海上の夜明け(5)
流石に船内の全ては回りきれずラウンジで休んでいた私に、エルフィムが時計を見ながら口を開いた。
「正午に出港のセレモニーが始まるそうですよ。オーナーさんの挨拶があるそうですから、ホールに向かいましょう。ちなみにホールでは、夜にダンスパーティーもあるそうです、私は踊れないので見るだけになりそうですが……」
「私も、流石に見ているだけになりそうだ……それとも、一緒に踊ろうか? 少しだけなら、教えられると思うよ」
昔、勉強の一環として、知識としての踊り方を覚えた記憶がある。何故昔の私は、世界のダンスなどという本を読んだのだろうか。思い出せないまま、当時はまだ勉強することだけを目標にしていたために、とりあえず覚えたのだろうと納得する。
「えっ!? それは……いいですね、あの人じゃなくて、私と……ふふっ」
彼女の言うあの人とは、一体誰だろうかと、私は気付かないふりをしながら手に持っていたドリンクを飲み干した。そのまま席を立って、彼女と一緒に早めにホールへと向かう。
「……おや、そのタイは。ようこそいらっしゃいました。まだセレモニーは始まりませんが、是非ゆっくりして行ってください」
ホールに入ってきた私たちに、ここの準備を進めていたらしい一人の若い男性が声をかけてくる。船側の招待客であるという証らしい、私たちが胸に着けていたリボンタイをみて、彼はそう挨拶してきた。
「この度は招待してくださってありがとうございます。今回もしっかりと記事を書かせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
エルフィムはどこからか取り出した名刺を彼に手渡しながら、そう挨拶した。私もそれに習って軽く頭を下げる。彼は笑って返すと、そのまま準備へと戻っていった。
「ええっと、あの方は。この船のオーナーの息子さんなんです。この事業にも参加しているらしく、こうして挨拶してきてくれたんですね」
「なるほど……うーん、なんだか彼に覚えがある気がするな……」
何故か記憶に引っ掛かるその男性に、私は少し疑問を抱く。首を傾げていると、エルフィムが口を開いた。
「メディアにも顔を出しているので、記事で見かけたんじゃないでしょうか? まだ若いのに、とても努力してらっしゃる方で、なかなか人気があるんですよ」
彼女の言葉に、私は引っ掛かっている記憶を辿ろうとする。記事を読んだにしては、少し違うような。そんなもやもやする思考で、それでも私はつい最近聞いたその声を思い出した。
「……思い出したぞ、昨日の青年と同じ声なんだ」
「えっと……昨日の青年、ですか?」
「あぁ。ほら、昨日の海岸で……大きな声では言えないが、例の女性と話していた彼だ」
確かにその声は、昨日海成種の女性と話していた青年の声と同じものだった。まさかとは思いつつ、昨日の会話を私は思い出す。
「……そうか、彼はこの客船に彼女を招待していたのか。それなら、またあの歌声が聴けるかもしれないな」
「そう言われてみれば、そうかもしれませんね……まさかこんな偶然があるなんて。これは楽しみが増えましたね……! お二人の邪魔はしませんけど!」
そんなエルフィムの言葉に、私も軽く頷いた。そろそろセレモニーが始まる時間だ。気付けばホールには沢山の乗客が集まって来ていた。少し壁寄りに立っていた私たちは、そのままステージに目を向ける。
「この度は、ようこそお越しくださいました。只今より出港致します! 是非拍手を!」
ステージに立つ、オーナーなのだろう男性のその言葉と共に、汽笛が鳴り響く。それと同時に乗客たちが一斉に拍手を送った。私達もそんな様子を見ながら、ふとステージに立つ先程の彼を見つける。
後ろに並んでいるスタッフたちと共に、その一番端に立っていたその青年は、ホールのある一箇所だけを見つめていた。この広いホールで、彼がどこを見ているかなど気付く人はそうそういないだろう。だが、私はその目線の先の一人の女性へと目がいった。
首元を覆うようなファーと、そして顔が軽く隠れるようなトークハットを被っているその女性は確かに、あの時パルテと呼ばれていた女性だった。そんな彼女を見つめる彼の健気なその姿に、私は少し微笑ましく思う。
「開会式は以上となります、どうぞ海の上でのひと時をお楽しみください!」
そんなオーナーの声に、再度拍手が響き渡る。そのままホールで話し始める者、その場から去って船内を散策し始める乗客達の中、私たちはこれからどうするかを話し始めた。
「さて、これからどうしようか。まだ昼食もとっていないし、食事にしてもいいかもな」
「そうですね……! この船、色んなレストランが入ってるんですよ。歩きながら見て回りましょう!」
元気に私の手を取る彼女に連れられて、そのまま私達はホールを後にした。
「美味しかったですね……! デザートのパフェも、凄ーく可愛かったですし、写真撮っちゃいました。これを記事に載せたらきっと人気出ますよね……!!」
レストランを出た私たちは、食後の運動がてら船内を歩いて回っていた。エルフィムは楽しそうにメモをとりながら、記事の案を出しているらしい。
「フィー、歩きながら書くと危ないぞ……って、ほら、言ったそばから」
柱にぶつかりそうになる彼女の肩を軽くこちらに寄せる。それでもキリのいいところまで書ききらないとその手を止めないそんな姿に、私は苦笑した。
「……ここは、いい場所だな」
気がつけば、人気の少ないガラス張りのテラスがある一角へと辿り着いていた。きっとここは穴場なのだろう。随分と沖へと来ていたらしい船から、私たちは真っ青な海を眺める。
「……あぁ、そうだ。ここなら大丈夫かもしれないな。フィー、少し踊り方を教えようか」
ふとそんな話をしていたことを思い出した私は、彼女に手を差し出した。するとエルフィムは少し驚いた顔で、それでも私の手を取る。
「ええっと……どうぞ、よろしくお願いします……なんでしたら末永く、是非!」
「ずっと踊っているつもりか……まぁ、暫くはここでゆっくりするのもいいだろう」
外のテラスへと続くガラス戸を開けて、通路からは見えない場所で私は彼女に踊り方を教える。
「先生……っ、なんで、男性パートを、踊れるんですかっ、ひえっ」
私に合わせてついてきていた彼女は、少し躓きそうになりながらそう言った。確かに、よく良く考えれば態々男性側の踊りを覚える必要はなかったかもしれない。だが誰かに教えるとすれば、覚えていて損はなかったといえる。
「その時は、とりあえず覚えていた気がするよ……今更ながら、随分と手当り次第な勉強をしていたな……こうして実際に誰かと踊るのは初めてだが」
私は彼女をリードしながら、随分と昔に覚えた事だったが、案外上手くいくものだと思った。エルフィムも中々に覚えが早く、これなら一曲くらい踊れそうだなと私は考えた。
「せんせ、きゅ、休憩しましょう……? 先生、案外スパルタ……」
フラフラとテラス席へと座った彼女は、ふと海を眺めた。そして、その目を丸くする。
「……あれ、もしかしてお魚ですかね。今何か泳いでました! こんな時期ですが、見れるんですね!」
先程まで疲れて座ったいたとは思えない動きで、彼女は席を立って海を見下ろした。私も同じように海へと目線を向ける。すると、何か海底で光るものが見えた気がした。
「……かなり沖に出ているのに、海底になにか……まさか、海成種の街か何かか?」
「えっ、なにか見えますか……? 先生、目がいいですね……うーん?」
正直なところ、私にもはっきり見える訳ではなかった。だがやはり、研究者の性が気になるところでもある。だが、ここまで沖に出てくると、その深さは計り知れないだろう。私は大人しく諦めることにした。
「……中々深いからな、流石に調べるのは無理か。仕方ない」
そう言って、私は船の端から船内へと戻る。エルフィムもそれに続き、私たちはまた船内を歩き始めた。




