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26

 明るいランプの灯が照らす、豪奢な宮殿の廊下。


 フローラからの有り難い指導と身支度を終えたマシェリは、ターシャとともにグレンのいる執務室に向かって歩いていた。

 マシェリが身に纏っているのは、皇都一の職人が仕立てたというシンプルな緑色のドレス。ターシャは少し遅れて歩き、ハーフアップに纏められたマシェリの深紅の髪を背後からじっと見た。ドレスの緑と相まって、満開の薔薇の花束のようで美しい。だが留めが甘かったせいか、編み込み部分の小花の配置が少し乱れてしまっている。ーー仕方ない。入場前に口紅と一緒に手直しするか。ポケットの中身に抜かりのない事を確認し、ターシャはマシェリと並ぶように足取りを早めた。


「マッ、マシェリ様! 本日はおめでとうございます!」


 護衛の若い近衛がマシェリを見て顔を赤らめ、声を裏返すのを見て、ターシャは思わず「しめしめ」と口元をほころばせた。

 ――しかし、肝心なのは『本命』の反応である。


 ターシャは、やや緊張した面持ちで執務室のドアを扉叩した。


「グレン殿下、マシェリ様をお連れしました」

「入れ」


 ターシャがドアを開けると、すぐにバタンとドアが閉まった。グレンが一瞬ひょこっと顔を出し、中へと戻っていったのである。


 マシェリを奪い去り、唖然とした顔のターシャを廊下にひとり残して。


「ちょっ、ーー離して下さいグレン殿下!  ドレスが皺になってしまいますわ!」

「ドレス姿をわざわざ見せに来てくれたなんて……とても嬉しいよ。君の赤髪によく似合ってる。綺麗だよ、マシェリ」

「分かりましたから、それ以上触らないで下さいっっ!」


 ガタン、バタン、という穏やかならない音とともにそんな会話が漏れ聞こえてくる。しばらくの間ドアの前でおろおろしていたターシャだったが、急にパタリと物音が止むと、口に手をあて、踵を返して廊下を一人ばたばたと歩き出した。






 婚約披露パーティーが行われる大広間は、宮殿の三階ーー皇帝の正殿にある。


 主役であるグレンとマシェリが入場するまでまだ大分時間があるにも関わらず、五つの国の大公を含む、多くの招待客が既に会場を埋め尽くしていた。

 吹き抜けの天井から吊されたいくつものシャンデリアが輝き、壁際にはランプの柔らかな明かりが灯されている。そのきらめきを磨きあげられた床が反射し、室内をより明るく感じさせていた。


 広い空間に流れるはオーケストラの華やかな音楽。

 白いクロスの丸テーブルに並べられた銀の食器とワイングラス。美しく折り、花を添えて置かれた紋章入りのナプキン。侍女が火を点けた金の燭台の側には、瑞々しい果物が盃に盛られていた。


(美味しそう)


 つつ、と指先を葡萄に伸ばすも、あと少しというところでぱしんと手を払われてしまう。


「お行儀が悪いぞ、メイサ。――お前もそろそろ、ルシンキの公女としての自覚をちゃんと持ちなさい」


 光に溶けるような金色の髪、白く滑らかな肌と薔薇色の頰。人形のように美しく整った顔立ちのメイサは、側に立つ黄色のコート姿の男をそろそろと見上げた。

 眉を寄せ、口元を歪める苦々しげな表情が視界に入ってはっとする。(すみれ)色の瞳がシャンデリアの光を映し、揺れた。


「……はい。申し訳ありません。お父様」


 こくんと頷きテーブルから離れると、手をすぐさま父ーールシンキ大公閣下の腕に絡める。

 幼さが残る顔立ちには少々不似合いな、大人びたものの言い方に態度。傍目にはどこか違和感のある二人のやり取りであるが、メイサを見下ろすルシンキ大公は、満足げに青い目を細めた。


「分かれば良いんだ」


 ファンファーレが鳴り響き、蒼いマントを纏った皇帝陛下が入場して来る。その後からゾロゾロと付いて来た白髪頭の五人の大臣達が、皇帝が着席する貴賓席の脇へと並んだ。


「えー、皆様ご静粛に」

「本日はお忙しい中お集まり頂き、まことにっ、ありがとうございます」

「ただ今より、フランジア帝国皇太子であらせる……いや、あらせられるグレン・ド=フランジア殿下と」

「テラナ公国のクロフォード伯爵家のご令嬢であらせられるマシェリ嬢、とのっ」

「婚約披露パーティーをと、執り行う事をここに、宣言いたします!」


 何とも歯切れの悪いガタガタの挨拶に、扉の外でマシェリと共に待機していたグレンが、つい苦笑いを浮かべる。


「予行練習した時より大分酷いな」

「笑っちゃ悪いわ。皆、一生懸命やって下さったのに」

「……大臣より、僕にもう少し優しくしてよ」


 ほんのり赤い頬を大仰にさすりながら、グレンは恨めし気にマシェリを見た。


「自業自得ですわ。いきなりソファに押し倒すんですもの。おかげでドレスが皺くちゃになってしまったんですのよ?せっかく侍女の皆が頑張って綺麗に仕立ててくれたんですのに」


 マシェリが上目遣いでグレンを睨む。背後で髪の手直しをしていたターシャは、小花をポロリと手から落とした。

 大広間では大臣に代わり、皇帝陛下が挨拶を始めていた。それが終わればいよいよ、マシェリ達の入場である。


(今日、ルドルフはどこにいるのかしら)


 マシェリはふと、廊下に並ぶ軍服姿の騎士達に視線を巡らせた。


 今日の婚約パーティーには五つの国の大公が一堂に介している上、皇族に所縁のある貴族、その令嬢や子息までが多数出席している。宮殿内の護衛の数が通常より増員されており、副団長であるルドルフも警護にあたっている筈だった。

 しかし、未だに一度も会えてない。


(そういえば……側近のルディ様って会場の中にいるのかしら)


 ふと思い出し、隣のグレンに顔を向ける。


「イヤリングが曲がっているよ。マシェリ」


 不意に耳に触れられ、びくんとして新緑色の瞳を見開く。黒曜石のような煌めきを持つグレンの瞳が、今にもマシェリのまつ毛に触れそうなほど近くにあった。

 ターシャが再び赤面し、ぱっと顔を背ける。


「グレン殿下とマシェリ嬢のご入場です!」


 近衛が両側から扉を開く。

 ファンファーレと共に赤い絨毯の上を優雅に歩き出したグレンとマシェリの二人だったが、その姿に客達が一瞬ざわめいた。


 満面の笑みを浮かべたグレンの左頬が、何故か真っ赤に染まっていたのである。


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