風変わりな道化師(2)
「それでは、ご協力ありがとうございました。何かありましたらこちらにご連絡下さい」
予定通り外回りに出ていた私は、森棲種の女性の家を後にした。これで三件目、そろそろ正午にさしかかる頃、私は昼休みとして近くの喫茶店へと足を運んだ。
「……ハーヴァーです。はい、午前の分は全て終わりました。今から昼食を摂る予定です。午後の訪問予定の方の面会が終わり次第研究所に戻ります、はい。それでは失礼します」
研究室へと、午前は問題がなかったことを連絡しながら、私はその喫茶店の扉へと手をかける。だが私が扉を開くよりも前に、中からは店員のものと思われる怒号が響いてきた。
「貴方でしょう! ここにあった花瓶を盗んだのは! 違うというのならそのコートを大人しく脱いでくださいっ!!」
何事かと思っていると、ふとその手前の扉が開かれ、中から一人の女性がこっそりと出ていこうとするのに気付く。私は反射的にその女性のコートの首元を掴むと、そのまま店内へと入った。
「……私ではありません。このコートは……持病で肌が爛れているのです、ですから脱ぎたくないのですが……」
支払い用のカウンターの前には、一人の男性が立っていた。彼は分厚いコートに身を包み、その顔も大きなマスクで覆われている。さらに真っ黒なサングラスをしているために、その見た目は確かに怪しく見える。店員の言っている花瓶というのがどれ程の大きさなのか正確な事実は分からないが、確かにそのコートはものを隠すのに打って付けだろうと思う。
「別に人前で脱げとは言いません、ですので裏まで来てください。やましい事がなければ断る必要もないでしょう?」
「っ……ですが、その」
そんな店員の言葉に、彼は気圧されるようにして後ずさる。どうしてもそのコートを脱ぎたくないようで、彼は中々頷かなかった。
「……警備の方を呼ばせて頂きます。盗まれた花瓶はアンティークでとても高い物なんです、ですから」
「彼は犯人ではないだろう、変わりに彼女を調べてみろ、きっとその花瓶が出てくるはずだ」
私は先程捕まえた女性を店員の前へと突き出した。あからさまに動揺して、急いで出ていこうとする彼女を私は扉を塞ぐ形で留める。
「君たちが騒いでいる間に、こっそり出ていこうとしていた。調べるならまず彼女だろう。君は罪のない人間を法廷に出したいのか?」
私のその言葉に、困惑した様子の店員はそれでも彼女のコートを確認した。すると予想通りその小柄な女性の足には、その花瓶が括り付けられるようにして取り付けられていた。
「な、まさかこんな小さな女性が……ほ、本当に申し訳ありません……私の早とちりだったようです」
「……見た目で全てを判断するのは、些か軽率だと思うよ。……とにかく、今は警備を呼ぶといい」
私がそう言うと、その店員は焦ったように電話をかけ始めた。盗みを働いた女性が逃げないようにと見張っていると、先程の男性が私に声を掛けてくる。
「その……助けて下さってありがとうございます。……この見た目は、人が見るにはあまりにも怖がらせてしまうものですから……本当に、感謝致します」
そう言って礼をしてくる彼の顔に、私はふと目がいった。マスクとサングラスの隙間から、まるで爬虫類のような鱗が覗いている。彼はその肌を見られたことに気が付いて、焦ったようにその手袋をした手で顔を覆った。
「貴方は……もしかして有鱗種の方ではないですか? その様子だと……人間との混血のようだ」
「何故、それを」
昔、勉強の一環としてその種族について本で読んだことがあった。本来どこにでも居たとされるその種族は、人間がその領土を広げると共に、その見た目の面妖さから虐げられ土地を追われたらしい。今ではどこかに隠れ住んでいるのか、それとも淘汰されてしまったのか。その姿を見ることは無いとされていたはずだった。
「知識として知っていただけです。……ですが市民として住んでいる方にそのような方がいたとは聞いていませんでしたが……」
今朝確認した資料を思い出して、私はふと首を傾げる。そういえばあの資料は、面会を承諾してくれた住民のものだけが纏められていたはずだった。そのためそもそも拒否した者も少なからずいたのだろうと私は思い至る。
「それは……私は、ここに住んでいる訳ではありませんので。……その、昼食を摂られに来た方、ですよね。お礼と言ってはなんですが、是非ともここは奢らせて下さい」
先ほど到着した警備の人間が犯人を連行するのを確認しながら、彼はそう言ってくる。せっかくだから、私も彼に話を聞いてみたいとその誘いを快諾した。きっと微笑んだのだろう、彼は嬉しそうに私を席へと案内する。軽く事情を聞いてくる警備の人間に私は名前を告げ、少し店内が落ち着くのを待って料理を注文した。
「イヴ・ハーヴァーさんと仰るのですね。もし良ければ、お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか……?」
「あぁ、はい、お好きなように。えっと、貴方は……」
私の言葉に、彼は少し考え込むようにして口を開いた。
「私の事は……そうですね、どうぞクラウンとお呼びください」
「クラウン……ですか? それは……分かりました、クラウンさん」
私がそう言うと、彼は笑ったのだろうか軽く首を傾げた。顔を隠しているためにその表情は分からないが、何となくそうなのだろうことは分かる。だが、先程告げていた名前とはだいぶ違っていた為に、私は偽名なのではないかと少し不思議に思う。だが何かしら事情があるのだろうと、私は敢えてそれを口にはしなかった。
「それで……イヴさんは随分とこの手の話に詳しそうでしたが、もしかして何かそういったお仕事をされているんでしょうか?」
「あぁ……そうですね、一応国の研究機関で働いているんです。良ければこちらを」
私はバッグから名刺を取り出すと、それを彼に手渡した。少し驚いたように、名刺と私とを交互に見る彼に私は言葉を続けた。
「一応、そのような仕事をしていますから。貴方のような方にもお話をお聞き出来ればと思っているのですが……無理にとは言いません、聞き流して下さい」
「いえ、だから私のような者にも人と同じ対応をして下さるのですね。……そうだったのですか、私は随分と運がいいようです」
その言い方は、彼の今までの人生がどのようなものだったのかを窺えさせた。先程の様子からしても、きっと苦労してきたのだろう。
「私は……専門の人間だからという訳ではありません。ただ、どんな人でも……虐げられることなく、正しく生きることが出来るはずだと。出来なくてはならないとそう思っています。ですから、もし良ければ私達を頼ってください。これからは、もっと暮らしやすい場所になっていくはずですから」
私は、エルフィムの事や海成種の人々のことを思い出して、混血の彼にも幸せに暮らせる日が来るようにと。これから、私達が努力していかなくてはならない事実を改めて確認した私は静かにそう告げた。そんな私の言葉に、彼は少し驚いたように口を開く。
「それは……そう、考えて下さる方が。一人でも多くいてくれる世界になれば……きっと、皆幸せになれるのでしょうね」
「その為に、私達がいるんです。……いつでも連絡してきてください。ここにいる研究員たちは、貴方の味方ですから」
私がそう締めくくると、丁度注文していた料理が届いた。彼もその料理に手をつけようとして、ふとこちらを見てくる。
「……マスクを取っても……大丈夫でしょうか。見るに堪えないものかも、知れませんので」
「別に構いませんよ。ここからなら他の客にも見えないでしょう。私の事は気にしないで下さい……難しいかもしれませんが」
少し奥まった場所にあるこの席は、他の客から顔が見えることもないだろう。敢えてこの席を選んだのだろう彼は、躊躇いながらもそのマスクを取った。
「思ったよりお若い方だったんですね。随分と大人びていたので、少し驚きました」
「驚くのはそこなんですか……?」
サングラスは付けたままだったが、その顔立ちからまだ三十前後なのだと分かる。確かにその顔は、混血特有の斑な肌をしている。その特徴的な灰色の鱗が、首から顔の半分までを覆っていた。彼は少し恥ずかしそうにしながらも食事を始め、私もそれに倣った。
「今日は助けて下さって本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそご馳走になって。ありがとうございました、どうかお気を付けて」
食事を終えた私達は、喫茶店を出てそう礼を交わす。仕事に戻ろうと背を向けようとする私に、彼は少し焦ったように声を掛けてきた。
「イヴさん! その……これを」
そう言って、彼は一枚のチケットを私に手渡してくる。煌びやかなそのチケットには、とあるサーカス団の名前が記されていた。
「良ければ、見に来てください。これでも結構名の売れたサーカスなんです……公演は勿論、舞台裏の見学も出来るようになっていますので、時間があれば是非」
何でも彼は、このサーカス団の団長らしい。その大人しい性格からは想像出来ないが、彼はその名の通り道化師なのだろう。私は少し驚きつつも、それを受け取った。
「それでは、またお会い出来ることを願っています」
彼はそう言って、そのまま私とは逆の道を歩いていく。私は受け取ったチケットを仕舞い、休日には見に行けるだろうかと考えながら、また仕事へと戻っていった。




