第12話『離れそうな手』
昼休み――屋上。
風が少し強かった。
桜の花びらが、いつもより激しく舞っている。
「……ひな、今日も来てくれたんだね」
さくやが先に来ていた。
フェンスにもたれながら、いつものように柔らかく笑う。
「……はい」
陽菜は小さく頷く。
でも、その声はどこかぎこちなかった。
「どうしたの?」
「え……?」
「なんか、元気ない」
さくやの言葉に、陽菜は一瞬だけ視線を逸らした。
「……そんなこと、ないです」
「ほんと?」
「……はい」
沈黙。
風の音だけが、二人の間をすり抜けていく。
(言えない……)
胸の奥で、言葉が引っかかる。
――今朝。
クラスで聞いてしまった噂。
『さくやってさ、前に付き合ってた人、まだ引きずってるらしいよ』
『え、そうなの?』
『なんか、忘れられない人がいるって』
その言葉が、頭から離れなかった。
(私……聞いてもいいのかな……)
でも――
(怖い……)
もし、それが本当だったら。
もし、自分じゃなかったら。
「……ひな?」
「っ……!」
呼ばれて、肩がびくっと揺れる。
「大丈夫?」
さくやが少し近づく。
その距離が、いつもより遠く感じた。
「……さくやさん」
「うん?」
「……あの……」
言わなきゃ。
でも、言いたくない。
喉の奥で、言葉が震える。
「……やっぱり、なんでもないです」
「……そっか」
さくやはそれ以上追及しなかった。
優しい声で、ただそう言っただけ。
――それが、逆に苦しかった。
(どうして……)
(どうして、聞いてくれないの……)
陽菜はぎゅっと手を握る。
昨日、繋いだはずの手。
(離さないって……言ってくれたのに)
「……ひな」
「……はい」
「無理して笑わなくていいよ」
その一言に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「……してません」
「してるよ」
優しいのに、逃げ場のない言葉。
陽菜の目が揺れる。
「……私」
「うん」
「……怖いです」
ぽつり、とこぼれた。
「何が?」
その問いに、すぐには答えられなかった。
でも――
「……さくやさんが」
「……え?」
「……いなくなりそうで」
声が震える。
「……他に、大事な人がいるんじゃないかって……」
空気が止まる。
風の音すら、遠くなる。
「……それ、誰から聞いたの?」
さくやの声が、少しだけ低くなる。
「……クラスで……噂を……」
陽菜は俯いたまま答えた。
「……そっか」
短い返事。
その沈黙が、怖い。
(やっぱり……本当なんだ……)
胸の奥が冷たくなっていく。
「……ひな、顔上げて」
「……いやです」
「ひな」
「……見たくないです」
涙が、こぼれそうになる。
その瞬間――
ぐっと、手首を掴まれた。
「っ……!」
顔が上がる。
すぐ目の前に、さくやがいた。
「ちゃんと、聞いて」
真っ直ぐな目。
逃げられない距離。
「……確かに、忘れられない人はいた」
心臓が止まりそうになる。
「でも――」
さくやの手が、そっと陽菜の手に重なる。
「それは“過去”だよ」
「……」
「今、ここにいるのは……ひなだ」
指が絡む。
強く、でも優しく。
「……でも……」
「ひな」
名前を呼ばれる。
それだけで、涙が溢れた。
「昨日、言ったよね」
「……」
「手、離さないって」
震える声で、陽菜が呟く。
「……はい」
「じゃあ、離さない」
さくやは、ぎゅっと手を握る。
「ひなが怖いなら、もっと強く握る」
「……っ」
「それでも不安なら、何度でも言う」
一歩、距離が縮まる。
「好きだよ、ひな」
時間が止まったみたいだった。
「……私も……」
声が、震える。
「……好きです……」
涙が頬を伝う。
でも、その涙はもう冷たくなかった。
「……ごめんなさい」
「何が?」
「……疑ってしまって……」
「いいよ」
即答だった。
「不安になるくらい、ちゃんと想ってくれてるってことでしょ」
「……っ」
「嬉しいよ」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
「……さくやさん」
「ん?」
「……離れそうになりました」
正直な言葉。
「……うん」
「でも……」
ぎゅっと、手を握り返す。
「……離したくないです」
さくやは少しだけ目を細めて――
「じゃあ、離さないようにしよう」
風が吹く。
桜が、また舞い上がる。
さっきより少しだけ、優しい風。
二人の手は、さっきより強く繋がれていた。
――離れそうになったからこそ。
その温もりは、前よりも確かだった。




