第5話『君がいない日常』
朝――教室。
「……ひな、おはよ」
「……おはよう」
いつも通りの挨拶。
でも――
どこか空っぽ。
「……最近さ」
「……え?」
「屋上、行ってないよね?」
「……うん」
短く答える。
「彼氏と喧嘩した?」
「……してないよ」
「じゃあなんで?」
「……ちょっと、忙しくて」
また、嘘。
「……ふーん」
それ以上は聞かれない。
でも、その優しさが逆に痛い。
授業中。
黒板の文字が、頭に入らない。
(……今、何してるんだろ)
ふと、考えてしまう。
(ちゃんとご飯食べてるかな)
(寝れてるのかな)
(……私のこと、考えてるかな)
ペンが止まる。
「……ひな?」
「……あ、ごめん」
ノートは、白いまま。
昼休み――廊下。
また、見かける。
さくやの姿。
友達と話している。
笑っている。
(……あの顔)
少しだけ、安心する。
(元気そうで、よかった)
でも――
(私がいなくても、平気なんだ)
胸が、痛む。
「……ひな」
「……え?」
「ぼーっとしすぎ」
「……ごめん」
苦笑い。
「……ほんとに大丈夫?」
「……うん」
また、同じ返事。
放課後――
自然と、足が向かいそうになる。
屋上。
でも――
止まる。
(……行っちゃダメ)
約束した。
距離を置くって。
「……」
引き返す。
その一歩が、やけに重い。
夜――部屋。
スマホを見る。
何もない。
(……当たり前だよね)
距離を置いてるんだから。
(連絡、来るわけない)
でも――
それでも。
「……」
トーク画面を開く。
最後のメッセージ。
《おやすみ》
それだけ。
「……」
指が、震える。
《元気ですか?》
打つ。
止まる。
(……ダメ)
消す。
《会いたいです》
止まる。
(……約束、守らないと)
消す。
「……はぁ」
深いため息。
(こんなに我慢するなら)
(いっそ……)
その考えを、すぐに打ち消す。
(ダメ)
(そんなの、ダメ)
翌日――教室。
「……ひな」
「……え?」
珍しく、真剣な声。
「ちょっといい?」
「……うん」
廊下に連れ出される。
「……ねぇ」
「……なに?」
「……無理してるよね」
「……してないよ」
反射的に答える。
「……してる」
即答。
「……」
「……顔、全然笑ってない」
その言葉に、言葉が詰まる。
「……」
「……なんで、我慢してるの?」
「……我慢してない」
「……してる」
「……してない」
同じやり取り。
でも――
「……もういい」
ため息。
「……え?」
「……隠すなら、もう聞かない」
その一言。
胸が、ちくっと痛む。
「……」
「……でもさ」
少しだけ優しい声になる。
「……そのままじゃ、壊れるよ」
「……」
何も言えない。
(壊れる……?)
(もう……壊れかけてるのに)
放課後――帰り道。
一人で歩く。
いつもなら、隣にいた人。
手を繋いでた帰り道。
「……」
空が、やけに広い。
(こんなに、静かだったっけ)
足音だけが響く。
「……さくやさん」
思わず、名前がこぼれる。
返事は、ない。
当たり前なのに。
それでも――
胸が、痛む。
その時。
「……ひな」
「……っ」
振り向く。
そこにいたのは――
さくや。
「……」
言葉が出ない。
「……久しぶり」
少しだけ、ぎこちない声。
「……はい」
同じく、ぎこちない。
沈黙。
風が吹く。
少しだけ冷たい風。
「……元気?」
「……はい」
「……そっか」
それだけ。
それだけなのに――
(こんなに遠いの……?)
「……ひな」
「……はい」
「……ちゃんと、休めてる?」
「……」
その優しさが、苦しい。
「……大丈夫です」
「……ほんとに?」
「……はい」
また、嘘。
「……」
「……さくやさんは?」
「……まあまあ」
少しだけ笑う。
「……そっか」
沈黙。
長い沈黙。
前なら、平気だったのに。
今は――
耐えられない。
「……あの」
「……ん?」
「……いつまで」
言いかけて、止まる。
「……」
「……なんでもないです」
飲み込む。
「……ひな」
「……はい」
「……言っていいよ」
優しい声。
でも――
「……言えないです」
正直に言う。
「……」
「……言ったら」
少しだけ俯く。
「……戻れなくなりそうで」
その言葉に、さくやが黙る。
「……」
「……ひな」
「……はい」
「……俺も、怖い」
その一言。
「……え?」
「……このまま」
視線を逸らす。
「……戻れなくなるの」
静かな本音。
「……」
胸が、強く締め付けられる。
「……じゃあ」
やっと出た言葉。
「……戻りましょう」
「……」
「……今なら、まだ」
涙がにじむ。
「……間に合います」
その言葉。
でも――
「……ひな」
「……はい」
「……まだ、ダメだ」
静かな拒絶。
「……」
「……中途半端で戻るの、嫌なんだ」
「……」
「……ちゃんと、変わらないと」
その言葉が、胸に刺さる。
「……」
「……ごめん」
「……」
謝られても。
どうしたらいいか、わからない。
「……ひな」
「……はい」
「……もう少しだけ」
「……」
「……待ってて」
その言葉。
でも――
もう、限界だった。
「……」
涙が、こぼれる。
「……待ってます」
言葉とは裏腹に。
声は、震えていた。
さくやが、背を向ける。
「……また」
それだけ言って、歩き出す。
「……」
呼び止められない。
足が、動かない。
(こんなに近くにいるのに)
(どうして、こんなに遠いの)
その背中が、小さくなっていく。
(好きなのに)
(まだ、好きなのに)
それでも。
距離は、縮まらない。
それが――
二人の“終わりに向かう時間”だった。




