国家型都市フィレンツェ
王宮書記官室に人の出入りが増えた。
外交書類チームと宮廷行事書類チームが超多忙になって、日が暮れても帰宅できないでいるらしい。
フィレンツェ訛りなラテン語の文書作業が増えた。
宮廷を挙げての行事の準備が始まる。
都市フィレンツェは激動の最中にあるけれど、帝国の揺れ動く支配力から独立して間もない新しい時代の国家型都市の一つだ。
西ローマ帝国が5世紀に滅んだ混乱の後に、地中海に細長く伸びたその半島は6世紀には全体が東ローマ帝国の一部になっていた。だけどそれも束の間、北西側がランゴバルド族に支配されてしまう。そこに片田舎だったフィレンツェも含まれるわね。
そういう危機になるとキリスト教仲間が発動して、ローマ教皇ハドリアヌス一世から軍事援助を求められたフランク王国のカールによって、8世紀に半島の北西側はフランク王国領土となって、東南側との間にローマ教皇領という領土が生まれたのね。これはフランク王国の政治権力とローマ教皇の宗教権力それぞれの強大化を表していたの。
片田舎フィレンツェとしてはフランク王国側で、教皇領と接していた位置かな。
でもそれも次の9世紀になると、フランク王国は内部対立で3つに分裂する。キリスト教の大型国家って何ですぐそうなるの?
東フランク王国はアルプスを挟んで北に離れていたけど。静観する我がオルダニア王国を間に挟んで、西フランク王国とイタリア王国が出来上がりました。
この時の片田舎フィレンツェはイタリア王国の区分。
けんか別れしたかと思うと10世紀には、ローマ教皇とは仲良くしたい東フランク王国が、イタリア王国と併合してまた一つになったのが神聖ローマ帝国。いいんですけど、各国王族さんたちもう少し落ち着いたらいかがでしょう?
片田舎フィレンツェは神聖ローマ帝国の一部となりました。
そんなフラフラした巨大な神聖ローマ帝国は11世紀後半のローマ教皇との破門に向けて、近辺の片田舎や地方都市には権力が弱体化していく。
そういう地域性になると、多くの文化と多くの時代に触れる位置にある地方都市には商業が発展していくものなの。ここは割と中立国家オルダニア王国の辺境領と似ているわね。それも東地中海貿易が盛んになっていく時代、弱体化していく帝国の支配下にありながら、都市自体が力を持ち、経済網、政治機関、軍隊を作り始め、独立性を高めていく。
フィレンツェはこの辺りで国家型都市となっていったのね。
そして12世紀には、ピサやヴェネツィアと並んでフィレンツェなどの都市軍は、ローマ皇帝軍に勝ち、半島北西側が帝国から独立。
国名はなく、国家型都市が共和国のような形で成立したの。
宗教も重んじられてはいたけどそれよりも商業。最近までの十字軍による騒ぎにも巻き込まれる被害をできるだけ回避して、貿易によって財力を成した多くの大商家が政治家を兼任し、その財力が学問や芸術の余裕を芽吹かせている。
イタリア半島の北西側はそんな感じだけれど、一方の東南側は東南側で大変なことになっている。
少し前までノルマン人に支配されてシチリア王国になっていたりしたところにまた抗争が起こって、フランス王国勢力下のナポリ王国になったりしていたりする。
そしてヨーロッパ全体をお騒がせ中のフィリップ四世と、ローマ教皇ボニファティウス八世が、課税と献金という互いの醜い権力で衝突していたところ、ローマの東にあるアナーニという場所で教皇が捕らえられたり軟禁されたり連行案件にまでなっている。今、そんな事件の最中なの。
国家型都市フィレンツェは、帝国でも教皇領でもないとは言え歴史的にはキリスト教圏。教皇に近くあろうとする教皇派「黒派」と距離を置こうとする皇帝派「白派」がここでも分かれていたりする。あなたたち細部分裂するにしても細かすぎない?
そんな状況でも、全ての国家の畑には穀物が、山や果樹園には果実が実って、魚や獣たちには脂が乗る。
それが多神教信仰による自然の恵みであろうと色々な一神教宗教の神からの恵みであろうと、人々は年に一度の盛大な収穫祭に向けてお祝いの準備に夢中だ。
我がオルダニア王国でも国内各地でそれぞれに収穫祭が行われる。その中でも、芸術と科学の次の時代が芽吹いている隣国との収穫芸術祭は王都に次ぐ規模だ。そして王族の一部が親交都市から客人を招く大行事となる。
国家型都市フィレンツェの中でも白派の大政治家リカルド=ディ=チェルキの長女、イザベラ=ディ=チェルキが、私たちのオルダニア王国にやってくる。収穫祭での芸術交流という名目の国外避難、そして、第三王子シドリオ・セルヴィオ=エヲ=ヴァルモンド への求婚のために。
ちょっとちょっと、その人も、私の攻略対象なんですよ。




