切望の果てに(1)
目を開けるとそこは、見慣れた研究室だった。私はまた夢を見ているのかと思い、ぼやけた目で辺りを見回す。だがそこには、研究員ではない人物が居る。
彼は私が目を覚ましたことに気付くと、その顔を上げて話しかけてくる。
「おや、起きたようだね。思った以上に早かった、やはり精霊種用の麻酔もあまり長くは持たないな」
部屋の中心にあるテーブルで作業をしていたらしいその男性は優しく笑うと、先程まで動かしていた手を止めた。
意識が鮮明になってきて、私はこれが夢ではなく現実だということに気付く。動こうとすると、いつの間にか座らせられていた椅子の後ろで手を縛られているらしく、身動きが取れない。
「ここは……いや、それよりも。お前は確か……グレイ・アルストロだな?」
会ったことのないその男性は、それでも何度か目にしたことのある人物だった。新聞や放送などでよく顔が載っている、この国の王家の嫡男――グレイ・アルストロ。そんな人物が今、私の目の前に居る。
私はどうにか意識を失う前のことを思い出す。彼は盗難事件の重要参考人として連行されていたはずだった。私が彼を睨みつけると、困ったような笑顔で返事をする。
「知ってもらえているなんて嬉しいな。私にとって貴女は大事な先人なんだ。イヴ・ハーヴァーさん」
そう言って彼は作業を再開しつつ、話を続けた。
「私はね、人間の生はあまりにも短すぎると思うんだ。人一人の人生だけでは、この世界は変えられない。だからこそ、いずれ全ての人間が幸せを掴めるように、その上限を無くすつもりだ」
だからまずは、私自身が変わらないといけない。その為に、貴女が必要だったんだ。
彼はそう言いながら、私の傍に置いてあるそれを指した。
「これは、まさか……」
立てかけられているその円盤には、大きな魔法陣が描かれている。その術式は、私がずっと探し求めていたものだった。
「そう、この時のために作ったものだ。貴女のその身体に宿る魔術式を解析出来る魔道具。他のものではどうにも駄目でね、彼女に手伝ってもらったんだよ」
そう言う彼の後ろから、一人の女性が歩き出てくる。姿は人のものだが、その無機質な瞳から、元は人間でないことが分かる。彼女は無表情にこちらを見つめて来ると、静かにその場から姿を消した。
きっとケニスと同じ種族だと私は気付く。知識や魔術を尊ぶ彼らは、人間とは比べ物にならないほどの情報や技術を有しているのだろう。私も何度か、自身の身体に宿る術式を解析するための道具を作ろうとしてきたが、それがあまりに複雑過ぎるのか、上手くいったことはなかった。
「彼女はあまり表に出たがらなくてね。でもこうして私を手伝ってくれるんだ……さて。どうにか完成したよ」
動かしていた手を止め、彼はテーブルの上に乗っていた紙を私へと見せてくる。
「これが、君の身体に刻まれた祝福の元凶だ。失敗はしたくないからね。出来る限り当時の状況を再現してるんだ。どうだい、なかなかよく出来ているだろう」
彼は、当時の研究室に瓜二つのこの部屋を見渡し、笑いかけてくる。
「……お前の考え方は、間違っている。長い時間を生きるには、人間は脆すぎるだろう」
「勿論そうだろう。だが、長い時間があれば、それを解決する術だって見つかるはずだからね。私はそれが出来る確信がある」
彼はそう言ってのけた。なんの躊躇いも感じさせることの無いその目は、あまりにも人のものからかけ離れていた。もう既に、彼は人間としての思考を捨てている。
私は考える。このままでは、危険な者が生み出されてしまうだろう。出来る限り頭を動かし、自分を縛る縄や、部屋の中にあるものを確認して、どうにか出来ないかを模索する。拘束自体は、手を少し痛めるだけで外せそうだが、その後のことが問題だった。
彼には例の種族がついている。彼一人ならどうにか出来るかもしれないが、あの女性が厄介だ。姿を消し、今もどこにいるのかすら把握出来ていない。
とにかく、私はどうにか隙が出来るのを待った。術を完成させたと言う彼は、何故かそれを発動させようとはしない。きっと何かが足りないのだろう。だがそれを考えられる程の時間は残っていないと思うべき状況だった。
まだどうにか出来るはずだと、私は相手に気取られないよう、自分の手を何とか縄から抜こうとする。
「……あぁ、ようやく来たみたいだ」
だが突然、先程まで黙っていたグレイが口を開く。すると、それと同時に入口が開く。
「グレイ、やはり居たか。……イヴ・ハーヴァーもここにいるな。残念だが、お前を窃盗及び誘拐の容疑で拘束させてもらうぞ」
扉から入ってきた三人の内の一人、グレイに似た顔の男性がそう言うと、一斉にその扉から軍の部隊と思わしき集団が入ってきた。彼らは一斉に銃を構え、グレイにその照準を合わせる。
「先生!」
私は聞き覚えのある声に、視線を向ける。ケニスと共に立つ彼を確認する。
「アンブローズ……彼らと一緒だったのか」
私のその言葉に反応するように、黙って立っていたグレイが口を開いた。
「……おや、貴女の知り合いもいるようだね。随分と早かったじゃないか、リアン、流石私の弟だ」
「白々しい、お前がわざと誘き出したんだろう。この場所を本当に知られたくなかったのなら、きっと彼を殺していたくせに」
リアンと呼ばれた彼は、アンブローズを一目見てからそう答える。――確かに、私を捕まえる為だけに彼を態々逃がすような真似をするのは、リスクが大きいだろう。つまり、あえて生かしておいたのだ。
「あの通話は、お前が仕組んだものだったんだな……」
私から彼を遠ざけ、そして一人になった所を狙ったのだ。だが、彼を無力化することなく、あえて泳がせるような真似をする理由が分からない。
だが、この特殊な状況を見て、私はそれを思い出す。
「……もしかして、お前はこれを待っていたのか」
私がそう一言呟くと同時に、先程の女性がグレイを庇うようにリアン達の目の前へと現れる。部隊の半数が照準を切り替え、彼女に狙いを定める。
「流石、よく分かっているじゃないか。その通りだよ、ハーヴァーさん。これは彼らが来ないと成り立たない術だからね」
彼が待っていたもの。足りなかったものとは――生贄だ。私の研究員と同じように、糧となるものを彼は待っていた。
だが彼のその言葉に、リアンが真っ先に行動した。素早く手を挙げ、彼を狙っていた隊員たちが一斉に銃を発砲する。だがそれが彼に当たることはなかった。
彼を庇うように、あの女性が立ちはだかったのだ。だがその彼女にすら弾は当たらず、まるで撃たれた弾が消えたかのように見える。
「一切躊躇わなかったね、結局同じ血なんだよ、リアン。今からでも私についてくる気はないかい? ……君に限って、それはないだろうけどね」
「よく分かってるじゃないか、兄さん。ケニス、彼女を」
まるで現実ではないかのような光景が、そこでは繰り広げられていた。銃を撃たれる度に、あの女性が全てを消しさり、その隙にケニスは彼女に攻撃を仕掛けた。だがそれも決定打に欠ける。
グレイを見ると、彼はそれを楽しそうに眺めていた。だが、そんな彼の手の動きを私は見逃さなかった。
「くそ、こんな化け物がいるとはな……」
自分の倍以上の人数を相手に引けを取らないその女性を見て、リアンがそう呟く。そんな様子を見ていたグレイは口を開いた。
「……そろそろ、終わりにしようか」
そう言って、テーブルの上の紙に描かれた魔法陣へと彼は手を伸ばした。
――だが私はそれよりも早く、先程拘束具を外した手を部屋の壁際にある物へと伸ばす。
「やらせるか…っ!」
私は手に取ったランプを、その魔法陣へと投げつける。ガラスが割れる音が響き渡り、彼の目の前の魔法陣が紅く燃え始める。
リアン達を相手にしている彼女はすぐに動けず、まさか私が自らの手を折ってそんなことをしてくるとは思っていなかったのか、グレイは焦った表情をする。
「ここを、あの研究室と同じ作りにしたのは失敗だったな……まさかランプまで再現しているだなんて。おかげで命拾いしたよ」
私は折れた片手を抑えつつ、燃え広がる炎を前にそう投げかける。グレイが先程完成させたばかりのそれに、保護の魔術をかけていなかったのを私は知っていた。
一か八かだった。私が昔使っていた炎を安定させる魔術を組み込んだランプ。それを見つけてから、ずっと機会を伺っていたのだ。
「まさか、貴女に止められるなんてね……ソフィー、失敗だ。早く行け」
先程までケニスを相手にその場で持ちこたえていた――ソフィーと呼ばれた彼女に、グレイはそう言った。ずっと無表情だった彼女は動きを止め、振り返る。まるで泣きそうな顔になりながら、彼を見つめていた。
「今だ、捕らえろ!」
その瞬間、まだ倒れていなかった部隊員達がグレイを取り押さえる。ケニスは動きを止めていたソフィーを捕まえようとするが、一瞬で姿を消され取り逃してしまう。
「早くここから出ろ、火が回り過ぎている」
私がそう言うと、彼らは捕らえたグレイを連れて階段を登っていく。
だが一人だけ、その場から動かない人間がいた。
「……アンブローズ、早く行け。お前もこのままじゃ本当に死ぬぞ」
「……あぁ。そう、だね……先生も早く。一緒に行こう」
何を考えているのかがよく分からないような表情で彼は私の手を掴むと、階段を登っていく。
その手は、小さく震えているようだった。




