礼儀作法
私が、コルスル家の養女になったのか? と言われると、養女ではないの。
もしそういう養子縁組なら、これは出世どころじゃなくて上層平民階級へのサクセスストーリーになってしまう。サクセスストーリーではあるかもしれないけど……商人の嫁人生ルートという事は苦難も結婚もつまりは平民止まり。
それだと攻略対象じゃなくて、なんと言うか慣れ合い対象になってしまう。私としてはバッドエンド寄りで不本意よね。そういうわけなので、私が養女でない事についてはお互いに折り合いが付く。
私へのこの扱いは、意味と目的がハッキリしている。
[ 王宮書記官の一部と一商家による不正という不祥事を、発覚させる前の封じ込め。 ]
それだけでしかない。
私が誰かに先日の仕事を喋ってしまわないように、私は幽閉されて監視される。
見習いの女子の私を商家さまが突然預かる事になった状況、それを正当化し続けるために、まるで気に入られた養女扱いのように上層平民らしい教育が強いられる。そういう事だ。
拘束のバリエーション(軟禁、監禁、……)とは微妙に違う。隠蔽のバリエーションなのでお食事はダイニングに行ったりするけど、幽閉のほうの気分。
私を「さま」呼びしてくる仕女2人組は、私の使用人というわけでは全然ない。コルスル家の使用人だからこうして命じられている。うん、そんな監視人チームだと思っていた。拷問官の助手かもしれない疑惑も残ってる。
だけど、どうやらそれだけではなかったみたい。
コルスル家の使用人ではあるので彼女たちも当たり前のまま平民なのだけれども。
それでも、庶民オブ庶民の私はというと……拾われてきたばかりの、それもすぐには懐かないくらいに途中まで野生下で育った野良猫のような女子だ。
そんな野良猫に付きっきりの、家ルール教育係。そう、この2人の仕女アニェスとイスベルの本当の役目は、躾け係だったんだ。
言葉遣い。とにかくここから違う。貴族語と平民語の……どっちが標準語だとは私からは言わないけど、訛りの大きい方言くらいには違うと思う。
私は『悪役令嬢は庶民ヒロインに嫉妬しない』の台詞なら大体暗記してるけど、あそこまで彼らの宮廷言葉を使い出すのも今は不自然だから出せないし。
なんというか、昔も今も商人は、本当の感情を表に出さないで柔らかい言い回しをするところは同じだ。むしろこの時代は、そういう商人的言い回し方言の最強級かもしれない。
食事作法。私の家ではパパの工房のお陰で食器に不自由が無いほうだったけど。ここでは素材が違ってくる。木製だったのが、金属製や陶器製に変わった。
お箸がなくても慣れれば食事ってスプーンとナイフで食べられる。
パンもお肉も手づかみで怒られないのがこの時代のワイルドさ。その調子のままパスタまでも三本指で手づかみなんだけど……絡むソースが少ないのでこれも指洗いで済んじゃう。
音を立てない。ナイフを人に向けない。洗うのが仕女さんの仕事なので意外と服は汚しても怒られない。何かあったら仕女のお仕事を奪わないため自分ではしない。でも商家なので貴族さま社会よりは緩めで、それくらいの流儀。
フォークという発明品が多くは使われていなくて、その辺のややこしい作法が無いのは楽なんじゃないかしら。
パンの色。多くの日本人の読む近世作品からの印象では「白パン・黒パン」論争があるわよね。
中世の時代はちょっと違うの。
・小麦粉だけの白い何か = パンには違いないけど、食事というより富の象徴。後世のスイカの一番甘い真ん中部分だけとか、アヒル肉の皮だけを食べる意味に近いと思う。
・黒パン = 富める者もわりとこっちを食べる。ライ麦・大麦・原種小麦が原料で、しっとり重さがあって酸っぱみが美味しいのよ。
・雑穀の多い何か = 練って焼けばパンには違いないけど、燕麦・豆粉・樹皮粉とか不規則に混ざる。 燕麦も豆類も美味しいし、長期保存されると固いとしても、不味いわけではないと思う。
お風呂。毎日の入浴ではない事も、お顔は毎日洗う事も、庶民と商家で大きくは違わないかな。
どんな川に飛び込んでいいか、雨シャワーが禁止されるかくらいの違いはある。私は外出できなくなっちゃったけど。
山岳の裾に建つ王都のため、地下水層が深くて井戸を掘っても届かない。
そんな水事情にある庶民のお風呂の習慣としては、上流の水源から運んだ水が大桶に余った時くらいだった。それが商家になると、香水の付け直し目的でお湯に浸かるのに変わった。
まあ乙女としては言い辛いけど、みんな臭ってるので人間臭い。人間臭さって大事。
お洋服。あのですね、この時代の布って高いの。
経済状況に応じて着る物は違うけど、[ 衣服という私有財産を着ている ]という感覚はそれぞれ同じね。
衣服が財産の表れという事で、ご存知のように貴族さまたちはとことん着飾る。
平民は財産状況の誇示で衣類を選んで着る。そうなると、私やパパやママは夏だと2着ずつくらいしか着ない。冬の頃には暖房が乏しくて着重ねするので意外とコーディネートが利いて着ぶくれするけどね。
そういう財産をできるだけ着汚したり擦り減らさないように下着を着る、という理屈にもなってる。
そんな価値観のお陰なんだけど、生活の質はというと資産状況に反比例する。反比例ね。
裕福になればなるほど、脱ぎ着は自分でする事ではなく仕女のお仕事になり、服のピースが分離して重くなるし、普段の動作に制限が掛かっていく。ましてや商家の倉庫にある取扱品には布類がお得に取り揃えてあるので身内に対しては容赦がない。
言ってしまえば越前問屋が布で財を築いたのと同じパターン。前にも言った気がするけど、コルスル家どのお主らも商売上手よのう、ほっほっほ。
というわけで、せっかく布の自由があるお家ではあるので、私は付きっ切りのアニェスとイスベルに要望を出した。
[ 黒いワンピースにフリルのエプロン、そして髪留めには白いフワフワのカチューシャ。 ]
これを強くしつこく直訴したところ、奥様からの認可を勝ち取り、着用してもらっている。私はそっちのジャンルにも理解が無くはないし、むしろずっと眺めていたいくらいには目の保養になる。
なので2人からのこの監視生活も良しとしましょう。




