【閑話】再会
休日だと言うのに、研究に使えるアイディアを探して出歩くのが常になっていた俺は、いつものように街へと繰り出していた。
その日は、普段なら行かないような裏路地へと足を向けた。一つ道を変えただけで、そこは喧騒からかけ離れた場所へと姿を変える。そんな静かな煉瓦造りの道を、少し心地よく感じながら俺は歩いていく。
少しすると、十字路の一角から珈琲の良い匂いが漂ってくる。こんな場所に店があるなんて。朝食を取らずに家を出た俺は、匂いにつられるようにして店へと入る。窓際の席へと座り、軽食を注文して俺は窓の外を眺めていた。
「たまには、こういうのも良いかもな……」
何年もの間、研究ばかりに打ち込んでいた俺は。少しだけ、普通の生活を求めていたのかもしれない。あの人のことを忘れられないまま時間だけが過ぎていく日々に、きっと気付かぬ間に疲れてしまっていた。
今の俺を見たら、先生はなんていうだろうか。国の研究所へと入って、今では大きな仕事を任されるようになった。貴女のお陰でここまで来れたのだと、ずっと伝えたくて、伝えられないまま。
「……どうして、貴女のことを忘れられないままなんだろう。これだけ時間が経っても、結局俺は何も変わってないよ、先生」
貴方と出会っていなければ、俺は今頃結婚でもして、研究なんてせずに幸せに暮らしていたんだろうか。でもきっとそんな人生は、俺にとって意味の無いものなのだと思う。それ程に、あの人の存在は大きすぎた。
――俺はきっと死ぬまで、あの人のことが好きなままなんだろう。
そんな、恋だなんて呼ぶにはもう歪み切ってしまった感情に、俺は内心苦笑した。届いた珈琲を飲みながら、もう日常となっているアイディアの模索を始めた俺の視界に、ふとその姿が映る。
「……っ、あれは……!?」
その二人組のうちの片方は、こんな場所では珍しい種族の女の子だった。特徴的な尖った耳に、綺麗に輝く金髪。勝手に目に付いてしまうそんな少女の隣には、もう一人、女性が並ぶようにして歩いていた。
――忘れもしないその綺麗な黒髪に、深い青色の瞳。森棲種の少女に負けることの無いその美しい人に、俺は言葉を失った。その姿は、何も変わらないままで。
「…………先生」
ふと口をついたその言葉に、俺は冷静になって考える。まさか、あの人のはずがない。その姿は、当時から何一つ変わっていなかった。もうかれこれ十数年は経つというのに、そんな訳が無い。
もしかしたら、あの人の血縁かもしれない。それほどまでに、その姿は酷似していた。あの人に娘がいたとしても、あれ程の年齢ではないだろう。それなら、年の離れた姉妹か、それとも親戚か。
でも、そんなことはどうでもよかった。とにかくあの人にまた会えるのではないかと。そんな僅かな期待に、気付けば俺の体は動いていた。
多めにお金を置いて、店を飛び出す。だが先程の二人組の姿は忽然と消えていた。急いで近場を探し回ったが、その姿を見つけることは出来ない。
「……何をしているんだ、俺は」
俺は少し息の上がった状態で、そう呟く。冷静になって考えてみれば、近くの建物に入っていったのかもしれない。あの短時間で、そう遠くまで行けるはずがなかった。先程の喫茶店の近くまで戻り、歩道のベンチへと座って一息つく。
少しくらい、待ってみてもいいだろうと。俺はしばらく辺りを見渡していた。すると、喫茶店の数件先のアパートから、先程の金髪の少女が一人で出てきたことに気付く。俺は少し考えた後、彼女へと話しかけることにした。
「……すみません、少しお聞きしたいことがあるんですが」
俺がそう話しかけると、彼女は少し呆気に取られた表情になる。きっとその種族から、あまり人に話しかけられることがないのだろう。それでも、直ぐに笑顔になって彼女は口を開いた。
「はい、どうかしましたか? この辺りに住んでいる訳では無いので、道などはお教え出来ませんが」
そんな彼女に、俺は先程の女性について聞こうとして――その直前に、質問を変えた。
「先程お見かけしたのですが、もしかしたらと思いまして。……イヴ・ハーヴァーさんを、ご存知では無いですか? 俺の知り合いなんです」
「もしかして、先生の事をご存知なんですか? 今はお客様とお話中ですが……もし良ければ、一緒に待ちましょう」
まさか、そんな言葉が返ってくるだなんて。ほんの少し、期待すらしていなかった彼女の答えに、俺は息を呑んだ。だがその動揺を悟られないように、俺は笑顔で礼を告げる。
「……それにしても、先生に私以外の知り合いがいるだなんて。もしかして、貴方も先生に助けてもらったんですか?」
あの人を待っている間、そう問いかけてきた彼女に、俺は嘘にならない程度に言葉を返す。
「……以前お世話になっていたんですよ。あの人は、魔術に詳しいですから。色々と教えて貰って……感謝してるんです」
「そうだったんですね……! 先生は凄い方ですから! そう言ってくれる人に出会えるなんて!」
そう言うその少女は、花が咲いたかのように笑顔になる。随分と彼女を慕っているようで、俺は少し呆気に取られながらも笑顔を返す。
そうしているうちに、彼女の後ろの建物の扉が開く音がした。そこから出てきたその人は、少女へと話しかける。
「終わったよ、フィー。待たせたな。……誰と話しているんだ? その人は……?」
その声に、俺は息が詰まった。やはりその見た目も、そしてその声も。まるで男性のような、その特徴的な話し方も変わることの無いその女性は、不思議そうにこちらを見てくる。
「先生! お疲れ様です、実は先生のお知り合いだそうで、見かけたからと声をかけてきて下さったんですよ」
「……私の知り合い? ……君は」
驚いたような、困惑した表情の彼女に、俺は口を開く。
「……先生、久しぶり。……俺の事、覚えてないかもしれないけど」
その言葉に、それでも彼女は目を見開いて、その名前を口にする。
「……まさか、アンブローズか?」
「覚えていてくれたんだね、先生。……ずっと、貴女に会いたかったんだ」
その姿が変わっていないことよりも先に、その想いを改めて気付いてしまった俺は。彼女へと、静かに笑いかけた。
「……久しぶりだな。随分と大きくなった」
「先生は、何も変わってないままだね。……聞きたいことは沢山あるけど、それよりも。また貴女に会えて、嬉しいよ」
大通りに出てすぐの喫茶店へと入った俺たちは、そう言葉を交わす。彼女の隣に座っている、エルフィムと呼ばれたその少女は少し不満そうな顔でこちらを見てくる。
「……先生の名前を知っているから、てっきり最近出会ったお知り合いなのかと。私を図りましたね?」
「いや、それは……すまない。少しだけ、期待してしまってね。もしかしたらと、つい」
彼女はむっとした表情のまま黙ってしまう。その様子に少し申し訳なさを覚えていると、先生が口を開いた。
「お前には、ろくに別れの挨拶も出来ないままだったからな……すまない、せっかく大学に受かったばかりだったというのに。しっかり祝ってもやれなかった」
「それは、いいんだよ先生。今では俺も、貴女のように研究所へと入れたんだ。……なんと国の研究所だよ、誰よりも、一番に貴女に伝えたかった。だいぶ、時間が経ってしまったけど」
俺の言葉に、彼女は驚いた顔をした。そして、昔のまま変わらない優しい笑顔を向けてくる。
「そうか……本当に、よかった。私の教え子が、望んだ道に行けたんだ。……遅くなってしまったが、おめでとうアンブローズ」
「ありがとう…………先生。……どうか、貴女の話を聞かせてくれないか? あの時どうして、突然居なくなってしまったのかも。そして、その姿のことも」
俺のその質問に、彼女は表情を凍らせた。だが、少しして決意を固めたように、その口を開く。
「……お前には、話しておこう。あの時、お前を置いていってしまった理由を。この姿とも、関係があるからな」
そして、彼女は教えてくれた。その身体の事を、そしてそのせいで、あの時逃げるようにして国を出たことを。今は、その呪いを解くために、方法を探しているのだということも、全て。
本当なら、このことは教えようとはしなかっただろう。だが俺は、どうすれば教えてくれるのか、またすぐどこかへ行ってしまわないように出来るのかを。――彼女を、逃がさないためにも。
エルフィムに話しかけた時から、そのつもりで動いていた。また、彼女の傍に居るために。
「……そうだったんだね。ありがとう、教えてくれて。…………ねぇ、先生。提案があるんだ」
そうして俺は。確実にこの人を留めておくためのその言葉を、口にしたのだった。




