海上の夜明け(8)
「そういえば、年越し前提のクルーズと聞いていたが……やはり夜中にも何か催し物があるのか?」
「勿論です! ホールでも甲板でも、年明けのカウントダウンがあるそうですよ! どちらに行きましょうか!」
部屋に戻った私たちは、今日のこれからの予定について話していた。後三時間程で日付が変わり、新しい年を迎える。まさかこんな船の上で年を越すことになるとは、昔の私からは考えられないことだった。
「そうだな……フィーはどっちがいい? お前と一緒なら、私は何処でもいいよ」
「えっ!? えっと……今日は一段とキレがいいですね先生……そうですねぇ。私も、先生と一緒ならどこでも……でも敢えて言うなら甲板ですかね? 港町の夜景が綺麗に見えるそうですよ!」
私はそれに頷いた。彼女は嬉しそうに笑うと、バッグにしまってあったパンフレットを取り出して確認し始める。私も椅子へともたれかかって目を閉じた。
気になることは沢山あった。この船に乗っている海成種の事も、ノアを私に会わせたリアンの事も。考えても分からないことは、結局直接聞くか調べるしかないだろう。だからこそ今は、それ以上にこの船の旅のことを思う。
エルフィムとは長い付き合いだ。それでも、こうして彼女と過ごす時間も、今の私も、これまでとは違うと言えるだろう。
資料が燃えてしまったこと、生徒の想い、そしてまた、国の研究室に入ったこと。そんな中何よりも、私の考え方が大きく変わった。
――今まで私は、この身体をどうにかすること以上に。きっと、早く死んでしまいたかったのだ。まだこの不死性に気付いていなかった当時の私は、自ら命を絶つことはなかった。私を育て、愛してくれた父の為にも絶対に出来なかった。それでもやはり、この不死の身体は私の記憶を消し去ってくれることはなかったのだ。だからこそ普通の身体に戻って、死んでしまった彼らに償いながら。その命を終えたかった。
元はと言えば、私が人との関わりを大切に出来なかったことが原因と言えるが――それでも今は、私を大事に思ってくれる人がいて、その人達の為にも自分を大事にしようと思えるようになった。
まだどうしても難しいことは沢山あるが――変わっていこうと決めたのだ。
「……フィー、ありがとう。いつも傍にいて、大事に思ってくれて」
「……へ? せ、先生、突然どうしたんですか……!? 確かに先生のことは大好きですけど……」
私の突然の感謝の言葉に、彼女はあたふたしながらそう返してくる。
「いや……いつも思っている事だが、せっかくの年の瀬だ。今年は色々なことがあった。だからこそ、伝えておこうと思ったんだ」
「……そうですね。私は、先生のことが大好きで、大切に思ってます。だからこそ、先生には……」
一瞬、エルフィムはその表情を翳らせる。だが直ぐに笑顔に戻って言葉を続けた。
「こうして年の瀬に一緒に過ごせて嬉しいです。先生、どうか来年もまた、よろしくお願いしますね」
「あぁ、こちらこそ。私もフィーが大事だ。だからもう、お前を苦しませないように頑張るよ」
私の言葉に、彼女は嬉しそうに笑った。気付けば、随分と時間が経っていた。そろそろ船での今年最後のイベントが始まるだろう。エルフィムは立ち上がると、その手を差し出してくる。私はそれを取って、彼女と共に甲板へと向かった。
「こんな時間だとは思えないな。ホールもこんなに人が居るんだろうか……」
甲板には既に大勢の乗客が集まっていた。こんな時間だが、プールで泳ぐ人も多く見受けられる。そんな各々の時間を過ごす乗客の中、私達もゆっくりと船の端へと歩き始める。港町が一望出来る場所へ辿り着くと、そこには確かに美しい夜景が広がっていた。
「もう、今日一日ずっと綺麗な景色を見てきましたが……先生とこうして、年の終わりに二人でこんな景色を見られるなんて。本当に、生きていて良かったです」
「……私も。今は生きていて良かったと思えるよ。お前達に出会えたからな」
私はそう呟きながら、隣に立つ彼女に目を向けた。その綺麗な金髪を綺麗に輝かせながら、それに負けないくらい、綺麗に笑う彼女を見て、私も微笑み返した。
「……皆様、そろそろ十二時になります。是非、新しい年を盛大にお祝いしましょう!」
そんなアナウンスに、乗客たちは船の大きな時計を見上げる。私たちも、夜景を背に船の端からその時計を見つめる。――そして、遂にその時が来た。
「――新年、おめでとうございます!」
わっ、とその場が沸き上がる。拍手をするものや歓声をあげるもの。中には椅子に座ったまま寝てしまっているものまで様々だった。そんな中、新しい年へと切り替わったその瞬間。
――パリンと、何かが割れる音と共に、水音が響いた。
その音は、どうやら客室から聞こえてきたようだった。船の端に居た私は、沸き上がる歓声の中、かき消されそうなその音に気付く。何故かその音に、私は嫌な予感がした。
「先生、おめでとうございます! どうか今年もよろしくお願いしますね!」
「あぁ、私こそ……今年もよろしく、フィー。……すまない、少し船内に戻る、変な音が聞こえたんだ」
「変な音……って、私には聞こえませんでしたが……もしかして、事件ですか」
久々に彼女の口から聞いたその言葉に、私は口を開く。
「まだ分からない。ガラスの割れるような音と、海へと何かが落ちた音だと思う。もしかしたら何か起きたのかもしれない……一応、確認しに行こうと思う」
「勿論私も一緒に行きます、急ぎましょう!」
彼女の言葉と共に、私たちはその場から駆けだした。年明けの興奮で私たちを気に求めない乗客たちの間を縫って、私たちは先程の音が鳴っただろう客室方面へと向かった。
「ここまで部屋が多いと、流石に見つけるのは厳しそうだ……」
ここまで大きい船で、あの小さな音だけでその場所を探すにはあまりにも部屋数が多い。年明けの為乗客がそこまで居ないことが唯一の救いだった。
「先生、あそこ! 誰か立ってます!」
彼女の指さす方向には、扉の開いた客室の前に立つ一人の女性がいる。急いで向かうと、そこには見知った顔が居た。
「あ、あれ? イヴさん……? た、大変なの、人が倒れてて。今ケニスが見てるんだけど、血が……」
私はノアのその言葉に、急いで客室に入る。
そこには、この船のオーナーの息子であり、あの海成種の女性との逢瀬を過ごしていた青年がベッドに倒れて、苦しむように呻き声を上げていた。
「ケニス! 容態は!」
「っ、出血が酷い、とにかく患部をどうにかしないとこのままでは不味いことになる。俺が術式を作る、代わりに抑えていてくれ!」
彼の言葉に頷いて、私は急いで代わりにそのシーツで抑えられた首元に手を伸ばす。確かに、出血が酷い。きっとこのままでは彼は命を落としかねないだろう。
「……くそっ、なんでこんな事になっている、他に人はいなかったのか?」
「俺が血の匂いに気付いて駆けつけた時には、彼はもう一人だった。窓から逃げ出したんだろうな……ベッドの近くにある花瓶も割れている。きっとその時に倒したんだろう」
そう説明をしながら、ケニスは直ぐに戻ってきてその青年に手をかざす。すると苦しんでいたその様子が、少しずつ落ち着いてくる。私がシーツを外すと、その傷は綺麗に治っていた。
「残念ながら、傷を塞いだだけだ。出血が多いから、まだ危険だろう。俺たちに出来ることはこれくらいだ」
彼の言葉に、私はその青年を見る。血を流しすぎたのだろう、確かにその顔は昼間に見た健康なものとは打って変わって真っ青になっていた。
「とりあえず、船員を呼んだ方がいいだろうな。なるべく乗客には知られないように」
「っ……まって……ください…………っ」
私の声を遮るように、そんな言葉が私の後ろから聞こえてくる。振り返ると、先程まで死にかけていた青年が、横になったままそれでも何とかこちらを向いて、私を呼び止めてきた。
「おい、あまり喋るな。出血が多いんだ、人を呼んでこないと」
「いいん、です……お願いします、人は、呼ばないでください……っ」
そんな彼の言葉に、私たちは困惑したまま顔を見合せた。




