切望の果てに(3)
「……資料は、燃えてしまったんだよね」
その言葉に、私は息が詰まる。元々彼は、資料を手に入れるため動いていた。きっと私以上に、その事を悔やんでいるのはアンブローズ自身だろう。
地下に存在していたあの研究室には、盗まれた資料も、本も、その全てがあった。だがそれを――私は全て、燃やしてしまったのだ。
「あぁ、そうだ。……すまない。何も残らなかったと聞いている」
私はその事実と、彼への罪悪感に震えそうになる声を絞り出し謝る。だが彼は、背もたれから起き上がると、軽く笑ってみせた。
「今回は、早く資料をどうにかしたくて研究室に向かった俺の責任だから。それにあの状況で、先生の行動は英断だった。俺だってきっとそうするさ。……貴女が責任を感じる必要なんてない」
そういう彼に、私はどう返していいか分からなくなる。きっと責任の所在についてを話し続けていても、平行線のままになるだろう。
「……振り出しに戻ったんだ。また地道に方法を探すさ。短時間だが、術式自体も確認できた。覚えている分だけでも情報は手に入ったんだ。お前が頑張ってくれた以上に、私も研究を続けなくてはな」
私がそう言うと、彼は少し目を細め、こちらを一瞥した。目を閉じ小さな溜め息を吐いた。思い詰めたような表情で、口を開く。
「……先生、俺は。俺がそう見せているから、仕方ないのもあるんだけど。駄目だなぁ、このままじゃ結局、俺は貴女を悲しませるだけになりそうだ」
彼はうわ言のようにそう呟き、言葉を続けた。
「ごめんね、先生。先に謝っておくよ。俺はきっと、今以上に先生を苦しめてしまう。俺は、弱い人間だから」
まだ訪れていない先のことに、彼は謝罪の言葉を告げた。
「……何故謝るかは、聞かせてくれないのか」
「それは……いずれ分かるよ。でも今はまだ、言えない。でもその頃にはきっともう」
そう言いかけて、彼は言葉を止めた。そのまま、別の言葉を口にする。
「先生、俺は今まで、ずっと自分の為に生きてきた。貴女の呪いを解きたいのも本心だけど。でもそれも本当は……全部、自分の為でしかないんだ」
自嘲気味に彼はそう言って笑った。何故そんなことを言い出すのか、私は疑問に思いながら言葉の続きを待つように彼を見ると、彼はこちらへ向き直り話を続ける。
「初めて先生と出会った時から、今までずっと。俺は、俺の為に動いてきたんだよ。貴女を見つけたのも、ここに居るように頼んだのも」
私はその言葉を聞いて、昔のことを思い出す。
彼が言うように、確かに私は彼のとある提案に乗って今、ここに住んでいる。
昔私の生徒だった彼と、この国で再開した時のことだ。私の呪いを知った彼は、居場所と情報を提供する代わりに、助力と技術を求めてきた。それまで各地を転々としていた私は、その提案を飲んだのだ。
それから、生徒だった彼とは協力関係になり、友人へと変わっていった。それこそ十年程の時間を、ここで過ごしてきたのだ。
「元からそういう約束だっただろう」
「もちろん、先生にはそう伝えたけど。本当はただ、貴女をここに留めておきたかっただけなんだよ。貴女が突然消えてしまうのは、もう嫌だったからね」
彼が言っているのは、私が勉強を教えていた頃の事だろう。当時の私は、彼の前から姿を消した。もう長いことその国にいたため、潮時だとそこから出ていったのだ。その時は残念ながら、彼に別れを言うことは叶わなかった。
「今回も、貴女が連れていかれた時は本当に怖かった。もしかすると、もう二度と会えなくなってしまうんじゃないかって」
あまりにも、彼のその言葉は。もう、気付かないふりなど出来ないものだった。だからこそ、私は今思っていることを伝える。
「私はもう、お前の前から勝手に消えるつもりはない。……二度もお前から離れてしまった私が言うのは、説得力はないが……それでもこれは、本心だよ」
すると彼は、まるで分かっていたかのように、それでも憂いを帯びた顔で笑う。
「知ってるよ。貴女はそういう人だ。一度そう言ってしまえば、絶対にその言葉を違えることはないんだろう。……それでも。俺が駄目なんだ」
そして、彼は何かを決意したかのようにこちらを見据えてくる。
「……先生。ずっと、伝えたかった事があったんだ。もう言えなくなってしまうかもしれないから。だから、どうか聞いて欲しい」
私は、きっとまだ受け入れられないだろうその言葉を、ただ無言で待った。まるで永遠にも感じられるような短い時間の後に、彼はその言葉を口にした。
「……初めて出会った、あの時から。今までずっと俺は、貴女のことが好きだったんだ」
「…………アンブローズ、私は」
「先生、無理に返事はしなくていい。俺もそれは望んでないからね。今の貴女にそれが出来ないのは、知っているから」
私の言葉を遮るように、彼はそう言った。今まで私に想いを伝えてこなかったのは、それをわかっていたからだろう。
いずれ、彼を置いていってしまうかもしれない私に、その言葉へ報いる勇気などないことを。
「だからいいんだ。伝えられたら、それで。これは……俺が耐えきれなかっただけだから」
「……それなら、もう言えなくなってしまうかもしれないというのは、どういう事だ。まるでお前の方が、姿を消してしまうみたいな言い方だ。……消えてしまうのは嫌だと、お前が先に言ったんだろう」
私のその問いに、彼は目を逸らした。
「……ただ、このまま伝える機会がなくなってしまうんじゃないかと、不安になっただけだよ。貴女のその研究は、俺が生きている間に終わるとは限らないからね」
手探りで探していくには、途方もない。彼の言う通りだった。私の術を編み出したグレイたちのような存在は、あまりにも稀と言えるだろう。呪いを解析する術を作るのにだって、相当な技術と時間がかかったはずだ。
そしてもし分かったとしても、それをかける術と解く術は、別物だ。どれほどの時間がかかるかなんて、それこそ分からない。彼はその不確定な現実に、耐えきれなかったのだ。
「だから先生、これは忘れてくれてもいい。これからも俺は貴女に協力するし、傍に居たいと思っているから。だから、明日からはどうか、今まで通り接して欲しい。俺の身勝手なわがままだけど」
「……出来る限りだが、お前が望むようにしよう」
私は、そう答えるしかなかった。その言葉に彼は微笑む。――その姿に、私は息が出来なくなる。
気付けば窓から差し込む夕焼けの赤も消えて、外が暗くなっている。彼は、私が片付けておいた鞄を手に取ると、また明日、と一言告げこの場から去っていった。
一人になった私は、ただ静かにソファへと座る。
私は、私が思っていた以上に、人の気持ちが分からなくなっていたのだ。いずれ私は人を置いていく。だからこそ、考えないように生きてきた。そのせいで、彼を追い詰めていた事にすら気付けずに。
このままでは、きっとまた同じことを繰り返してしまう。この呪い以上に、私は人の感情と向き合わなければならない。いずれ別れが来ることを分かっていたとしても。
私は、今日はもう休んでしまおうと、リビングから出て二階の寝室へ向かう事にした。だがちょうどその時、裏口の戸が開く音がする。振り返ると、そこには見慣れた金髪の少女が立っていた。
「……っ、先生。事件の話が、うちにも入ってきて……ご無事で、良かったです」
息を切らしながら声を掛けてくる彼女を見て、私は少し、ほっとしてしまう。
「フィー……お疲れ様、上がって行くといい。お茶を入れるよ」
随分と疲れた顔でもしていたのだろうか。私の顔を見たエルフィムは、驚いた顔をする。そして、私に休んでいるよう言ってきた彼女に促されるまま、リビングへと戻った。
「はい、先生。これ、疲労回復に効果がある茶葉だそうです。成分と言うより香りや風味の効果らしいので、きっと先生にも効きますよ」
「ありがとう、頂くよ」
彼女が入れてくれた紅茶に口をつけ、一息つく。確かに、先程よりも気分が良くなった気がした。
「なぁフィー。私は、そんな酷い顔をしていたか?」
「……それは、もう。死ぬはずのない先生が、今にも死にそうなくらいには」
彼女にしては珍しく、そんな冗談をいう。それほどまでに、私の様子は酷かったのだろう。そして、彼女は問いかけてくる。
「……先生、何があったんですか? 私ところには、王家の嫡男が捕まったということだけしか入ってきてませんでした。ですがそれ以上に、何かあったんでしょう?」
それから私は、今日起きたことを少しずつ、彼女へと伝えていった。




