海上の夜明け(3)
私の隣に座っていたエルフィムも、すっと席を立ったかと思うと、私の向かい側へと座り直す。少し首を傾げながら、彼女は口を開いた。
「何だか凄かったですね。あの方が第一王女様……デートって言ってましたが、なるほど、そういう事ですかね」
「……? どういうことだ?」
「ノアさんが王位を継ぎたくない理由ですよ。多分そうなんじゃないかなって、あんな笑顔でしたし……国王になったら、きっと血筋を絶やさないために結婚しないと駄目でしょう? 王家は一応恋愛結婚は大丈夫なのですが……」
そこまで言われて、私はその意味を理解する。ケニスは荷物持ちだなんて言っていたが、きっとノアは彼のことが本当に好きなのだろう。だが、彼は人間ではない。結婚するどころか、子供が出来るかも怪しいところだった。王家である彼女はそれを理解しているからこそ、王位を継いで、別の人間と結婚などしたくないのだろう。
「なるほど、確かにそうかもしれないな……王家もなかなか大変そうだ」
「そうですねぇ……それにしても、なんで例の王子様は、彼らをここに寄越したんでしょう……本人は流石に来れないでしょうけど。探偵さんにもその話をしてないだなんて……」
「さて、どうだろうな……私がここに来ることを知った上で、彼女にチケットを渡したとなると……ケニスに伝えていないのも不思議なものだ」
ケニスは、あいつが仕組んだ事だと言っていた。確かに、偶然にしては出来すぎていると言えるだろう。本当にただ、妹への卒業祝いのチケットだったとしても、三日前に渡すなんてことはしないだろう。そのため、私が五日ほど前にここに来る話をしてから準備したのではないのかと予想できる。
「……あの人の考えていることはよく分からない。まぁ、よからぬ事を考える人ではないだろうから、問題はないよ」
「そうですかねぇ……話を聞いている分だと、ちょっとこう、私の記者の勘がびびっ! と来る気がします。その王子様、私の個人的な敵になりそうな気が……」
むっとした表情で考え込む彼女を不思議に思いながら、ふと、今頃仕事に追われているだろう彼の事を思い出した。
「そういえば、あいつも今頃仕事か。……何か土産を買っていってやらないとな。そうだ、クラウディアにもそろそろ会いに行きたい所だし、彼女の分も見繕って行くか」
私の言葉に、悩む頭をパッと上げたエルフィムが、元気に椅子から立ち上がった。
「そうですね、今のこの時間は有限ですから! アンブローズさんへのお土産というのは少しだけ解せないですが、流石に私も買っていかないとですね」
私が倒れた時のことをまだ根に持っているらしく、彼女はそんなことを言いながらも彼へのお土産を買っていくようだった。そんなエルフィムの後に続いて席を立ち、私達はまた街の人混みへと入っていった。
バザーや水族館、この街の特産品などが売られている土産屋などを、私達は時間をかけゆっくりとまわっていく。はしゃぐ彼女の背を追いかけながら、きっとこんな時間こそ大切にしていかなくてはならないのだと、改めて気付かされる。
この身体の事や、これからのこと。まだまだ考えていかなくてはならないことが沢山ある。だが今は、大切に思う人が増えた。焦る気持ちを抑えて、それでも少しずつ、彼らと先に進んで行ければ良いと。
今の私のままで、事実から目を逸らすのはもう辞めると決めたのだ。いつかきっと彼にも、向き合うと決めたこの想いを、本心を伝えられたらいいと、私は静かにそう思った。
――気付けば日も暮れ始め、せっかくだからと言うエルフィムに手を引かれ、私達は夕日が沈む海岸へと向かった。
「わぁ! ……凄く綺麗ですね、来て良かったです!」
「まるで年末だとは思えないな。……こうして、ゆっくりと夕日を見る日が来るなんて。長生きもしてみるものだ」
私の呟きに、夕日の逆光の中振り返ったエルフィムが、嬉しそうに笑った。
「……私、こうして先生と色んなところに出掛けて、色んなものを見て、一緒に居られることが凄く幸せなんです。先生がいつか、この人生を良いものだったと言える日が来るまで、どうかお傍に居させてくださいね」
彼女のそんな素直な言葉に、私は呆気に取られる。どこまで行っても、彼女はきっと私の傍から離れることはないんだろう。そんな少し擽ったいような気持ちを、私も言葉にする。
「ありがとう、フィー……私も、お前がもっと笑っていられるような人生を送れるように、変わっていくよ。だから、私の方こそ……これからも、どうかそばに居て欲しい」
その言葉に、エルフィムはよりいっそう綺麗に微笑んだ。そんな彼女に、私はつい見蕩れてしまう。だが突然、驚いた表情になった彼女はその人差し指を口元に当てて小さく呟いた。
「先生、しーっ……後ろ、例の海成種の方がいます……っ」
その言葉を聞いて、エルフィムに近付く振りをしながら私は後ろを振り返る。すると確かに、少し高台になっている海岸の岸壁の上に一人の女性が座っていた。広場で歌っていただろうその人は、はっきりとは聴こえないが、ここでも歌を歌っているようだ。
「もう少し近付いても大丈夫でしょうか……折角なのでこっそり聴いていたいですね」
イタズラをする子供のような表情で、彼女は少しずつその岸壁の陰になっている場所へと歩き出す。
「バレても知らないぞ……」
そう言いながらも、私はその後に続いた。少しずつその歌声が鮮明に聴こえてくるその距離で、私達は座ってその声に耳を澄ませた。
広場で披露していた曲とはまた違ったその歌は、少し静かな、それでも水のように透き通る美しい声で歌い上げられる。少しだけ悪い気がしながらも、その歌声を私達は静かに聴いていた。
だが突然、一つの足音と共にその声が途切れた。
「……やっぱりここにいたんだね。明日も早いだろう? そろそろ戻らないと」
そんな、まだ少し若いのだろう青年の声が聞こえてくる。私達は顔を見合わせて、彼らに気付かれないようにとその場に留まった。
「ここにいれば……貴方が来てくれると思って」
先程まで歌っていた彼女が、その声に返事をする。――きっとこれは、彼らの逢瀬なのだろう。悪いと思いながらも、下手に動けない私達はそのまま会話を聞き続ける。
「っ……君は本当に、僕の事をよく分かっているみたいだ。……ねぇパルテ。明日、本当に来てくれるかい?」
「……えぇ、必ず。会いに行くわ。折角、貴方が誘ってくれたんだもの」
パルテと呼ばれた女性の返事に、その青年は嬉しそうに笑った。
「……うん、待ってるよ。ほら、君も早く戻らないと。ずっと地上にいるのは辛いんだろう? また明日、港でね」
その場から立ち去っていく彼の足音が聞こえなくなって、私達は残った彼女の動きを待った。
「……彼は私と一緒に……来て、くれるかしら」
そんな呟きを残して、彼女もまた一人、どこかへと立ち去っていった。呼吸を忘れるように黙っていた私達は、静かに息をつく。
「…………悪いことしちゃいました。その、何だか御伽噺みたいでしたね」
「あぁ……そうだな。まさかこんな逢瀬に出くわすとは……もう日も沈む。冷えるだろうから、そろそろ宿に戻ろう」
私の言葉に彼女は頷くと、静かな海岸を背に私達もそこから立ち去った。
その日の夜、せっせと記事を書いているらしいエルフィムの隣で、私も今日起きたことを紙に記していく。少し申し訳なく思いながらも、海岸で聞いていた彼らの会話の気になる点を纏めていた。
あの会話で分かることといえば、まずあの女性。広場で見たあの首の呼吸器官、それは確かに飾りではなく本当に機能するものなのだろう。地上で行動はできるが、それでも長い間生活するのは不可能らしい。
ずっと地上にいるのは辛いのだと、例の青年が言っていたことからそれは予想できる。だがふと、私は彼女の最後の言葉に疑問を持った。
「彼の方が誘っていたというのに。なぜ彼女はあんなことを言ったんだろう……」
一緒に来てくれるとは、一体どういう意味なのか。あの状況でつぶやく言葉にしては、不思議な点が多いと思った。
だがそんな思考も、眠そうに欠伸をするエルフィムにすぐかき消される。
「ふわぁ……今日は歩き回って、少し疲れましたね……そろそろ寝ませんか……?」
「そうだな、そろそろ寝ようか。船が出る時間も早い。早めに向かって、記事になりそうなものを見て回れるといいな」
眠そうな顔のまま、彼女は笑顔で頷く。
そうして、今日出会ったケニスやノア、そしてパルテと呼ばれた彼女達の事を思い出しながら、私達は眠りについたのだった。




