マルティナ・エルヴァン令嬢のAルート
そう婚約破棄イベント。私マルティナにとって今こそ必要だったものだった。
ちょうど現れた、清純そうでどこか腹黒そうなヒロインの邪心の手を借りて、私はレイネル王子殿下との 婚約 という柵から抜け出す事ができた。
第一王子との婚約が解消された辺境伯の令嬢ともなれば、私の悪評はこの王国の隅々にまで広がり、それはエルヴァン伯爵家の没落になるのだろうか? それとも私がお父さまから縁を切られて、今後人前に出られない人生を過ごすのだろうか、それは分からない。
王宮世界の婚約、そして万が一にも婚約破棄とは、そういう仕来たりなのだ。……と、教わってきた。
確かに、オルダニア王国第一王子レイネル・セルヴィオ=エヲ=ヴァルモンドと、ダンドグーリ領領主の娘マルティナ・エルヴァンの噂はすぐに貴族中に広まったようだった。
「マルティナさま。あの、えへへ。」
「あなたね、脚の怪我が治ってないでしょう?」
「捻挫ですね。お医者様は自然治癒するから大丈夫だって仰ってました。」
「どこの国の治療法なの? そんな石膏で固めてる脚なんて見た事がないし。」
「これは我が家に伝授のアイデアで……あ、私の父が雑工職人でしたので色々と。」
「そうまでして、どうしてこの馬車にあなたが乗ってるのか、って聞いてるのよね。」
「だって王子さまたちってこれだけの事をすごく心配なさるんですよ、居心地悪くて……。」
「それ、答になってないわよね。エレナさん、あなたが王子から寵愛されていてくれないと、この婚約破棄の噂が続かないじゃないの。」
「え~寵愛なんかされてませんよ? あの4人の王子さまたちが~そんな、……いえ、その。」
そう、このエレナという子の我儘という訳ではなくて、これは王妃殿下からのお願いなのだ。1か月くらいダンドグーリ領で面倒を見てくれと。これから私マルティナは王子レイネル殿下ときちんと文通を交わす。それをどう受け取ってどういう気持ちなのかを、王族直属の書記係が記録するために、と。
「私は婚約破棄してもらってそれでいいんですから、ちゃんと記録してよね? 王宮書記官見習いのエレナさん。」
「うふふ、マルティナさま、どうしましょうかね~。」
「あなた、どういう意味よそれ。」
「逞しい女性って素敵じゃないですか。優柔不断な王子さまたちよりも……素敵……。」
うわぁ。
ヴァルモンド城でのあの祝宴から、 私はダンドグーリ領へ戻ってきた。
馬車から降りる私にお姫様抱っこされている庶民の娘は、なぜだかうっとりしている。王妃殿下から直々に預かった子なので仕方がない。
「マルティナお嬢様、私どもでお運びいたします……でも……どなたでしょう?」
「この者は怪我をしておるのでな。私にもよく分からぬが、お前たちは気にするな。」
「えへへ、幸せです~。」
同じように城下町を擁していても、ここのような辺境領の様子は王都のそれとはまるで違う。
乾いた風が牧草地を渡り、遠くからは騎士団の訓練の音が響く。領主館の廊下を歩けば、家臣たちが次々と書類を抱えて私に声を掛ける。
「マルティナお嬢様、交易路の巡回日程の確認をお願いします。」
「マルティナお嬢様、祭事の準備が迫っております。」
「マルティナお嬢様、国境警備隊から報告がございまして。」
私はけっこう忙しい。
そして半月。商人も役人も絶えず王都との行き来があるはずだ。それなのに、私と王子の婚約破棄の噂が1つも流れてこない。
「マルティナさま、王宮からのお手紙が届いておりますよ。レ・イ・ネ・ル・殿下からです。」
何通目かの手紙が届いたようだ。
それにしても以前までは必ず、侍従からの手紙だったというのに。あれからは王子殿下ご本人が筆をお執りになって送ってくださるようになった。
封蝋は王家の紋章。 中身は、何というのだろうか恋文ではない。
でも、こうしてご本人のお書きになった手紙だ。
「殿下がこの領館に来られるとも書いてあるぞ。何を用事にするつもりだレイネル王子は。」
もし返事を出さないでいたら、いきなり訪れられてこのダンドグーリ領が大騒ぎになってしまう。
そういうわけなので渋々、お返事文の確認をする。
『私は王子殿下を好きではなかった。婚約は外交の柵だった。それは今も変わっておりません。……なのに、心が少しだけ揺れております。』
噴き出したお茶がもったいない……何だ、この文末は。
「エレナさん、書記係が嘘を記録してどうする? 早く書き直しなさい、こんなの。」
「私にはそう聞こえましたよ? どっちが捏造なのでしょう。書き直しがご所望でしたら、その……。」
「面倒な書記係だな!」
私はお姫様抱っこをしてそしてまるでダンスのように振り回す。
ああレイネル王子よ、早くこの庶民の娘を連れて帰って寵愛してやってくださいませ。




