【閑話】生徒と先生
同日にアップした、風変わりな道化師(7)からお読みください。
「イヴ先生! 約束通り模試で一番取ってきたよ、これで貴女の話を聞かせてくれるよね?」
いつものように窓際の席で本を呼んでいた私に、その少年は元気よく駆け寄ってくる。当然のようにそんなことを言う彼に、私はもう何度目かのため息をついた。
「お前は相変わらず……流石としか言いようがないな。言って取れるものじゃないだろう……本当に、頭がいいんだな。勿論努力しているのは知っているが」
「それは……貴女の事が知りたいから頑張ってるんだけど……」
「……どうした?」
「なんでもないよ。ねぇ、今回は何の話を聞かせてくれるの?」
いつの日か、試験の結果で一位の成績を取る代わりに私の話を聞かせて欲しいと彼は言ってきた。魔術のことではなく、何故か私自身のことを知りたがってくる彼に、私はよく分からないままそれでも勉強に力を入れるようなら丁度いいと頷いた。
だがそれからというものの、彼はことある事に成績表を持ってきてはその一という数字を見せてくる。そんな簡単に取れるものではないだろうと何度も驚かされたが、約束は約束だからと私は自分の昔話を聞かせるようになっていた。そんなに楽しい話ではないだろうに、彼はいつも嬉しそうにそれを聞いていた。
「……それで、その生徒会長が部室を貸し出す許可をくれてね。あの時は本当に、なんで私が駆り出されたのかが分からなかったよ」
「先生……それはどう考えてもその生徒会長が……いや、それでもよくそんな事件を解決出来たね。突然引っ張りだされたんだろう?」
「良くも悪くも上手く使われたんだよ、あの人には。偶然図書室で変な本を読んでいた生徒を見ていなければ、流石にお手上げだったよ」
私は高校時代の話を彼に話して聞かせていた。随分と懐かしい記憶だったが、話し始めたら意外と思い出せるものだった。だが何故か不満そうな表情になった彼は突然その口を開く。
「ねぇ先生。先生って恋人はいるの?」
「なっ、突然なんだ。なんでそんなことを……いや、恋人など……そ、そうだな。私の恋人は……研究だから……その、本当に何故そんなことを聞くんだ……」
「……ふーん、居ないんだ」
「……悪かったな。私は本当に、勉強と研究が出来ればそれで良かったんだ。だから、そういったことに時間をかける余裕など」
「それはただ鈍かっただけだと思うけど……」
「今なかなかに聞き捨てならないことを言われた気がしたんだが……」
やはりまだ学生だからだろうか。彼もその手の話が好きらしい。こんな年寄り――彼からは二十代後半に見えるのだろうが、そんな相手の話を聞いて面白いのだろうか。私が少し不貞腐れていると、彼は何故か嬉しそうに笑った。
「でもそっか。それなら恋人は作らないままでいてね。貴女にはずっと俺の先生でいて欲しいから」
「お前……ずっと学生でいるつもりか? せっかく勉強を教えてるんだから……」
「……先生、鈍いって言われない?」
「なっ、そんなこと……あった気もする……」
何故私は教え子に言いくるめられているんだろうか。彼のなかなか歯に衣着せぬ物言いに、私は少し気圧されてしまう。だがそんな彼も、突然真面目な表情になったかと思うと、私の目を見て言葉を続けた。
「ねぇ先生。もし……もしもだよ、俺が大学に受かって、それから研究者になれたら。……伝えたいことがあるんだ。だからそれまでは……俺だけの先生で居てくれる?」
「……あぁ、そうだな。お前なら、絶対になれるよ。私よりずっと才能がある。……きっと、私が叶えられなかった夢も、叶えられるだろう」
「先生の夢って?」
「……多くの人を、幸せに出来る物を作れる人間になりたかったんだ。ただ、今の私ではもう無理だから。きっとお前なら……やってみせるだろうな」
きっとこの子なら、私に出来なかったことも出来るはずだ。私とは違って、勉強だけじゃなく、人の気持ちも分かる子だから。いつかきっと、本当に人の為になれる研究者になれるだろう。そんな私の言葉に、彼は笑って返事をしてくる。
「……それなら、俺はいつか必ず貴女を幸せに出来るものを作るよ。俺は、ずっと貴女に笑っていて欲しいから」
「それは……そうか。ありがとうアンブローズ……楽しみにしてるよ」
そんな心優しい少年の言葉に、私は笑って頷いた。
だがある時、私はそんな彼を。――裏切ってしまったのだ。
彼が大学に合格してから数日後、私はこの国を出た。挨拶も出来ないままに、逃げるようにして。私のことを知っている人間がこんな所にいるなんて。訝しげなその視線から逃れるようにして、私がその図書館に行くことは――もう二度となかった。
結局、あの子の伝えたかったことも、作ると約束してくれた、私を幸せにしてくれるらしい物すらも。何も分からないままに。結局私はまた、一人に戻ったのだった。




