自分でも、うまく言葉にならなかった。ただ、行かなければならない気がした。あの子がいる場所に。あの眼鏡の奥に何かを抱えたまま一人でいるあの子の近くに。
見知らぬ青年がいても、テオがいても。それだけだった。
「……ハンス」
「……はい、アル様」
「旧図書室の場所を教えろ」
「……本校舎の最奥、北廊下の突き当たりでございます。重い石造りの扉が目印でございます」
「……わかった」
扉を開けた。廊下の向こうで、夕暮れの光が少しずつ暗くなっていく。ハンスは静かに、セドリックが落としたタルトをそっと片付けながら、口元をわずかに緩めた。
(……ようやく、でございますな)
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