風変わりな道化師(1)
年始休みも終わり、今日から研究所での仕事が再開する。実質四日程度の休みだったが、自分はやはり仕事が好きなのだろうか。少し早く起き出してしまい、まだ人気のない研究所へとやってきていた。管理も含めた役職の者は既に出勤してきているため、鍵のかかっていない扉を私は開く。
「……あぁ、それならいい。……は、そうか、無理はさせないよう見ていてくれ。最近……だと聞いていたからな。彼の方も注意……」
私の所属する部署の研究室から、そんな声が聞こえてくる。早い時間だと言うのに、どうやら誰が会話しているらしい。私は扉を開けて、中にいる彼らへと挨拶をする。
「おはようございます……随分と早いですね、何かあったんですか?」
「……君こそ、何故こんな早くにここにいるんだ」
その色素の薄い灰色の瞳で、いつも通り無表情にこちらを見てくる彼は、少し訝しげな様子でそう問いかけてきた。だが私が口を開く前に、彼の隣に立っていたテオドールが口を開く。
「おはようございますハーヴァーさん。随分と早いですね、どうかしたんですか?」
「おはようございます室長。お恥ずかしながら、久々の仕事が楽しみだったのか早く目が覚めてしまって。せっかくだから溜まっている資料を確認しようかと」
「そうだったんですね。そうだ、例の海成種の資料もまとめないといけないので、良かったら目を通してみてください」
そう笑って返事をする彼を見て、隣に立っていたリアンが小さくため息をつく。置いていた荷物を取って、彼はテオドールへと話しかけた。
「ベル。先程の件、頼んだぞ……私はもう戻る」
そのまま私の隣を通り抜けていこうとする彼に、私は咄嗟に声をかけた。
「殿下、これを。港町で妹君にお会いしました。その際に買ったものなのですが、普段のお礼も兼ねて。良ければ受け取ってください」
私は研究所用に買ってきていた土産袋の中から、その袋をリアンに手渡した。一瞬表情が固まったように見えたが、それでも直ぐにそれを受け取ってくれる。
「……これは、態々私にまで。いや、そうか……一応は君の上司だからな。ありがとう、受け取るよ」
「使わないようでしたら、お好きにしてくださって構いませんので」
私の渡した袋を、何故か少し考え込むようにして受け取った彼はそのまま研究室を後にした。その様子を少し不思議に思いながら、私は室長机まで向かう。そしてテオドールにもお土産のお菓子を渡すと、彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、私も海へは行きましたが、遊んできた訳ではなかったですから。これは……お菓子ですね、せっかくですしお茶でも入れましょうか」
そんな彼の言葉に私は頷いて、研究室内の給湯器で紅茶を淹れる。まだ来ない研究員達を待つ間、私たちは客用のソファに対面するようにして座った。
「そういえば、先程あの方にもお土産を渡していましたが……中身はお菓子だったんですか?」
「あぁ、いえ。妹君も買っていかれるようでしたから、出来る限り被らないようにと別のものを」
「それはよかった。あの方は甘い物をあまり食べませんから。仕事で必要だと適当に糖分をとる程度で、元から甘いものは好きじゃないみたいです」
随分と詳しいのだなと私は思った。所長にではなく、彼に直接何かの指示を出していたらしい所からも、もしかすると彼らは何かしらの関係があるのではないかと思い至る。
「殿下と室長は、もしかして長い付き合いなんですか? 随分と親しいようでしたが」
「あぁ……そうですね。私はあの方を尊敬しているんです。ですので普段からあの方のお手伝い……をしてるんですよ。今では随分と信頼して下さっているので、こうしてここの室長にも選んで下さったんでしょうね」
この部署の研究員達は、リアンが選んだ人間だった事を私は思い出す。もちろんテオドールも同じだったようで、彼を選んだ理由はそこにあったらしい。人を見る目のある彼が信頼している人物なのであれば、やはり室長である彼もいい人なのだろうと私は納得した。
「そういえば、あの方には何を渡されたんですか?」
「え、っと……仕事に使えるだろうと思って、万年筆とインクのセット……それにペーパーウェイトを併せて。万年筆には真珠貝があしらわれていて、中々綺麗だったので。お土産としては丁度いいかなと」
「確かに、それは丁度良さそうですね。完全に仕事人間ですから、実用的なものは喜ばれると思います……さらに仕事ばかりになりそうで少し怖いですが……」
その考えはなかった。確かに普段から仕事のし過ぎのように思える彼には、もう少し別のものを選ぶべきだっただろうか。だが結局のところ、一番実用性のあるものを直ぐに手に取ってしまうのは、良くも悪くも私の癖と言えるだろう。私が少し複雑な表情になっているのを見て、テオドールが可笑しそうに笑う。
「大丈夫だと思いますよ。元々効率的な考え方を形にしたような人ですから……」
「それは……確かにそうかもしれませんね。本人はそれを良い事だとは思っていないらしいですが……」
警備隊の彼らの事件が起きた時も、リアンは私に謝ってきていた。私のこの身体のことを鑑みて、間違いではなかった人選だと言えただろうに。その論理的な思考と、その優しさとのバランスが中々に大変そうだと私は思った。そんなことを考えていると、コンコンと研究室の扉が叩かれ、一人の男性が入ってくる。
「テオドール、新しい住民の資料が回ってきたから持ってきた……んだけど、おはよう先生。随分と早いね?」
「あぁ、おはよう……ございます、所長。少し早く目が覚めて……家で時間を潰すのもなんだし、つい来てしまって」
「そうだったんだ。今は休憩中……かな。テオドール、今朝渡した予定表は確認したんだよね?」
ふと、私たちの前に置かれているお菓子と紅茶を目にして、彼は少し目を細めてそう問いかけてくる。すると一瞬罰の悪そうな表情になったテオドールが焦ったように口を開いた。
「え、えぇそれは勿論! あ、良かったら所長もどうですか? ハーヴァーさんがお土産を買ってきてくれたんですよ」
「いや……俺は先日貰ったから。あぁ、でも紅茶だけは貰おうかな」
その言葉に、私が立ち上がるより先に急いでテオドールが紅茶を入れに行った。呆気に取られた私の隣に、呆れたように笑うアンブローズが座ってくる。そしてその手に持った資料をこちらに渡してきた。
「はい、これ。新しく入ってきた他種族の住民資料。面会許可をくれた人だけを纏めてるから、多分今日からでも外回りが増えると思うよ。例の海成種の件も合わせて忙しくなると思うから、頑張って」
「あぁ、分かった。でもそうか、今思うとかなり忙しくなりそうだな。統計を取る為の資料もまだまだ足りないし、そもそも警備の強化を含めた研究も進めないといけないだろうに」
「それについては、情報さえ集まれば別の部署に回すから。なんでも一人でする必要はないからね……?」
彼のそんな言葉に、私は悪い癖が出てしまっていることに気がついた。一人で出来ることに限界はあるが、それでもいつの間にか自分だけで仕事をし過ぎてしまうのは、出来ればもう二度と起きないようにしなくてはならない事だった。
「あぁ……気をつけるよ。危ないな、久々の研究職で少し楽しくなってしまっているところがある……他種族用の警備強化の魔術式……作ってみたいものだ」
「その気持ちは分かるけど、ここの部署の子達もかなり優秀な子が多いんだ。出来れば先生には彼らをサポートしていってあげて欲しい」
「……分かった。あぁ、でももし面白い研究案があったら……その、教えてくれ」
私のそんな言葉に、彼は困ったように笑って頷いた。そして丁度戻ってきたテオドールに受け取った資料を渡すと、彼は少し考え込むようにして口を開く。
「そうですね……今日からでもハーヴァーさんには外回りに行って貰おうと思います。ここに入る前から人に話を聞くことが多かったようですし、丁度いいでしょう」
私はそれに頷くと、温くなった紅茶を手に取った。ふと隣の、結局お菓子に手を付けている彼を見て、数日前の事を思い出してしまう。私が逃げるように部屋を出ていった後、彼は一体どう思ったんだろうか。また恥ずかしくなってしまう思考を振り払って、私は今日の仕事の思考に切り替えた。




