すれ違う時間(6)
途中アンブローズ視点が入ります。
「ケニス……お前本当に突然やってくるな……」
「今までは一応事前に伝えていただろう? そんなことより、今回は少し急ぎの用事でね。君が無事かどうかを確認しに来たんだが……なんだ、血の匂いがするな、何があった」
そういえば、私達が彼女に殺されかけた時のその血痕はいつの間にか無くなっていた。それでもまだ匂いが残っていたのか、彼が私の方を訝しげに見つめてくる。どう説明しようかと迷っていると、リビングに居たままのアンブローズがこちらへとやってきて私のすぐ後ろへと立つ。そのまま私の肩に手を置くと、ケニスへと声をかけた。
「……ケニスさん、何かあったのかい?」
「……なんだ、もうそこまでいったのか。……いや、ここに彼女が来ていたな? どうやってあれを撃退したんだ。身元不明の連絡先から、グレイの研究施設の情報が入ってきて向かってみたら……あのソフィーと呼ばれる女性が倒れていた。君たちは一体何を知っている?」
やはりその事で彼はやってきたらしい。アンブローズが警備隊の人間が来ると言っていたのは彼が連絡していたからなのだろう。その様子から、きっと彼女は無事捕まったのだろうと私は胸を撫で下ろした。だがそんなケニスの問いかけに、彼は静かに返事をする。
「俺達は何も知らないよ。何しろ今日一日、二人で出掛けていたからね。彼女が捕まったのかい?」
「君は……そうか、俺が何を聞いてもシラを切り通すつもりだな。仕方ない……証拠も何もないんだ、別に君達を問い詰めるつもりはないよ。その代わり……もし捕まった彼女から君たちが居た証言が出たら、必ず話を聞く事になるからな。それだけは覚えておいてくれ」
小さくため息をついてそう言う彼に、随分と苦労しているのだろうなと私は思った。下手なことを言う訳にもいかず私がただ困ったように立ち尽くしていると、彼はその目を細めてこちらを見てくる。
「……君たちは、もうそういう関係になったのか?」
「突然何を」
「そうだよ、先生はもう俺の恋人だから。あの人にもそう伝えてくれ……彼女は、貴方のものにはならないとね」
アンブローズの言葉に、私もケニスも呆気に取られた。確かに私は彼へと想いを伝えて、事実上そういう関係になったと言えるのだろう。だが、彼の言うあの人とは。ソフィーが言っていた事が本当なら、彼もそれに気付いていたのだろうか。
「なんだ、分かっていたのか……あいつにも伝えておこう。その方がこちらとしては都合が良いからな。だが、彼女を手放さないよう気を付けてくれ。あの血は厄介なんだ、付け入る隙があれば……きっと奪ってしまうだろう」
「……あの人自身はどうなんだい? それを、自らの意思で望んでいるのかな」
「彼女を避けていると言っていただろう? もし自分の意思で望んでいるのなら、そんなことはしないさ」
そんなケニスの言葉に、アンブローズは小さくため息をついた。二人とも考え込むようにして無言になってしまい、私はどう言葉を切り出せばいいのか分からなくなってしまう。
「……まぁいい、俺は一度リアンの元に戻るよ。何かあればまた伝えに来る」
「ケニス、毎回わざわざ私の家まで来ているが……通話機や通信機での連絡では駄目なのか? お前も仕事があると言っていただろう」
「グレイに謀られた事を忘れたか? 実際に会って伝えるのが一番確実だからな。それに……」
そこまで言いかけて、彼はその口を閉じた。結局そのまま踵を返すと、扉を開けて表へと出る。そしてそれを閉じる前にこちらを見て軽く笑うと、その口を開いた。
「お幸せに。仕事に支障が出ないよう気を付けるんだな」
最後の言葉は余計だと言いたくなったが、結局そのまま彼は帰っていってしまった。何故かどっと疲れた私は、後ろに立っている彼に寄りかかった。
「そうだ、先生……怪我をしてたんだったね。暫くはまた眠くなってしまうだろうから……」
「あぁ……そう、だな。でも、もう少しお前と一緒に居たい……ソファで……寝て……」
私はそのまま猛烈な眠気に襲われる。我慢すれば何とか耐えられそうだったが、フラフラしている私を彼は突然抱えあげてそのまま二階へと上がり、寝室へと向かった。
「無理しないで、今日は大人しく寝るといいよ。明日からまた仕事だろう? 貴女と違って俺は人間の体じゃないから。寝るまでは傍にいるよ」
そう言いながら彼は私をベッドに寝かせると、近くの椅子を引っ張ってきてその隣に座った。私は少しずつ働かなくなってくる思考で考える。何故彼は、私が連れ去られた施設の場所が分かったのだろう。人間ではなくなったのに、何故倒れてしまったんだろう。それに彼の使う術も、ソフィーを簡単に倒してしまえるその力も。気になることは沢山あった。
「……アンブローズ」
「なんだい先生……俺の手はここだよ」
私が手を伸ばすと、彼は優しく手を差し出してくれる。それを取った私は、一度考えるのを止めてその手を強く握り締める。起きた時に彼が傍に居てくれたらいいと、そんなことを考えながら私は静かに眠りに落ちた。
「……こんなに無防備だと、流石の俺も少し困るな」
俺の手を強く握り締めたまま寝てしまったその愛する人の姿に、俺は小さくため息をついた。まさかこんなことになるだなんて思ってもみなかった。彼女が俺を受け入れてくれて、そしてこれからも傍に居てくれるだなんて。この人は自分の為にと言っていたが、結局の所俺を一人にさせたくなかったのだろう。
「……別に、初めからこれを望んでいた訳じゃないんだ。打算的な関係は嫌だからね」
それでも、俺は彼女に甘えてしまった。本当にずっと傍に居られるなら、俺はその手を取ってしまう。それ程までに俺は、この人の事がどうしようもなく好きなのだから。だからこそ、傍にいてくれるといったこの人の事は、ずっと守り続けなくてはならない。
「それにしても……そうか、先生が俺の事を。もう、この人は俺の……」
恋人だなんて、言ってしまっても良かったのだろうか。確かに俺はこの人が好きで、彼女も俺を好きだと言ってくれたけれど。これがそんな単純な関係と言えるのだろうか。きっとお互いが、お互いを縛り付けるようなこの関係に。それでも俺は、彼女の傍に居られればそれでいいと思ってしまった。
俺の手を握ったまま眠ってしまった彼女を見て、俺は小さく笑ってしまう。貴女が俺の手を取るのなら、もう二度と離してなどやるものかと。そんな歪んだ覚悟を決めて、俺は綺麗に眠る彼女の額に口付けをした。
「……さて、どうしようか。手を離すのは嫌だし、明け方になるまでこのままでもいいかな」
結局俺はその手を離すことなど出来ないまま。一晩中、静かに眠る彼女の傍に居続けた。
ふと、鳥の鳴き声で私は目を覚ました。昨日は何があっただろうか、私はいつの間に寝てしまったんだろう。寝ぼけたまま部屋を出ると、一階のキッチンから音が聞こえてくることに私は気付く。そのまま足を運ぶと、そこには紅茶を手に持ったアンブローズが立っていた。
「おはよう先生、よく眠れた?」
「おはよう……なんだ、朝食か……」
「あぁ、もうリビングにあるから。先に行っててくれ」
私は彼に言われるままリビングへと向かい、軽食の置かれたテーブルを確認しながらソファへと座る。二人分の紅茶を持って隣に座ってくる彼からそれを受け取ると、私はちまちまとそれを飲み始めた。
「俺は先に行くけど、先生はゆっくりでいいからね。……まだ眠いかい?」
「少しな……お前はいい嫁になりそうだ……」
少し眠い頭を彼の肩に預けて、私はそんなことを呟く。私が寝るまで傍にいて、起きたら朝食を準備して待っていてくれるその甲斐甲斐しい様が、随分と熟れているなと私は思った。
「俺が嫁ぐ側なのか……先生がこうして俺に頭を預けてくれること以外はいつも通りだと思うけどな。……もういっその事一緒に暮らそうか?」
「それもいいかもな……いや、何となく駄目な人間になってしまいそうだ。暫くは辞めておこう……」
私は欠伸をしながら朝食に手を伸ばした。何となく、彼と暮らしていたらその甲斐甲斐しさや過保護さに甘え続けてしまいそうだと思ってしまう。流石にそれは人として良くないだろうと私は思い留まった。
「残念……でも暫くは、ってことは……期待しててもいいんだよね?」
「いつかな。フィーに知られたらどやされそうだ……」
「そうだった……どうしよう。エルフィムになんて言えば……多分俺のこの体のことも言わないとだよな。それに先生がもう戻るつもりは無いって言うのも、研究所での研究の事も合わせて考えていかないといけないだろうし……あの人に知られるのは、嫌だなぁ……」
「……考えることは山積みだな。というか、お前がすんなり私の言い分を受け入れたことも驚きだよ。……良かったのか? きっとお前が思っているより、長い時間を誰かと生きるのは大変だと思うぞ?」
きっと、私がもう元の身体に戻らないと言ったことを。彼は後悔しながらも、一緒に居られる事の方が良いと思って選んだのだろう。それは私としても嬉しい事だが、永遠にも近い長い時間というのは想像以上に私たちを苦しめるだろう。
「俺は先生が居れば幸せだから……少し、おかしいんだよ。貴女のことをこの先嫌と思うことなんて、絶対にないと確信してる……先生が嫌がっても、もう逃がすつもりもないからね」
「なかなか凄いことを言うな。お前こそ、どうか私の前から居なくならないでくれよ…………あぁ、そろそろ時間か。一度見送ろう」
所長という立場である彼は、職員よりも早い時間に研究所へと向かう。私とは家を出る時間が少しずれる為、立ち上がった彼に続いて私も見送るために玄関へと向かった。
「……先生、少しわがままを言ってもいいかな」
「なんだ? 私に出来ることなら……」
彼は何故か恥ずかしそうに表情を歪めて私を見つめてくる。そして小さくため息をつくと、諦めたように口を開いた。
「いや……なんでもないよ。先に行くね、先生」
そう言って玄関へと振り返ろうとした彼の腕を私は咄嗟に掴んだ。驚いてこちらを見る彼に、そのわがままというのはきっとそういう事なのだろうかと思った私は彼の腕を引いて、そのままその口へと口付けをした。
「っ……せ、先生!?」
「……そういうことかと思ったんだが……違ったか?」
彼は焦ったようにその口を手で覆った。恥ずかしそうにその頬を赤く染めてこちらを見てくる。そんな彼の様子に思い切ったかいがあったかもしれないと思っていると、彼はゆっくりとその口を開いた。
「……先生、鈍いくせにたまに鋭い時があるよね。……こんなことをされたら仕事に行きたくなくなってしまうな」
「仕事は行かないと駄目だろう?」
「やっぱり先生は鈍いままだった……いや、ありがとう。行ってくるよ」
「あぁ、また後で」
何だかんだ言って、それでも嬉しそうに笑う彼はそのまま仕事へと向かった。玄関から出ていった彼を確認すると、私はそのまま床へとへたり込んでしまう。
「……慣れないなんてものじゃないぞこんなの……恥ずかしすぎるだろう。こんなことを、皆平気でやっているのか?」
彼の前では平気な振りをしていたが、流石にこれは心臓に悪かった。何となく小説などでこんなシーンがあったななどと思い出した私は、そのまま彼を仕事に行かせてしまうのが勿体なく感じてしまい、思い切った行動をしてしまったと思う。それでも、後悔はしていなかった。
「……あの顔を見るのは、少し楽しいな。それ以上に私の心臓が持たなさそうだが…………仕方ない、準備をするか」
考えているだけで頬が熱くなってしまう私は、大人しく仕事へ行く準備をする事にした。思った以上に私は彼の事が好きらしい。思考を振り払うように頭を左右に振ると、私はそのまま二階へと向かったのだった。




