すれ違う時間(5)
「……アンブローズ」
「なんだい……っ、せ、先生!?」
「良かった……お前が、生きていてくれて」
気付けば私は、目の前にいる彼に倒れ込むようにして、その体を抱きしめていた。ずっと張り詰めていた心の糸が、ぷっつりと切れたように。私はただただ、生きていてくれた大切な彼を抱きしめることしか出来なかった。
「……ごめん先生。貴女を、泣かせてしまった」
そう言って、優しく抱きしめ返してくる彼の腕の中で、自分がいつの間にか泣いていたことに私は気がついた。昔の夢を見た時よりも前、最後に泣いたのはいつのことだっただろう。確か、父の葬式に参列した後以来だっただろうか。彼が死んでしまうことがこれ程恐ろしいだなんて。もうずっと、身近な人の死に触れてこなかった私はその恐怖を鮮明に思い出してしまった。
「その、一度座ろう? 貴女も疲れてるだろうから」
「……わかった」
彼はその手で私の涙を拭うと、少し困ったように微笑んだ。きっと私が彼の服を掴んで離さないからだろう。離れてしまうことが怖くなってしまった私を見て、彼はその手を握ってくれる。そして私をソファに座らせると、未だに服を離さないままの私を心配するように、肩を抱き寄せるようにして手を回してくる。
「先生」
「……なんだ、アンブローズ」
「……驚かないんだね」
「それは……お前がそうなんじゃないかと気付いていたから。確信はなかったが……お前がクラウディアに会ったと聞いて、覚悟していたんだ」
私の言葉に、彼は少しだけ無言になる。彼はどんな表情をしているのだろうか。私が少し俯き気味だった顔を上げると、それに気付いた彼は複雑な表情でこちらを見返してきた。
「先生、俺は……」
「……お前が、そうなったのは……私のせいか?」
「違う……っ、貴女のせいじゃない。それだけは、絶対に」
間髪入れずにそう答えてくる彼に、私は呆気に取られた。呆然としている私を見て、彼ははっとしたようにその口を押さえる。そして、静かにその理由を説明し始めた。
「……本当は。資料を見つけて、貴女が人間に戻れる目処が立ったら想いを伝えるつもりだったんだ。その身体のままの貴女が、人と向き合う事が出来ないことは知っていたから。でも、その資料も燃えてしまって……このままじゃ俺が生きている間に、想いを伝えるのは無理だって。そう思った」
「だからフィーが……お前が諦めたんだと言っていたんだな」
「エルフィムがそう言ってたのか…………そう、だね。貴女が元の体に戻る頃には、俺は死んでいるか歳をとってしまっているだろうから。貴女と再会してからは、ずっとこの身体を弄って……どうにかしてきたんだけど。それでも、いずれ限界が来る」
そんな時、彼はクラウディアと出会ってしまった。私の傍にいた彼が、その身体を年老いないようにと無理やり弄っていた事に気が付いた彼女は。彼に不死になれる可能性のあるその術を教えてあげようかと言ったのだ。
「あの時は、先生を治すつもりでいたから。けど……貴女が攫われて、資料が燃えてしまった時。俺はもう限界だったんだ……どうにか藁にでもすがりたかった俺は……それに手を出した。姿の変わらない貴女を見続けて、俺だけが年老いて死んでいくことが……耐えられなかった」
本末転倒だと分かっていながらも。出会った時から私を好きでいてくれた彼の心は限界だった。せっかく、また再会出来たのに。私に置いていかれた彼は、今度は自分が置いていく側になってしまうと。それならもういっその事、私の最後を見届けるまで傍にいようと思ったのだと彼は教えてくれた。
「……だから、俺のことは良かったんだ。貴女には、人として幸せになって欲しいとそう願っているから。俺は、貴女が幸せになれるように助けて生きて行けたらそれで良かった。きっと貴女は、俺の想いには応えてくれないだろうと……そう思っていたから」
今回私を誘ったのは、その想いにケリを付けるためだったと彼は言った。いつか私は元の体に戻って、彼以外の人と幸せになるかもしれない。だからこそ、傍にいながらも彼は私から離れる覚悟を決めたかったのだという。
「……そんなこと」
「だから、先生が俺を好きだと言ってくれた時は。本当に焦ったんだ。まさか……貴女が俺をそんなふうに想ってくれるだなんて。……それなら、俺は人間の振りをしたまま。貴女と一緒に生きようと、そう思った。でも、俺が人間じゃないことももうバレてしまった……まさか、扉を開けた途端身体を貫かれるなんてね」
「じゃあどうして……私を助けに来たんだ」
「……貴女が、何よりも身近な人の死を恐れていることを知っていたから。俺が殺されるところを見た貴女を放っておくなんて……出来なかった。……おかしいだろう? 俺は貴女の事になると、いつも冷静な判断が出来ないんだ。結局、俺は俺の為だけに、貴女を苦しめるだけなんだ」
幸せになって欲しいだなんて言える立場じゃなかったと、彼は自嘲気味に笑った。私はそんな彼の今までの思いや感情を、ゆっくりと頭で理解する。
「……私は、お前に聞きたいことがあると言っただろう」
「っ、そうだね……結局なんだったんだい……?」
「私は最初から、お前が人間じゃなくなったんじゃないかと問い詰めるつもりだった。私達が襲われようが襲われまいが、どの道お前には話してもらうつもりだったよ」
自分でも、なかなか怖い言い方になってしまったように思う。確かに私は怒っていた。彼が一人で思い詰めて、その術に手を出したことも。この先私が人間に戻った後、一人で生きていこうとしていることも。
「っ、ごめん先生。その、貴女を怒らせたかったんじゃ……それほどの事をしてしまった自覚はあるけど」
「……あぁ、私は絶対に許さない。お前が……勝手に一人で生きていこうなどと考えていることも、私の想いを決め付けていた事も……私だって、大事な教え子の想いには応えたいと思ってる。それなのに、私が応えてくれないなどと思い込んで。ようやくお前の気持ちを知れたのに、そのまま言い逃げするつもりだったことも、許すつもりはない」
彼の目を見て、私はそう言葉を投げかける。小さく身体を震わせた彼は、私から視線を外そうとする。
「こっちを見ろアンブローズ」
「っ……本当にごめん、先生。でも、どうすればいいのか分からなかった。どう足掻いても、貴女と同じ時間を生きれない俺は。もう、これ以外思いつかなかったんだ、だから」
その目に涙を溜めながらそう吐き出すように言葉を紡ぐ彼に、私はその顔に手を伸ばした。零れ落ちそうな涙を手で拭ってやると、彼は悲しそうに笑う。
「……こんな時ですら、貴女に触れられるのが嬉しいだなんて。俺はいつまで経っても、貴女への想いを捨てられない。どうして……俺はこんなにも貴女が好きなんだろう」
「私も……お前が好きだよ、アンブローズ。だから、決めたんだ。お前が、私の人としての幸せをいくら願おうが、これだけはもう、絶対に譲らない」
彼に想いを伝えた時から、もう決めていた。いくら私を人間に戻そうと思っても、その幸せを願われたとしても。私はもうそれを受け入れる気などなかった。彼が一人で生きていくと決めていたとしても、それを許すつもりなど毛頭ない。だからこそ、私はその想いを彼へと告げた。
「……私は、お前と一緒に生きるよ。想いを伝えた時から決めていたんだ。もう、人間に戻るつもりはない。お前が嫌だと言っても、もう二度と離れてなどやらないからな」
彼と共に生きると。もう人間には戻れないだろう彼に、ずっと傍にいると決めた私のその言葉に。彼は目を見開いて、そのまま苦しそうに口を開いた。
「それは……駄目だよ先生。だって……貴女は、誰よりも人と同じ時間を生きたかっただろうに。死に別れて一人残される苦しみを、誰よりも知っているのに。そんな、俺なんかの為に」
「違う、これは私の為だ。私がお前の傍にいたいと、そう思ったんだ。確かに……人と死に別れるのは辛い。だがそれ以上に、この先お前が一人で私と同じ道を辿るほうが、私は嫌だ」
彼は、その頬に触れたままの私の手を掴むと、弱々しく握ってくる。彼は私の身体を引き寄せると、そのまま静かに抱きしめてくる。そして絞り出すように、小さくその想いを吐き出しはじめた。
「本当は……俺と一緒に生きて欲しかったんだ。今の俺なら、貴女と同じ時間を生きれるんだって、そう言いたかった。でも……人に戻りたがっていた貴女に、そんなことを言えるはずがなくて。それでも……本当はずっと傍にいて欲しいって、そう思って……」
「……すまないアンブローズ。私の言葉で、お前を余計に苦しませてしまった。でももういい。私は……ずっとお前の傍にいるよ。いつ終わるか分からなくても、それでもお前と一緒なら……きっと大丈夫だ」
私の返事に彼はこくこくと頷くと、少しだけ強く抱きしめてくる。私があやす様に彼の背中をさすると、更に強い力で私を抱き締め返してくる。
「アンブローズ……少し苦しい……」
「ご、ごめん先生……あ、えっと……」
急いで手を離した彼は、私の顔を見ると焦ったようにその視線を逸らした。泣いたせいか、それとも別の理由か、その頬を赤く染めた彼は暫くするとまた私の方に向き直った。そして覚悟を決めたように、彼はその口を開く。
「……俺は、貴女のことがずっと好きだった。これからも、その想いは変わらない。だからどうか……この先ずっと、俺と一緒にいて欲しい」
「あぁ、私はお前と一緒にいるよ。……これから先も、ずっとだ」
それを聞くと、彼はまた私を抱きしめてきた。きっとまだ、その表情は暗いままなのだろうが。彼がもう二度と一人になろうなどと思わないように、私は彼の背中を強く抱きしめ返す。そして、ずっと言いたかったことを口にした。
「……アンブローズ」
「……なんだい、先生」
「私はまだ怒っているからな」
私の言葉に、彼は少し身体を震わせた。そして恐る恐る私から離れると、どう考えても怒っている様子の私を見て焦ったように口を開いた。
「ごめん先生、何が悪かったのか思い当たる節が多すぎて……貴女を何で怒らせているか分からない……」
「お前が使った術の事だ! クラウディアに聞いたぞ、少しでも間違ったら即死物だと……それに成功した人間などほぼ居ないらしいじゃないか……もし死んでしまったらどうするつもりだ、もう少し考えて行動しろ!」
「ご、ごめん先生……本当に、その、ただの言い訳にしかならないけど、ずっと身体を弄ってた俺は耐性があるだろうからって、きっと成功するって聞いて……っ」
私はそんな彼の頬を両手でつねった。本当にただの言い訳だろう、そんな理屈で行っていい術じゃないことくらい明らかだった。彼女は必ずその危険性を話してから術を教えると言っていた事から、彼のそれはほぼ自殺行為と言えるだろう。
「私に散々、自分を大切にしろと言っていたくせにっ! 私は死なないにしてもお前は人間だったんだ、人に言うよりも前に自分を大事にしろ! お前が苦しむ所なんて、私は見たくない……っ」
「わ、わかった……本当にごめん。もう無茶はしないから、その……」
彼が私に謝っているそんな時、ふと今日二度目の扉を叩く音が裏口から響いてくる。流石にソフィーではないだろうが、一度怒るのを中断して少し警戒しつつ私はソファから立ち上がった。頬を擦りながら、小さく何かを呟いたアンブローズも私に続いて立ち上がる。私が彼にリビングで待っているようにと睨みつけるよりも前に、その扉が開く音がした。
「……なんだ、またお邪魔してしまったか?」
リビングの入口から出ようとしていた私を見て、もう何度目だろうか、呆れた表情でこちらを見てくるケニスがそこには立っていた。




